魚介類の油汚染(その1)
江戸前穴子の油汚染


油汚染された江戸前穴子の現状

 東京湾は1950年代から始まった臨海開発による環境破壊と、その結果として生じた複合的な海洋汚染に、長年にわたって曝されてきた。漁業は大きな被害を受け、最近では船橋・小柴・富津・松輪漁協等の東京湾内でも栄光を極めた各漁協までもが、じわじわと壊滅的な状況に陥ってきている。漁獲量の激減は、収入の激減をもたらし、その結果としての後継者の断続傾向の増大により、平均年齢63歳前後と言われる漁師達の末期的な老齢化をみせている。

 平成16年12月、羽田の漁師が獲った江戸前穴子に連続して異変が生じた。
 10日、たまたま毒味をした穴子に重油の臭味が染込んでいた。20本の穴子の内、3本が油汚染されていたのだ。この穴子は口中に含むと同時に重油臭がし、噛むほどにジワジワと口中いっぱいに広がってくるのだった。
13日の穴子は、煮ている最中に煮汁の湯気の中から重油臭が立ち上がってきてしまった程であった。煮汁共々15本全てが重油の汚染に見舞われていたのだった。さらに次回の穴子を煮る時に用いる乾燥した中骨にも、噛みしめると微かな重油臭が染み付いていた。この穴子の重油による汚染は過去にもたまにはあったのだが、これほどに連続しての発生は初めてであった。そのために江戸前のすし屋にとっては貴重な羽田産の穴子の使用をしばし見合わせ、神奈川県小柴産を使用することになった。

 当店で指定している築地市場の穴子の仲買人は、江戸前の穴子を扱う有数の仲買人として知られる「誠和水産」で、もう25年からのお付き合いとなる。築地の相対での取引の他に、昔からの羽田の住人であるために羽田の漁師達に深いコネクションを持ち、漁師から直接穴子を仕入れるルートを持っている。誠和水産は当店の仕入に合わせ、毎日サイズの揃った江戸前の穴子を、万難を排して準備していてくれる。しかし好不漁の激しい江戸前の穴子は近年さらに漁獲量を減らし、入手するのをさらに困難にしている。統計では昭和30年代にあった漁獲量の3分の1に激減していると言われる。

 江戸前の穴子とは品川、羽田、金沢八景、小柴、富津、大貫等の東京湾内湾の漁師が漁獲する穴子を総称する。この産地の中でも品川・羽田・金沢八景の漁師達の獲る穴子は特に良質なものとして評価されるのだが、入荷量が極少ゆえにその入手は奪い合いの競争となり、仲買人にとっての最上のお客さんである高級すし屋に密かに流れてゆくことになる。しかし、当店で連続して発生した重油汚染事件にもかかわらず、築地市場の仲買人の間では全く問題にもならず、発生は当然あり得るものとして、たまたま生じた交通事故のように扱われている。そしてもっと悪いことには、最終的に料理するすし屋・天麩羅屋の間からは、ほとんど発生の報告が上がってこないということなのだ。これでは料理人たちが発生に全く気が付かずに料理していることになる。あの重油汚染の穴子の、吐き気を催すほどの酷い味は、気が付きさえすれば決してお客さんに出すことが出来ないほどのものなのだ。これでは料理人たちが全く味見をしていないことになる。

穴子の相対取引と価格安定の関係
 築地での江戸前の穴子は、産地漁協と築地の荷受けと仲買人の3者での相対で値決めされるために、漁獲量の激減の割りには相場は比較的安値に安定している。もしも現在、他の魚介類同様にセリでの自由競争による値決めがされるとしたら、江戸前の穴子のセリ値は暴騰してしまうに違いない。需要に対し供給量があまりにも少ないからだ。もしも暴騰すれば、漁師の間での乱獲と密漁が始まり、江戸前の穴子の生態系を根絶してしまうことになるだろう。値が相対での妥当な線に落ち着いているために、時化や環境の異変のために漁獲量が減少してくると、漁師達は採算が合わないために漁を手控えることになる。漁船の油代すら出ないことになるからだ。底引き網漁の柴漁協を別にして、品川・羽田の筒漁の老齢化した漁師達は、油代が出ないからと言って直ぐに休漁してしまうことになる。穴子の安値安定が、結果的には激減した穴子の乱獲防止に役立っているのだ。この激減してしまっている江戸前の穴子の中で、金沢八景の穴子が最近全く築地に入荷してこなくなっている。高値の出る関西方面に全て出荷してしまうらしい。

 流通の進歩は魚介類の流動性まで激しいものにしている。だから江戸前の穴子はさらに極少となってしまっているのだ。春美鮨はこの希少となってしまっている江戸前の穴子だけを追いかけている。江戸前の穴子は1年を通して他産地の追従を許さない旨さを内包しているからだ。


すし屋の穴子の仕入方

◎一般に行なわれている選別、仕入れ方法
(1)仲買人に、必要なサイズとキロ数又は本数の注文を通す。
(2)仲買人は生簀の中に、産地・サイズ別に選別されている穴子を入れた網から穴子をダンベ(木製の大きな箱)の中に取り出す。
(3)首を出刃で締め、活け締めの状態にし、仲買人の穴子の担当者が注文量にしたがって選別してゆく。
だから穴子の仕入は最終段階の最も重要な選別を、仲買人の穴子担当者がすることになる。これでは担当者の様々な恣意的な意図が入る余地を作ることになる。

◎春美鮨の選別、仕入方法
 様々な経験から僕はこの最終段階に介入する。最後の選別は僕が自分でやるから納得の行く仕入となるのだ。
(1)穴子の担当者がダンべの中に、生簀の中の網から小分けして穴子を出してくる。活きている穴子は元気良く跳ね回る。生簀の海水のハネで僕のメガネと服が見事に汚れてゆく。しかし、この時こそが、その日の穴子の仕事の出来不出来を左右する、気合の入る穴子との対決の一瞬となるのだ。
(2)元気のいい穴子を、色気と太り具合を見ながら選別してゆく。脂の乗った穴子は頭が小さく、胴体がムッチリと膨らみ、薄い茶褐色をしている。江戸前の穴子は多々筒漁の筒の中でタップリと餌を食べたままの状態で入荷して来ることが多いために腹っぷくれで、餌の目方も値段の内となる。
(3)餌をタップリと食い込んだ腹っぷくれの穴子もムッチリと太って見えることがある。その時には胸鰭、腹鰭を点検する。脂の乗っているヤツは黄色く色付いているからだ。
(4)僕が選別してバケツの中に入れていったヤツを穴子担当者が出刃で首を締めてゆく。活け締めだ。それを店にもって帰り、開き、脂の乗り具合と身質を確認し、煮上げることになる。
魚介類の油汚染に対する仕入れ・仕込み段階でのチェック機能

 長年の経験から、産地・時期・姿形・サイズから最良の江戸前の穴子を選別し、仕込みの段階で身質と身肉の色の状態、脂の乗り具合を見ることによって、その穴子の旨さを適確に判断することが出来る。しかし、だからと言って、全ての穴子の味を1本1本点検しているわけでは決してないのだ。

 油の汚染は見た目では全く判断できない。油に汚染されている穴子が混入した時、食べてみるしか方法がないとしたら、これは大変な事態が発生したことになる。だから魚介類の油汚染の原因を究明し、排除してゆかなければ江戸前の魚介類は将来全く使用できなくなってしまうことになる。


過去の東京湾魚介類油汚染の発生状況

 内湾の魚介類の油汚染は過去にも多種の魚介類に多々発生している。   

(1)1960年代に発生した内湾のスズキの油汚染はいまだに見事に続いており、その結果として常に安値で推移する内湾のスズキ、フッコは、その危険性故に高級店では決して使用しない魚となっている。

(2) 内湾のコハダの漁獲量は激減し、築地市場には年に数える程にしか入荷して来なくなっている。しかもこの希少なコハダの油汚染が多々発生している。それも仕入れた全てのコハダが汚染されているのではなく、一部に混入しているという始末に負えない状態となっているのだ。全てのコハダの味見が可能のはずも無く、当店では安全性を確認しながら希には使用するのだが、往々にして裏切られることが多い。仕込んだコハダの全ての廃棄ということもあった。だから旨さは承知の上で極力使用しないようにしている。江戸前のコハダは浦安、行徳近辺で獲られるものが多いと言われ、油汚染の他に妙に泥臭い、土臭い味のするものも混じる。残念ながらこの異味異臭は穴子にも共通して発生することがある。

(3)平成17年2月から3月にかけて、江戸前のコハダの漁が断続的ながらも比較的長期に続き、築地では船橋のコハダとしてk単価5,000円から6,000円もの超高値を付けた。それにしてもこの不当な高値に大いなる異議を持ち、油汚染の現実を知ってもらうために、船橋漁協を訪ねて行った。その時、コハダを選別していた漁協の担当者と荷受け業者達は、僕の告発に対して、油汚染の発生の実態を頭から否定していた。一方の漁師達は、今獲れているこのコハダは浦安から行徳近辺の浅場で獲られているものであり、油汚染発生の可能性を十分に納得し認めていた。漁協が汚染を隠しているようでは、汚染問題の解決の展開などなにも求められないではないか。

(4)小柴のシャコ、富津のサヨリ、船橋のアサリ、大阪湾のコハダ、三河湾のコハダ等、尾鷲のスズキとあらゆる産地で発生して来ている。今年の3月には佐島の2.5キロの素晴らしいヒラメに発生した。産地荷請けの丸富水産に調べてもらったのだが、間違いなく佐島産のヒラメで、漁協としてもショックだったようだ。その直ぐ後には尾鷲産3.5キロのサイズの最高のヒラスズキにも発生したのだった。

 料理人、職人は素材である全ての魚介類の味を点検しているわけではない。発生を知らずに料理し、お客さんが食してしまっている危険性もあり得るのだ。
 しかし、この多々発生しているはずの油汚染の全てが明確に指摘され、報告されてはいないのが現状である。料理人、職人が全く気付かずに料理してしまうことがほとんどなのではないだろうか。築地市場での発生の噂、報告があまりにも少ないのだ。また食べ手のお客さん達は、気づいていても口に出して言わない。それが東京風であり、粋とされているような所があるからだ。遠慮せずに苦情を訴えてほしい。油汚染解決の第一歩となるのだから。

◎油汚染は海の表層を泳いでいる魚に多いのだが、オイルボールの発生や、タンカーからの重油流出に対処する中和活性剤による油の海底への沈殿化は海底魚介類にも大きな影響を及ぼしているはずだ。穴子とアサリの汚染に代表されるのだが、他の魚介類(貝、タコ、イカ、エビ類)の発生の報告を聞かない。何故なのだろうか?
では、この魚介類の油汚染はいかなる原因によるものなのだろうか?

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