外房の特大マダカアワビを訪ねて(その2)
干鮑の異常な世界


青森県大間「(株)熊寛」
 平成17年3月、「熊寛」の熊谷等社長が、息子さんと築地荷受のウニの担当者を同行し、久し振りに当店に遊びにきた。10年前に白ウニの勉強で大間を訪問して以来続いているお付き合いである。築地で「熊寛」の名は、箱ウニの良心的な加工生産出荷業者として知られているのだが、日本及び香港等の高級中国料理の世界では、オオマパオの名で最高級の干鮑加工業者として知られていたのだった。来店の時、大間近辺で獲られる大型のエゾアワビが最近築地に全く入荷して来ない原因を訊ねると、「エゾアワビの干鮑はキロ単価平均13万から14万円ぐらいまでの凄い値を付けている。だから膨大な高値を付ける600g級の大エゾアワビはほとんど全て干鮑の加工に回されてしまうことになる。しかし最近では全く獲られない状態で、産地でも手に入らなくなっている」と話していた。

 傳之丞行から始まった今回の特大マダカアワビの産地状況と築地への入荷量激減の調査は、遂に中国料理の干鮑の世界にまで及ぶことになった。干鮑はフカヒレ、干しナマコ、魚の浮き袋を含めての四大海産乾燥料理素材の中で、唯一素材独自の旨さをたっぷりと内蔵しているものとして、中国料理の素材の中でも最高位の評価をされている。そして中国料理の最高級干鮑の世界は、常識を異常なまでに超えた遥か彼方異端の価格を現出してしまっている。しかし加工・流通に不透明なところが多く、日本人にとっては詳細のハッキリと見えてこない食材の一つとなっている。

 平成17年6月8日、この謎多き干鮑の異常な世界を垣間見るために、幻のオオマパオの加工業者として香港でその名を馳せる「熊寛」の熊谷等社長に電話を入れ、様々な質問をぶつけていった。

質問その1
 昨年から今年にかけて、築地に入荷するエゾアワビのサイズが極端に小さくなっているのは何故か?
「昨年から今年にかけて、自然貝と放流もの中サイズの最高品エゾアワビのほとんどは干鮑の加工に回されている。だから築地への出荷は放流ものでサイズの小さいものが主流となっている。一代限りしか生存しないバイオによる放流ものは甘み・旨みに欠けるため、熊寛では、天然の自然貝のエゾアワビしか加工しない。しかし放流ものは海藻の食いがめっぽう良い上に生命力も強く、自然貝のアワビが淘汰されてしまうという現象が生じているらしい。最近は特に自然貝の激減が目立ち、600g以上の大エゾアワビはもうほとんど獲られなくなっている。昨年度は三陸地方で干鮑の加工業者が4軒も増え、岩手県だけで10軒と乱立が目立ち、過当競争はアワビの原料不足も招き、アワビの相場を悪戯に高騰させた。だから築地市場への良質なエゾアワビの出荷が激減したのだ」

質問その2
 エゾアワビ、マダカアワビ、クロアワビ、メガイアワビの干鮑の旨さの特長と評価基準の比較。加工歩留まりと加工ロス。
◎エゾアワビ
 旨みと甘みが強く、固くしっかりと乾燥することが出来、保存性も高く、同サイズのクロアワビよりも高く評価される。3年ものよりも5年ものと、時間の経過と共に旨みが増してくると言われる。

◎特大マダカアワビとクロアワビ
 1kg以上とされる特大マダカアワビは、エゾアワビと共に甘み・旨みが強く、特に高く評価されている。漁獲量が極めて少ないために産地の生簀に入れられ、出荷調整されることが多いために、体内の栄養バランスが崩れて干しアワビとしての旨さが減殺されてしまうことが多い。その上、大サイズゆえに乾燥加工が不十分となり易く、腐敗の危険性も高くなり、長期間の保存性が低くなるという欠点を持っている。
 大グロアワビは身質が良く、乾燥が固くしっかりと出来、5年から6年にわたる保存性も高いために、特大マダカアワビよりも高く評価され、高品質のものはより一層の高値を付けることになる。

◎特大マダカアワビと「ビワッカイ」の評価
 600gから1kgまでの大マダカアワビの長所と欠点をさらに強く内蔵する特大マダカアワビの、表面から身の中までビワ色をした「ビワッカイ」は特に選別されて高値を付けるというわけではない。表面の色だけでは適確に判断出来ないために、通常の特大マダカアワビとしての価値を与えられているに過ぎない。身の中までビワ色をしたゼラチン質とグリコーゲンをたっぷりと内包したビワッカイの、芳醇な強い香りと豊満な甘みは、中国料理の世界でも充分に認識はされてはいるのだが、身肉の色は身表のビワ色だけでは必ずしも判断できないと言う難しさがある。アワビは雌雄一体で、産卵期になると雌と雄に転化してゆく。この白子、卵を持ち始めの頃が最高に美味となり、身肉も赤身を帯びて来るのだと言う。まさにビワの季節の到来とビワ色に染められた身肉を持つ「ビワッカイ」の本領発揮である。
※干鮑の身肉が赤色発色する濃度は、グリコーゲンが多いほど濃いものになり、旨さの証明となる。5年、6年の時間の経過と共にさらに赤色の濃さが深くなり、旨みも増すと言われる。

◎メガイアワビの欠点と安値
「今期も房総で5月中に5トンからの買い付けをしたのだが、メガイアワビの買い付けはしない。メガイアワビは干鮑を戻した時に、表面の身肉がとろけてしまう欠点を持つため安値となるからだ」
 メガイアワビは柔らかさを最大の持ち味とするのだが、生食、酒蒸し・塩蒸し等の加熱料理においても、他のアワビに比較すると 旨み・甘み・香りに大きく欠けるところあるために安価となっている。

干鮑の加工とロス
 生鮮の鮑を貝からはずした時の身肉の歩留が最低50%以上のものでないと良品の干鮑とはならない。42%程度となると不良品となる。乾燥後、1週間ほどで品質の良否が明瞭となる。
 5ヶ月ほどかけて加工され、活けのアワビを干しアワビにする加工歩留まりは約10%前後となる。さらに乾燥の際にカビが生えたり、腐ってしまったり、洗い直し、再乾燥等で旨みが抜け、色も悪くなってしまう失敗も多い。特に600g以上の大グロアワビと大マダカアワビ、1kg以上の特大マダカアワビはその大きさと共に身肉が厚く、貝柱も高いために加工工程での乾燥が非常に微妙で難しく、高度の加工技術を要求され、通常の加工工程でも平均20%ほどの失敗のロスが出る。熊寛は最高品を多数加工することで高く評価されているが、熊寛の「幻」と言われる程の最高級干鮑の加工成功率は50%程度だと言う。
 国内外で、年間100トンもの鮑を手当てし、9トンから10トンの干鮑を出荷すると言う。

品質の評価基準
色……不透明でベッコウ色・あめ色をしたものが最高とされる。透明感のあるものは保存性が悪く、5年から6年の保存に耐えられないため評価は低くなる。クロアワビ、エゾアワビ、マダカアワビの表面の青・黒の色はボイルしてから磨くことによってほぼ取り除かれてしまうと言う。
形……乾燥加工の際に表裏に凸凹が生じ易いのだが、平坦ですっきりとしたものが旨さの品質も高く、高値に評価される。
艶……くすんだ色ではなく、艶のあるものが高値をつける。
※品質は買い付ける商社の担当者によって格付けされるのだが、料理人の評価が最大の格付けの力となる。

干鮑の重量区分表示単位……「頭」

 1斤(600g)当りの干鮑(乾燥状態)の個数によって明示される。
 100gの干鮑は600÷100=6で6頭の鮑とされる。20gは30頭、30gは20頭。气sクル=100斤=60kg
干鮑の手入れ
 干しアワビは生きているといわれる。年に1回は乾燥の手入れが必要で、白い粉が吹き出ている状態が最良とされる。最近ではコンピューター操作による乾燥器使用の干鮑も登場してきた。
干鮑の熟成
 5年から6年熟成させると、身肉の色がチョコレート色に変化し、大きく旨みが増してくる。 
缶詰のアワビ
 合成化学調味料と共に生のまま缶詰にされ、缶詰ごと蒸すことによって加工され、乾燥の工程は一切無く、短時間で加工される。
干鮑のもどし方
 熊寛仕様……圧力釜を使用することもあるが、炊飯器に水を入れ、保温の状態で2日から3日かけると理想的に戻すことができる。
 赤坂璃宮仕様……後記

質問その3
 干しアワビは日本の特産品なのか?

「干し鮑は江戸時代にはもう日本の重要な交易品となっており、主要なアワビの産地としては大間、吉浜(吉品)、外房、五島列島が上げられる。
 房州産の特大マダカアワビの干鮑で、200gから300g級の大型のものは産油国の中東に回されることが多く、超高値で取引されてゆく。
 大間と吉浜のエゾアワビは微妙に貝殻の形が異なり、大間産は少し小判型をしており、岩手県の吉浜産は丸みを帯びている。大間産の方が甘み旨みは強く、何年にもわたる日持ちにも優れているのだが、本当のエゾアワビの原種は、戦前頃までで絶滅してしまった。原種は身肉の色がピンク色をしていた。これはグリコーゲンが豊富な証拠で、旨さの証明でもあり、絶品の旨さと香りを持つアワビであった」と言う。

「(有)熊寛」
「熊寛」は創業100年にも及び、2代目工場長が大原産のアワビを初めて干鮑に加工したのだと言う。明治の終わり頃までは漁師が直接加工していたのだが、その頃から専門の加工業者が現れ、その先鞭を付けたのが「熊寛」だったと言われる。「熊寛」の干鮑は最高級の干しアワビとしてオオマパオの名称で知られるが、ほとんど香港に輸出されてゆき、流通ルートが限定されているために、幻の干鮑と噂されている。昨年、熊寛は特大マダカアワビを加工した273gの干鮑を持っていた。出荷した香港の業者はオークションには出さず、長年の取引先で産油国の中東の中華料理店に出荷し、購入されたと言う。最高級品干鮑の所有を誇示するための店のシンボルとして1,000万円以上の値が付けられたのだと言う。これは色・艶・型という干鮑の完璧な条件が充たされていた最高級品質のアワビであったという事と、商売上の最高の思惑とが合致した結果である。

 香港の福臨門が所持していた下北半島奥戸(オコッペ)産のエゾアワビ110g級の干鮑3パイは、1パイ52万円の仕入値だと言われるが、この干鮑は、房総のクロアワビの加工品だったと言われる。生鮮の状態で1kg以上のエゾアワビはもうほとんど生存していない。この干鮑が調理されると4倍から5倍の価格設定になる。
「熊寛」熊谷等社長談千葉県外房産アワビ流通の現状
 一昨年までの入札はほとんど全て生鮮流通のためであったが、昨年度は干鮑加工業者の入札が急増し、全体量の60%を超える量に達した。今年の加工業者の買いはさらに激しく、7月下旬の予測では最終的には90%に達するのではないかと言われている。

干鮑の種類とキロ単価 加工歩留まりと1パイの値段表

 

明鮑(めいほう)と灰鮑(はいほう)、網鮑(もうほう)
 日本でつくり中国に輸出される干鮑には、製法の違いから明鮑と灰鮑の2種類がある。
明鮑と灰鮑
 明鮑は九州五島列島の加工業者達の加工技術によるもので、灰鮑は三陸の業者の加工技術による。「熊寛」の加工は両者の中間的なやり方となる。

網鮑
 網鮑は100mからの海底に網を広げ、乗ってきた鮑を漁獲し、そのアワビの加工品のことを言ったのだが、今では網漁は全く行われなくなっている。網漁の特長である瑕の無いものを総称して網鮑と言うようになっている。鮑に糸を通さずに乾燥するため、糸穴が生じていない。
「原料に大型のマダカアワビやメガイアワビを用いた明鮑は、仕上がりも大きく、亀の甲羅のように盛り上がり光沢があって、色は透き通るような鮮やかな橙黄色を呈し、ちょうどベッコウあめ色に干しあがる。黄金色といってもいい。まさに逸品だ。中国向けに高価で取引される。中国では大型のマダカアワビからつくられた明鮑を網鮑と呼ぶ。これを使った料理は、味も見映えもすばらしい料理に仕立てられる。中国で最高値で取引される明鮑は、1斤(600g)3粒くらいの特別に大きいものであり、千葉県夷隅郡大原産明鮑は普通5〜6粒程度で、ちょうど手ごろの大きさだった。三陸物のエゾアワビからつくられる明鮑は吉品(キッピン)と呼ばれ、1斤大体20〜25粒である。
灰鮑
 おもにクロアワビやエゾアワビからつくり、明鮑に比べて小ぶりとなる。ある程度干した後に、かび付けする。一番かびが発生した後に、表面に付いた青かびをはらって日干し、さらに二番かびを付ける。外面に白いかびが繁殖してくる。表面に白粉を帯び、やや暗褐色で、ここから灰鮑という名がついた。特有の香味を持つ。」
参照「あわび文化と日本人 大場俊雄著 ベルソーブックス

赤坂璃宮 交詢ビル店 
広東料理 豪皇和乾鮑魚(国産干しアワビのオイスターソース煮)

 平成17年6月26日(日)。妻と2人で干し鮑を食べに行く。
「熊寛」の紹介であること、僕はすし屋であること、外房のクロアワビ・マダカアワビを調べているうちに干しアワビの異常な世界にぶつかり、正真正銘の本物の旨さを味わい愉しみたいこと、赤坂璃宮には以前に2度食事に行ったことがあるのだが、2度とも少しハズレであったこと等を率直に打ち明けてからの食事であった。
「熊寛」の干鮑は全て香港に輸出されてしまうのだが、国内では唯一例外として、赤坂璃宮にだけ直接出荷されるのだと言う。熊寛産の30gの干しアワビが1個丸ごと料理されたもの1人前9,000円。この鮑料理の入ったコースが1人前3万円×2。生ビールとしょうこう酒。ナイフとフォークでの切り分けでは、2人の身肉の色に微妙な違いが出ていた。僕のアワビの方が少し赤褐色が濃いものであった。

 干しアワビ料理は表面にかなりの調理された他の素材の旨みとゼラチン質がまとわり付いたものであり、アワビの旨さに大きな付加価値を付けていた。しかし、今日は干しアワビの素材自体の旨さを味わうことを目的としているために、あえて表面の味付けされた旨さを口中で舌を使って外してゆく。
 アワビの噛み心地は色の濃淡にさほどの違いは無く、歯に絡みつくような粘り気のある身質は、火を通したマダカアワビの触感を思わせるものがあった。アワビの旨みは色の薄い方により強いものがあったが、期待が大き過ぎたせいか必ずしも感動的と言えるほどの旨さではなかった。
 香りが薄いせいなのかもしれない。僕の使う特大マダカアワビの方がはるかに香り高く旨み・甘みの深さがあるように思われる。しかしアワビの香り・旨みには大きな個体差があるために、1回や2回の試食では旨さを充分に味わい尽くすことは出来ないとも言える。そして大きさの旨さを言うならば、20gよりは30g、30gよりは40g、そして100g以上のアワビの旨さを追いかけなければ、中国料理の干鮑の旨さを堪能し尽くすことは出来ないと言うことになる。

 食後、本日の調理主任である「朱さん」が未処理の干鮑を10個ほど見せてくれた。「通常は冷凍保存してある。干鮑の良否の判定は、周りが透き通っていて中心が濃い色のものが高品質となるが、1個1個に旨さの格差がある。干鮑の戻し方は、一晩水に漬け、その後手が入るくらいの温水に入れ続けること3回、温水を取り替えながら合計12時間。そのまま冷やして冷蔵庫に保管。その水は捨てる。その後、スペアリブを敷き、その上にアワビを乗せ、その上に金華ハムと…?をのせて約10時間煮込む」…もう3回ほど挑戦しないと話にならないようだ。

平成17年7月31日

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