江戸前浅草海苔の復活
浅草海苔…アサクサノリ種で作られた海苔
スサビ海苔から浅草海苔への復活

遂にきた滝口喜一の引退。
 平成19年1月、東京湾内湾の千葉県船橋漁協所属の漁師滝口喜一(81歳)は、遂に天日干し海苔生産から引退することになった。
  昭和30年代後半から始まった大型機械の導入による、板海苔の生産・乾燥の全自動化は、大量生産を可能にし、さらに焼きの行程までも全て機械がこなしてしまうことになった。機械化は瞬く間に全国の海苔生産の現場に普及していった。漁師による零細な海苔生産が、中小企業並みの生産量と生産高を達成する事が可能となったのだ。そして機械購入の借入金返済のために、さらなる大量生産の道へと傾斜していった。
  しかしこの陰で、天日干しによる旨い海苔を、手作業で丁寧に作ることを継続する良心的な海苔作りの漁師達は、入札の規格基準の変更もあり、採算が合わずに次々と廃業していった。その結果、天日で干すと言う作業と共に、炭で炙り焼きするという作業も省略されたために、海苔が本来持っていた旨みが失われ不味くなってきたと言う嘆きが、海苔好きの人達の間から聞かれるようになった。

 滝口喜一は、この時代の流れに反逆し、頑固に昔通りの天日干しで、旨い海苔を作ることにこだわってきた東京湾内湾最後の漁師であった。
 10数年程前から全国的に顕著となってきた海水温の上昇と潮目の変化は、海苔の生産にも大きな影響を及ぼしてきている。特に東京湾内湾に位置する船橋漁協では壊滅的とも言えるような影響が見られている。海水温の上昇と天候の不順は、収穫時期の海苔に各種の病害をもたらし、毎年、年内の収穫をしばしば絶望的なものとさせ、徐々に徐々に品質の低下ももたらし、最近ではまた廃業する漁師が増えてきているという。

  高齢のために、平成18年春に引退宣言していた滝口喜一は、年末に最後のテレビ取材のために、1度だけ生産をすると言うことだった。11月から12月にかけての海苔の収穫時には、海水温が14度から13度に下がっていなくてはならないのに、船橋の漁場では20度を維持したままであった。全ての海苔に病害と自然環境による不都合が発生し、船橋漁協の海苔網は総撤去されることになった。翌1月に行なわれた、満を持しての冷凍網による海苔の収穫も品質が悪く、天日干しにもかかわらず失敗に終わったようであった。

  平成19年5月8日、昨年の平成18年1月に生産され、滝口喜一宅に預けた残りの在庫分の仕入を兼ねて、滝口喜一生涯最後の天日干し海苔の出来具合を見に行ったのだった。最後の天日干し海苔は、残念ながら当店の使用に耐えるものではなかった。1月に入っても水温及び海の状態が良くならなかったのだ。かくして、平成元年以来、喜びと感動とともに使い続けてきた東京湾の伝統的な天日干し海苔の世界は、滝口喜一の引退とともに終わりを見ることになった。

滝口喜一の江戸前天日干しスサビ海苔の終了と
約50年振りの江戸前浅草海苔(機械干し)の復活

 平成16年(2004年)12月、千葉県木更津金田漁協に所属する漁師が浅草海苔の生産に成功したというニュースが伝わってきた。
 以前より浅草海苔の復活に挑戦している漁師がいると言う情報をもたらしてくれた「季刊 里海」編集発行人である中島満氏に連絡し、成功した板海苔を入手して頂いた。この海苔は漁師金満智男をリーダーとしたNPO法人「盤州里海の会」に所属する6人の漁師の1人、井上通が11月10日から12月12日にかけ、3回にわたって収穫に成功したものであった。今回収穫に成功した井上通の浅草海苔は、柔らかく甘みが多少あるのだが、滝口喜一のスサビノリによる天日乾燥の持つ総合的な旨みに欠けていたようだった。
 しかし、「浅草海苔」とはなんなのか?「 盤州里海の会」とはなんなのか? 興味のあるニュースであった。
 さっそく、中島満氏の案内で、当店の川島光雄と共にNPO法人「盤州里海の会」の活動振りを見学に木更津へ行くことになった。

12月13日(日)曇り・一時雨
 東京駅発の定期バスにて木更津の盤州着。総面積1,400へクタール、干潮時には沖合い2キロまで砂浜が広がると言う、予想外に広大で遠浅、美しい盤州干潟の見学の後、NPO法人「盤州里海の会」の主催による浅草海苔の手漉きと天日干し作業の実習体験をする。手漉き作業は難しく、均一に漉くことが中々出来なかった。天日干し海苔の生産は生憎の雨模様で残念な状態となってしまった。

ところで、「浅草海苔」とは一体何なのだ?
 かって滝口喜一との会話の中で、今作られている海苔は全てスサビノリで、アサクサノリはもう作られてはいないということは聞いていた。
 しかし、アサクサノリとスサビノリとの違いは何か?旨さの違いはどうなのか?見た目の違いは一目瞭然なのか?についての明確な答えはなく、曖昧な説明のままに終わってしまっていた。曖昧な説明は意識的だったのだろうか?説明を嫌がっているような感じさえあった。何故だったのだろうか?

「アサクサノリ」とは?
 現在食用に栽培されている「黒い海苔」は、28種類にのぼる「紅藻アマノリ属」と呼ばれる藻類グループの中の、「スサビノリ種」によって作られているのだが、さらにその99パーセント以上が「ナラワスサビノリ種」によって作られている。江戸時代から昭和30年代まで養殖されてきたと言われている「アサクサノリ種」の名称は、明治時代に新種として岡村金太郎博士によって命名されたもので、スサビノリとは種を異にしている。スサビノリよりも柔らかく、甘みと旨みが口の中に残留すると言われている。
  少し厚めに作られた江戸前の板海苔は、赤紫色をしていて、炙ると鮮やかな緑色に染まり、サクッとした食感の旨さもあったと言われる。しかし、採集された藻の外観からだけでは正確に両者を識別する事は難しく、最終的にはDNA検査によって正確に識別することが必要となる。
  後に、アサクサノリ種と命名されたアマノリは、江戸時代に東京湾内湾に自然集団として自生していたものを、養殖に成功した江戸前の海苔であった。品川近辺で獲れたものを、浅草近辺にあった紙漉きの技術により、薄い板海苔に加工し、江戸最大の繁華街であった浅草で販売され人気の高い加工食品となった。加工と販売の拠点となった浅草の地名が付けられ、浅草海苔と命名された。この浅草海苔の名称が江戸前の海苔の代名詞のように使われるようになり、名称の混同と錯誤が生じるようになった。

  佐賀県芦刈の「佐賀有明あさくさのり研究会」(10年の歳月を費やし、アサクサノリを復活させ、ブランド化しビジネス展開してきた。)が、12年前より有明海で浅草海苔を再現し、現在に至っている。有明海での検査によると、スサビノリよりもグルタミン酸が1.6倍、イノシンサンは5倍も含有量が多いという結果が出て、旨み・甘みが強いことが証明されている。

何故アサクサノリが消滅してしまったのだろうか?
 昭和30年代後半から40年にかけての、海苔生産の大型機械の導入による大量生産化が進む中で、スサビノリ種は全ての漁師達に支持されてゆき、一気にアサクサノリ種は消滅して行った。

その原因として
1)アサクサノリ種は海水温や、その年の気候変動によって生産量が急減する事が多く、病害にもかかりやすいという栽培の難しさがあり、量産に適さない種であった。漁師の間では「バクチグサ(海苔)」とも呼ばれ、好不漁の差が大きく、安定感の欠ける危険な海苔であった。北海道で発見され改良された北方系のスサビノリは、黒色の色艶が良く、成長も早く、耐病害の性質を持っていた。人口採苗と冷凍網の技術の開発と供に、機械化に伴なう大量生産に適した海苔として各地で奨励され導入されていった。その結果、全国の海苔産地で、瞬く間にアサクサノリ種はスサビノリ種に代替されていった。

2)さらに、高度経済成長時代の到来とともに、河口干潟を生育場とするアサクサノリの生育環境が次々に破壊され、河口に自然集団として生存してきた各地の天然アサクサノリ種も絶滅に近いほどに消滅していった。
 この二重の原因により、瞬く間にアサクサノリ種は消滅していったのだ。
 平成10年(1998年)、日本水産資源保護協会によって発行された「レッドデータブック」で、絶滅の恐れの高いものとして5種類の「絶滅危惧種泓゙」が挙げられたのだが、その中の1つに指定されてしまった。

 山本海苔本店店頭で、海苔焼きの実演をしている退職後の嘱託社員談
「昭和38年4月入社だが、その頃には、もうすでに浅草海苔は全国の市場から完全に姿を消してしまっていて、幻の海苔となってしまっていた。当時、新入社員は全員、全国の海苔の試食をさせられたのだったが、誰も外すことなく当てられたのは、東京湾内湾船橋漁協で作られた天日干しの江戸前の海苔だけであった。サイズは少し小さく厚めで歯ごたえがあるのだが、喰い切りが良く、甘みと香りと旨みのある、当時の最高級品の海苔だった」

疑問… 当時、大型機械の導入による大量生産を達成して行った海苔生産の現場では、経済効率のために海苔の旨さを、承知の上で犠牲にしてしまったのだ。 旨さのために最後まで天日干しにこだわったと言う滝口喜一も、浅草海苔の生産を止め、スサビ海苔に乗り換えて行ったことに対して、特別な感慨があったのではないだろうか?

挑戦…江戸前浅草海苔の復活
NPO法人 「盤州里海の会」の発足

(1年目)2001年 
 盤州干潟で海苔とアサリの漁をしている、木更津金田漁協の漁師、金萬智男が「昔のような香りの良い味の濃い海苔を食いたい。スサビ海苔ではなく、浅草海苔の食感と旨さを味わいたい。さらには天日干しの旨さの海苔を復活したい」を動機として、江戸前浅草海苔復活のための行動を開始した。しかし、もうすでにアサクサノリの種を入手することはおろか、生態を確認する事も出来なかった。
 その後奇跡的に、千葉県勝浦の「海の博物館」研究員の菊地則雄氏(アサクサノリ種を含むアマノリの数少ない研究者の1人であった)に出会い、アサクサノリの種(フリー糸状体)の「熊本県河浦町採取種」を譲り受け、培養にかかるも、失敗する。

(2年目)2002年
 再度挑戦。培養、採苗、網に胞子着生。育苗を開始するが失敗。一度途絶えた技術の再生は殊更に難しいものなのだ。

(3年目)2003年 
 佐賀県芦刈「佐賀有明あさくさのり研究会」
(10年の歳月を費やし、アサクサノリを復活させ、ブランド化しビジネス展開してきた。会の基本方針は(1)佐賀有明の支柱漁場を守る。(2)純粋なあさくさのりを養殖して、のり本来の育て方と味を追及する)
 有明海での浅草海苔の育て方についての勉強に行く。古老漁師に盤州の浜に合う育て方を教わる。
 本年の海苔つくりの作業は見送られ、生産は全くなされなかった。

(4年目)2004年 
 NPO法人「盤州里海の会」を立ち上げる。江戸前浅草海苔復活のための漁師が5人増えた。金満智男・井上通・近藤博一・石川金衛・実形博行・元木武美。6人のサムライ達の未知なる旨い海苔を作るための挑戦が始まった。
1月、熊本県天草にアサクサノリ自然種の採種に行く。採種成功。
2月、多摩川河口にアマノリ調査行。アマノリ採種。(後にアサクサノリ種と判明)

  今年は3年間の失敗を踏まえ、3種類のアサクサノリの栽培を試験することにする。
1)天草から採種したアサクサノリ。
2)有明海で成功している「佐賀有明あさくさのり研究会」からのアサクサノリ。
3)初めて北から南に移植される「福島松川浦」のアサクサノリ(菊地氏採種)
 これらの種を「盤州里海の会」設立メンバー6人のサムライ達が、それぞれが違う方法で海苔作りをして行くことになった。

9月24日〜27日 
 沖合い半ズボ筏にて採苗開始。
9月16日
 育苗開始。“昔の方法で育てる”を実行してゆく。
 10月〜長雨後、台風二十二号の大雨強風でアサクサノリを育てる支柱柵が荒れる。小櫃川堰開放にて河川氾濫、真水の状態が3日続く。その影響で多くのノリ芽の脱落を確認。例年より約2度Cの高水温・日照不足にて経過し、スサビノリも含めて状況は悪くなってきた。干し出しても雨の日が多く、アオノリが大繁殖してアサクサノリの芽多く脱落。
11月  
 金満智男、アサクサノリの網すべて撤去。今期も失敗に終わる。他3名も網を撤去。2名が数枚冷凍網として保管。井上通の種が、岸側柵にて順調に育つ。
11月10日〜設立発起人の一人井上通が一柵(網6枚)で3000枚の浅草海苔を生産。その後12月まで3回摘む。
 今期の漁場の状況は最悪であった。スサビノリは例年より味も香りも少なく、生産量も揚がらなかった。
金満智男感想
約40年ぶりに東京湾で生産された海苔食味
「色も艶もスサビノリより劣るけど、「甘みが強い」「昔食べた記憶のある旨みがある」「甘みがいつまでも口の中に残る」「炙ると鮮やかな緑色になる」と上々だった。今年の状況でこれだけの味が出たのはアサクサノリと言うアマノリの特長だと思う。ただ残念だったのは想像した食感とは多少違ったこと。順調に育てば、「サクッ」とした食感が味わえると信じる」(この食感は、むしろ過度の裁断と厚さの問題ではないだろうか?)
12月30日
 設立発起人の石川金衛が冷凍保存したアサクサノリの網を育て始めた。2005年1月〜2月 石川金衛、浅草海苔の生産成功。

(5年目)2005年
 全員失敗の結果に終わる。
11月16日
 石川金衛、6枚だけ生産するも量が少なく、スサビノリと混ぜて乾燥加工。今期の浅草海苔の生産はゼロということになった。 

(6年目)2006年
 11月10日、12日に始まって、11月から翌年1月までに二番摘み、冷凍網初摘み、二番摘みと、6人全員が成功。合計62,600枚生産。
    井上通(10,800枚)、石川金衛(14,900枚)、実形博行(13,400枚)、
    元木武美(7,500枚)、金満智男(15,000枚)、近藤博一(1,000枚)

2007年1月、滝口喜一(81歳)、遂に引退。
江戸前浅草海苔の使用開始

 6月上旬、滝口喜一の天日干し海苔、遂に在庫無くなる。今期、6人の海苔の中では最も品質が良いとされる井上通の浅草海苔の機械乾燥したものを(機械で焼くことはせず)、当店で備長炭で炙ることによって使用を開始した。
  約50年振りに復活された江戸前の浅草海苔は、機械生産によるものである。今回復活の浅草海苔は、入札基準として規格化されているサイズ(一般に市販されている海苔のサイズ)で、滝口喜一の天日干し海苔よりも少し大きい。

「盤州里海の会」の最終目標
 NPO法人「盤州里海の会」生産の浅草海苔は現在では機械乾燥となるのだが、近い将来には天日干しにまで持ってゆき、最終的には当店のように炭で炙り焼きするという最高の旨さの追求をすることを目標としている。

金満智男談
「この浅草海苔の復活を、もうすでに消滅してしまったと言われる江戸前のハマグリ・青ギス・シラウオ・アマモの再生の道にも繋げて行けるようにしたい。」

◎問題提起
機械生産と天日干しの中止によるマイナス点

「機械による全自動生産は、収穫してきた海苔を必要以上に細かく裁断し、徹底的に洗浄してしまう。洗浄は海苔の旨みを飛ばしてしまい、細かい裁断は海苔の厚み、膨らみの食感をなくし、ぺラッとした海苔にしてしまう。さらに天日干し作業の削減は、海苔の総合的な香りと甘みと旨みの発生の相乗効果を無くしてしまった」と言われる。
 浅草海苔の復活と供に、人手による乾燥の良否と品質格差が、みごとに天候に左右され、さらに効率の悪いことになる天日干しの江戸前浅草海苔の復活も大いに期待したい。
 本当に旨い天日干しの江戸前浅草海苔が出現しさえすれば、炭火で炙り焼きをするという、もう一手間とさらなる費用の発生も是とする職人、料理人が必ず沢山現れるはずなのだから。(参考引用「季刊 里海 創刊号」まな出版企画)

平成19年7月26日

↑『増補』のその後の目次へ