石鹸(セッケン)

環境の破壊と汚染から、保全と再生への第一歩のために

千葉県で大量の下水処理水の放流が認可される
 平成11年から12年にかけて東京湾内湾の三番瀬の貝漁がほぼ全滅の状態となっている。この原因を船橋、海神の漁師である滝口喜一に聴いてみると意外な事実が明らかになってきた。平成11年、千葉県の行政府は千葉県内の工場排水と生活排水を浄化した下水処理水の大量の東京湾内湾への放流の許可を認めたと言う。
 松戸、市川、船橋方面での下水処理水の放流は年間15万トン、習志野、幕張方面での放流許可は90万トン。水清くして魚住まずの諺どうり、化学薬品によって浄化された下水の浄化水の大量の放流が海をだめにしてしまったようである。三番瀬での絶滅的な貝漁の不振は、この浄化された下水処理水の放流と見事に一致していると言われる。そしてこの事態は漁師達の間では既に予測されていた事だったのだ。

合成洗剤による公害と春美鮨の小さな第一歩の始まり

 生活廃水による河川、湖沼、海の汚染が、合成洗剤(中性洗剤)によるものであるということは十分に承知はしていた。東京湾及び他の内湾での富栄養化と赤潮の発生とが合成洗剤による大量のリンの流入によるものであるということも知ってはいた。
 しかし、なぜか世間一般に大量に流通し、消費されているモノの普遍性=安全性というコマーシャリズムの錯覚と、使用上の利便さの中に安易に流されてきてしまっていた。
 平成11年12月上旬、一年も前にたまたま雑誌の紹介記事で知った「シャボン玉石けん」を、一度使ってみようと思いつつ、さらにまた延び延びにした結果、やっとシャボン玉石けん(株)に連絡をとり、そのセッケンを使い始めた。
 そして社長である森田光徳氏の著書、「自然流『せっけん』読本」を読むにいたり、目から鱗が落ちるように現今の合成洗剤による環境汚染の実態を知らされたのだった。
 小さな生物たちが、やがて来ると予測される化学物質による人類の危機を先取りして異常を発生させ、種の存続の末期的危機状況に陥っている。このような状況の中から、その保全と再生を真剣に考え、実行に移していかなければならない時に来ているのを思い知らされたのだ。特に海と河川湖沼に関係する全ての人々が、今こそ動き始めなければならない時に来ているのだと痛感させられた。
 合成洗剤の使用廃止は、僕にとって、環境の保護、保全、再生のための小さな第一歩となることだろう。

公害による環境破壊と汚染の現状
 平成12年2月、この数年、環境の破壊と汚染が地球規模での最優先の深刻な問題として緊急に論議されるようになってきている。このままの状態が続けば、やがて取り返しのつかない決定的な状況にまで破壊と汚染は進行していってしまう可能性が大きいと言われている。
 フロンガスによるオゾン層の破壊。環境ホルモンによる生殖と生態系の異変。生物の多様性の途絶による生態系のサイクルの断絶。地球の慢性的温暖化。温暖化の問題は陸上だけでなく、海にまでおよび水温の異常な上昇は海洋生物とその環境世界に深刻な影響を与え、ここでも生態系の深刻な混乱と異常を見せはじめている。
 環境の破壊と汚染は、地球上に住む一人一人の人達による、自分の生活上の利便さのための
ホンの一寸のわがままから発生してくることが多いようである。全く無意識に、あるいは十分に承知の上で、意識的無視や油断をすることから始まっている。そして、これらが結果的にはその集積が地球規模での重大で、深刻な事態をもたらしてしまっている。

 僕が、すし屋の世界に入ってから、既に今年で35年の歳月が経過した。
 その間、築地市場での毎朝の仕入と仕込み。さらに魚の素材の厳選のために、産地への勉強行を通し、漁師・産地荷主などの多くの人々と接してきた。こうした体験と経験の中で、長年にわたり徐々に進行してきている漁場の荒廃、漁獲量の激減、魚の品質の変化と劣化を痛感させられ続けてきた。そして特にこの数年、魚の旬の変調は著しく、その「旬のずれ」は呆れるほどの異常な状態となってしまっている。しかも殆ど全ての魚に同じような現象があらわれてきているのである。
 このような現象は、20年も前頃から、少しずつ少しずつ現われはじめていたのだが総合的なものとしては明確に捉えきれないところがあった。
 しかし、この数年に見られる各種魚介類の生態上の異変は、すし屋のおやじにとってあまりにもオカシナ出来事であり、今までの魚介類に対する常識、正当な見方・選別の仕方・付き合い方・旨さのとらえ方等を根本的に見直さなくてはならないほどの状態となってしまった。異変を冗談まじりに笑っている場合では既になくなってしまっているのだ。

高度経済成長政策と工場及び生活排水による海の汚染 公害の発生

 深場の砂泥を掘ることによって干潟、浅場の海を埋めたてるという、二重に海洋生物たちの生存を脅かし、赤潮、青潮の発生により種によっては全滅までもさせてしまった内湾の埋めたて事業。工業化と人口の増加と生活の利便さのための、工場廃水と生活廃水による土壌と河川湖沼、海の汚染。上下水道処理場の完備にもかかわらず、さらなる環境汚染の発生。化学物質による環境ホルモンとしての働きによる生殖と生態系の錯乱。遂には原子力の放射能による不明朗で絶望的な汚染。
 「環境を破壊してはいけない」「環境を汚染してはいけない」ということは、長年にわたりじわじわと胸に染み込んできてはいたが、当時からただ漠然と僕がやってきたことといえば、なるべく「仕事以外には車に乗らない」とか、「暑くても自宅ではクーラーはつけない」とか、「無農薬、天日乾燥の食品を優先し、化学物質使用のものを極力使わない」ということでしかなかった。
 そして「洗剤は、なるべく中性洗剤(合成洗剤)は使わない方が良い」ということだったのだが、実は見事に掛け声だけに終わってしまっていた。なにしろ合成洗剤に代わるセッケンの有効性も、もう一つ不明であったし、セッケンの流通、購買ルートさえ知らなかったのである。
 平成11年12月、たまたま出合った「シャボン玉石けん」を使用し、その経営者である森田光徳氏の著書、「自然流『せっけん』読本」を読むにいたって初めて、今まで何故か霞がかかったように判りにくく、曖昧模糊としていた世界がはっきりと明確に見えてきた。

 以下では東京のすし屋である春美鮨で「シャボン玉石けん」をどのように使いこなしていったか、その記録である。
食器洗い石けん パウダータイプ ペットボトル 50本
無添加石けん シャボン玉 台所用(固形)   20個
石けんクリーナー               10個
シャボン玉酸素系漂白剤            10本
 さっそく以上の製品を購入し、飲食店での実用性を試してみた。素晴らしい長所と、合成洗剤に取って代わられていった原因ともなった様々な不都合も体験したのだった。
 
石鹸使用上の問題点の発生

 使用開始より1ヵ月の間に様々な問題点が発生してきた。
◎パウダーセッケンと固形セッケンの使用上の利便さの比較
 最初、スポンジにパウダーセッケンを直接ふりかけ、少し揉んで泡を立ててから使用したのだが、パウダーセッケンよりも固形セッケンの方が洗い物や掃除には使いやすく、洗い場の中に小さな網(昔からある駅売りのミカンを入れている小さな網の袋)を吊るしてセッケン入れとし、固形セッケンを直接スポンジにこすりつけて使用し始めた。この方が忙しい飲食店での使用効率が良いようだ。
◎セッケンと合成洗剤との洗浄力の比較
 ステンレスの汚れは従来使用の合成洗剤よりもはるかに落ちが良く、かってないほどにピカピカに光り始め、目に見えて洗浄力の効果が表れた。さらに、セッケンクレンザーの洗浄力と研磨性は素晴らしく、洗い場、厨房周りのステンレスは全く傷もつかずにピカピカに輝き始めた。
◎セッケンシャンプーの使用上の問題点の発生
 セッケンシャンプーには洗いあがりの髪がごわごわした感じになり、ブラシが引っかかると言う欠点がある。長年、合成シャンプーに馴染んでしまった女性たちにはこの点が気にいらず、不良品として単純に拒絶し放棄してしまう事が多いようである。セッケンシャンプーはアルカリ性なので、髪のキューティクルを広げてしまうため、ブラシが引っかかるのだと言う。このキューティクルを閉じさせ、くし通りをよくするために中和剤として酸性リンスをする必要がある。酢水をリンス代わりに使うという安価で簡単な方法では、洗面器にお湯を一杯にはり、盃1杯の割合で醸造酢(食酢)かレモン汁をいれて髪の毛を浸し、ゆすぐようにリンスをして、このあとサッとお湯を流すと良い。なお、「メンズ小粋」の場合はリンス不用。洗髪の後、ゆすぎをしっかりすることがコツだ。
◎洗剤のキレの悪さと残りカスによるセッケンの残臭の発生
 セッケンは洗剤のキレが悪く、食器、湯のみに白濁した洗剤の残りかすが残ってしまうことがある。特に湯飲みの場合には少量の残りかすでも、お茶にセッケン臭が移り、お茶の香りと旨みを台無しにしてしまうことがある。当店では南蛮焼きと呼ばれる薪窯での焼き締めの湯のみ茶碗が多く、この焼き物は無釉薬であり表面がざらざらしているために特にセッケンの残留が目立ち、仕方なく例外的湯呑み茶碗に限って合成洗剤を使用することになってしまった。
◎セッケン分の残留カスによるガラス上の白濁した染みの発生
 ネタケースのガラスを洗った後、セッケンを水とスポンジでかなり丁寧に洗い流すのだが、ガラスが乾くと執拗にセッケンの残りカスがあちこちに散在する。白くむらむらに見え始め、さらに拭き直さなくてはならないことになった。ネタケースの洗いが二重の手間仕事になった。
◎セッケン分の残留カスとの悪戦苦闘
 このセッケン分の残留は、セッケンの使用分量の使用過多ではないかということで、2リットルのお湯に6グラムのパウダーセッケンを溶かして使用することにした(使用説明書の通り)。セッケン分の水または湯に対する分量の少なさ加減に驚いてしまった。泡は少量しか立たず、セッケンのヌルヌルも少なく、果たしてこれで汚れが落ちて綺麗になるのであろうかと疑ってしまった。しかし、泡の発生の過多は必ずしも洗浄力とは関係がないということに、またまたカルチャーショックを受けたのだった。

石鹸カスの発生と残留の防止法
残留カスに対する「シャボン玉」よりの回答

(1)セッケンでネタケースのガラスを洗い、その後丁寧に水洗いし、さらに綺麗な酢水を表面に塗る。そしてもう一度水洗いをする。ガラスに付着したセッケンのアルカリ分が酸に中和されて洗い落とし易くなるという。しかし、丁寧に洗い流してもやはり乾くとセッケン分のしつこい残留があった。そのため酢水は使わず、水洗いのすぐ後に特殊なスポンジで水分を拭き取り、さらに、帝人が発売しているメガネ拭き用の、大きなサイズの特殊な布でガラス面を完全に拭き取ることによって、やっと完全にガラスが綺麗になった。ガラスの洗浄では、合成洗剤使用の場合よりも総合的には約3倍の時間がかかるようになった。結局酢水の使用は効果がなかったことになる。
(2)東京の水道水は、カルシウムイオンやマグネシウムイオンといった硬度分の含有率が高く、そのためにセッケンを使うと石けん成分が泡立つ前に硬度分と結合してしまうため、泡たちが悪く溶けにくくなり、セッケンカスの発生を見ることになるのだという。
 アメリカやヨーロッパで飛躍的に合成洗剤が普及した理由の一つに、水の硬度が非常に高いことがあげられていた。合成洗剤の合成界面活性剤が泡立ちとセッケンカスの問題を解消したのだという。では、合成洗剤を使用せずに硬水を軟水に変えるにはどうしたら良いのか。硬水を軟水に変える軟水器があり、欧米ではその普及率は八〇パーセント以上にのぼると言う。
家庭用軟水器
「ホームソフナー(屋外設置型)」
奥行き31.4センチ、高さ106センチ、幅71.4センチ
本体価格  248,000円(税、工事費別)
維持管理費   3,000円(1ヵ月)
運賃      8,400円
合計    259,400円
 驚いた。いくらナンだってこの値段は高すぎる。当店では、飲料及び料理用の水のためにアルカリ・イオン水を使用している。その上に一般生活水のために、それもとりあえずはセッケンカスの排除のために259,400円、しかも税、工事費別であるとはあまりにも大きな出費である。東京で、この値段で、この機械が売れるのだろうか。東京の人に水道水が硬水であるという認識はほとんどないのではないだろうか。もう少し簡便で安価な機器が作れないものなのだろうか。この機器の発売元には、もう少し企業努力をしてもらいたい。高いから売れない、売れないから高いではなく、もう一つ考え方を変えてほしいものだ。結局ガラスを洗った後に丁寧に拭き取るのが、二重三重の手間ではあるが一番簡便な方法であるようだ。特にガラスの乾燥後に拭くのが一番簡単で、手軽な方法であった。しかし、何はともあれ飲食店で従来の合成洗剤の代わりにセッケンを使用するということは、多くの手間ひまと忍耐力を要求されるようである。

◎合成界面活性剤、添加剤による環境および人体に対する影響の最悪の問題点等、さらに詳しくは、ぜひ森田光徳著「自然流『せっけん』読本」を精読されることをお薦めする。

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陶芸狂い(趣味中の趣味)


 昭和60年頃、もう10年からやっているゴルフが壁にぶつかっていた。
 月に3回ほどコースに出かける。行かない休日には、朝起きると先ず考えるのは、何時に練習場に出かけるか。夜は毎日素振り。部屋の中の襖、畳、電気の笠は穴が開いたり曲がったり。ゴルフの週刊誌、月刊誌、その別冊付録、名だたるゴルフレッスン書全て読破。これだけやってもオフイシャルハンデ19。性質の悪いライバルと握ると、どういうわけか必ずせり負ける。朝5時に起き、帰って来るのは夜の9時頃。もうゴルフ、ゴルフ、ゴルフの休日だった。

 本業の鮨屋の休日は日曜日だけ。趣味を問われれば、言えるのはゴルフと飲酒だけ。映画舘にもずいぶん足が遠のいている。いい店に旨いもンもあまり食いに行けない。旅行もたまにしか行けない。面白い小説もほとんど読んでいない。スキューバダイビングもやれない。ゴルフのために、他の面白い事をほとんど全て犠牲にしてしまっていたのだ。それほどまでに面白く、被虐的な喜びさえ感じさせる世界だったのだが、このゴルフと狂騒のゴルフブームの世界に、少しづつ疑問と反省と欲求不満を感じるようになっていた。

 そんなある日、お客様の紹介で日本陶芸倶楽部を知ることとなった。僕にとってはそれこそ運命的な出会いであった。一度やって見たかった世界だったのだ。
 料理の器を買うのは長年にわたる僕の仕事だ。しかし、当時、合羽橋・築地の瀬戸物屋さんで売っている、大量生産品の器に飽き始めていた。器の産地も、名称もあまり良く判らないくせに、感性だけで一丁前に難癖を付け、欲求不満になっていたのだ。といって、焼き物作家達の世界をそこそこ知っている訳でもなかった。
 ちょうどそんな頃に、日本陶芸倶楽部に通い始める事になったのだ。

 土曜午後2時から4時までの「土曜昼コース」。担当教師は尾形賢才さん。美大出身の先生というだけで、僕にはもう尊敬の的だった。さらに他の先生方も皆、美大出身だと聞き、鮨屋の職人としては、ただただ驚き呆れ、その出身家庭の凄さにまで思いを巡らし、ただただ尊敬してしまうのだった。
 今回、新入りの入部者は、鮨屋の僕と公務員の男性のたった二人。

 いやはや面白いことになっていった。生涯最初の作品は灰皿。手練りで立ち上げ、エイヤっと弓で切ったら断面図が僕の大好物のピーマン型となった。釉薬は織部釉で見事にピーマンの灰皿。僕のライバルの公務員氏は、初心者の癖に志だけは大いに高く、とっぱなから透かし彫りの二重花器。今になって思えば、これは幾らなンでもやり過ぎだとおもうのだが、ならばと、僕も蓋ものの課題では、丸く立ち上げ周りに箆。どう言うわけだかちょうど良い瓜型の小壺になる。蓋のつまみに小さな茄子を置く。壺の本体は青白釉、蓋は乳白釉、茄子は呉須と弁柄と透明釉。なかなか品の良い小壺が出来あがった。この器は、今でも僕の店のガリ入れとなっている。最後の課題の急須では、かなり鋭い形に出来あがり、またまたたっぷりと総織部。チョット格好の良い竹編みの弦を付けると、何様の作家の作品ような出来あがり。波瀾の中級コースが終わる頃には、どっぷりと陶芸に溺れこんでしまっていた。
 窯だしの作品は全てニコニコニッカ。全て待ちどうしく、感動の声を上げていた。毎回毎回、すごくうれしかったのだ。

 そして、遂に狂乱のゴルフをピッタリと止めることを決意した。ゴルフを止めてみると、休日の一日が余りにも充分に長く、二つから三つぐらいのやりたい事を平行して楽しんで行くことが出来るようになった。驚きの再発見であった。

 2年目。僕の大好きな前田青邨の紅白梅図を、尺の半月盆皿に写す。大物土で成形。力強く円弧を付けて縦横に伸びる2本の古木と、勢い良く伸びる新芽の枝達を、弁柄で濃淡を付けて描く。白梅は白化粧を山盛り、紅梅はタンパンを祈る様にして小さく点々と散らして行く。梅の木の左右に呉須と青磁釉を吹き墨。最後に透明釉を厚めに掛ける。熱烈な願望と暗中模索の中、先生の当を得たアドバイスの中で、これが大成功、見事な色と線が発色していた。「炎芸術」に掲載される。嬉しさの余りその号を大量に買い込み、挨拶と自慢代わりに友人、親戚、仲間達に送るも、反応全く無し。

  しかし、このころから少しずつ、感じるようになってきていた。焼物の世界は、僕にとって大変に強運な世界なのではないかと。僕の後ろには、焼物の美の世界でのボス的な背後霊がいっぱい憑いているのではないかと。
 ならばもう、行け行けドンドンだ。シッチャカメッチャカ作っていった。
 そうして、さらにさらに陶芸の世界に溺れ込んで行った。仕事の休憩時間には、自転車を飛ばし、毎日、銀座から日本橋のギャラリーでの作家達の個展に闖入。デパートでの焼物の個展、催事、特別展。日曜日には美術舘回り。

  南宋青磁の端正な美しさに心酔、李朝白磁と粉引きの静謐さに魅了される。以来、大阪の東洋陶磁美術舘は僕の中国と李朝の美に対する定点観測の場として毎年来館。利休の見立ての美の世界に覚醒され、光悦の遊びの華やかさに憧憬、石黒宗麿の探求と再現、多様で洒脱な作風に感嘆。魯山人の料理論に触発され、写しと独創の食器の世界に大きく影響される。鯉江良二の圧倒的なエネルギーと当意即妙な多才さに驚きと共感。八木一夫の難解さに頭を痛くし、藤平伸の多方面にわたる創意と遊びの優しさに和む。陶芸倶楽部での茶陶の会はほぼ全て出席。陶芸の全集、書籍の類は、ほぼ全部読破。やがて「陶説」の定期購読者となる。

  しかし、商業高校、商学部出身、体育会系の下町生まれ、僕の周りには全く、かつて一人として芸術とか美の世界の事などについて話すような変なヤツは存在しなかった。美は、単純明快、女の世界のことだけだった。だから、ナンという大変身だったことだろう。
 町会や学生時代・鮨屋の仲間達は、ゴルフを止めて陶芸に走ったヤツを見て、病気になったんじゃあないかと噂をし、今度は陶芸かョ、とせせら嗤った。              

  そして僕の店に、自作の器が次々と登場し始めた。作った器はほとんど全て、大胆不敵にも店で使ってしまうからだ。いっぱいに注ぐと流れ出してしまう傾いた醤油皿。酒が入っているのかいないのか、判然としない重い徳利。箸が転げ落ちる箸置き。水漏れする花生け。大き過ぎて片手では持てない湯のみ茶碗。陶板そのままの真ッ平らな刺身皿。悪評さくさくの中で、芸術は機能性を超越する、と開き直りだ。

  陶芸を原点にして、泥縄式に多くの事が始まった。筆が使えるように習字の稽古。そのお陰で書を観ることを覚え、日本画・俳画を習う。もともと好きだった日本画は、さらに好きになる。絵と献立に印を押すために「篆刻」を習う。篆刻の印材の石を勉強、手に入れるために中国旅行。そして見事な贋物をつかませられる。
 沢山の先輩後輩の陶芸仲間が出来、多くの陶芸作家の方々と知己になる。作家の方達は美食家が多く、鮨屋としての僕の商売柄、密かに贔屓され、優遇されているようなところがある。親しい作家の焼き締めの釜に入れさせてもらう。かなりの優遇で、いい場所に入れてくれる。後で美味しい鮨のお礼だ。

  鮨屋が陶芸をやると大きな利点がある。食器を沢山作ることが出来るのだ。普通の方が僕と同じレベルで作って行くと、家の中は作品で埋まってしまうはずだ。しかし鮨屋は凄い。チットもあふれてしまわないのだ。なにしろ割れる。信じられないのだが、次から次へと割れて行くのだ。次から次へと金継ぎをする。割れと金継ぎの追いかけっこをするのだが、チャンと自然減することになる。
 最初はずいぶん泣かされたのだが、もう今ではビクともしない。さらに新しく、面白いものを作ることになる。さらにさらに新しく、面白いものを作って行くための試練だと思えるようになった。嗚呼、もっとモット面白いものを作りたい。

  面白い食器を作ることは、僕にとってはもう趣味の世界を越えてライフワークの世界となってしまっているようだ 。          平成14年2月20日

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森と川と海
漁業資源の保護再生のために


『森は海の恋人』『日本<汽水>紀行』畠山重篤著を読んで

 10年程前、三陸の漁師達が自分達の海を守るために植林を始めたと言う話を耳にしていた。
 北海道ではニシンの回帰と枯渇した昆布資源の回復のために、秋田県ではハタハタ漁の再生のために、それぞれに植樹を始め、植樹運動の盛り上がりと共に漁獲がまた少しずつ増え始めていると言う話も聞いていた。だから魚付き林の話と共に、日本中の漁獲量が激減した原因の一つとして、高度経済成長時代の森林の伐採が上げられると言う説は、十分に納得していたはずだった。
 しかし、なぜ川上に植樹することによって豊富な栄養が海に流れ込んでくるのか、森と川と海と魚との因果関係が判然とせず、もう一つ納得のいかない曖昧な状態のままに、時間が流れてしまっていた。
 昨秋、たまたま購入した本が畠山重篤さんの『森は海の恋人』であった。参った、まいった、マイッタ。この本の中には、荒廃した海の再生にかける畠山さんの熱い想いが淡々と語られていた。

最近の産地の不漁状況
 25年も前頃から江戸前すしの職人として、自分の仕事で使っている素晴らしい魚達の氏素性を知りたくて、産地と漁協をさんざん訪ねまわって来た。
 特にこの10年、産地訪問の中で、素晴らしい魚達の漁獲量が次から次へと激減しているのをつぶさに目撃して来ていた。
  産地の漁師達は、この漁獲量激減の理由に関し「昔からあった20年から30年サイクルで来る好不漁の波のせいで、またそのうちには獲れるようになるさ」と楽観的な見方をする者が多い。
  漁法の進歩と大型化による根こそぎの乱獲、陸海両域での環境破壊、地球の温暖化と環境ホルモンのせいにする漁師もいる。しかし、どの漁師も皆「海は直ぐにもとに戻り、魚も獲れるようになるさ」と言う台詞を言うのだった。
 かつて見事な豊饒の海であった東京湾沿岸の漁師達でさえも、最近の深刻な大不漁の現実に直面してもまだ楽観的な見方をしている者が多い。品川も羽田も、横須賀、小柴、松輪も。船橋、富津、竹岡、勝山の漁師達も。

※外房の大原では、大不漁に陥ったアワビ漁の再生のために5年間の禁漁期間を設けたにもかかわらず、アワビはほとんど再生しなかった。その間に、アワビ漁を生業としていた漁師、海士達が廃業してしまい、潜水用のアワビ漁船が、もうすでに1隻も残っていないと言う。
※船橋漁協では、バブル崩壊の平成3年頃から、内湾名物であった見事に太って脂の乗った金太郎イワシ漁と、アサリ、アオヤギ漁の壊滅的な大不漁の被害にあっていた。海苔漁業生産の漁師達も、海苔の病気発生による漁獲量の激減と、品質低下による入札価格の暴落により、深刻な経済状態に陥っている。漁獲量の減少と品質の低下と、収入が減ることによる漁師の困窮は、後継者の育成を困難なものにしている。後継者が育たないのだ。
※小柴では3年前、シャコ漁の大不漁のために、ついに漁師が出稼ぎに出て行ったと言う。シャコ漁の不漁により、1回の出漁での水揚げが船の油代にもならないのだと言う。東京湾の数多ある漁協の中でもトップクラスの稼ぎ頭であった栄光の小柴が、後継ぎの息子達の新たな仕事を探す相談の集会を開いたと言う。
※松輪漁協の、あの見事な秋サバ達は何処へ消えてしまったのだろうか。サバは全国的な大不漁となり、つい5年程前まで春美鮨が追っかけていた素晴らしいサバ達、松輪、伊良湖水道、大阪湾湾口、箕島、田辺、関サバ等はほとんど皆消えてしまったことになる。
※東京湾、相模湾の黄アジは絶望的に獲れず、漁師達はもうすでに黄アジの1本釣漁を放棄してしまっている。淡路島・沼島(ぬしま)の一本釣の黄アジも激減し、クロアジとの混合種に変化してしまってきている。松栄丸水産に産地で当店のために、特別に選別させても数が揃わず、高々5キロほどの黄アジを当店宛に1週間に1回位しか出荷できないような状態となっている。
※東京湾内湾のコハダの漁獲量は激減し、年に数えるほどにしか入荷しない。東京のすし屋達は江戸前のコハダを、もうほとんど期待していない状態となっている。極めてたまに入荷するコハダも重油汚染の危険性を含んでいる始末なのだ。食すると油の臭いのするコハダが混じるのだ。フッコも同じように汚染されているものが混じるために評価の低いものとなっている。
※江戸前赤貝の絶滅の後、最高の赤貝と評価されてきた仙台湾の赤貝は、10年前頃から始まっていた漁獲量の減少と品質劣化が遂に最大値の状態に極まり、もうすでに当店では使用を止めてしまったほどだ。
※鮮魚の世界でのブランド化の最たる先鞭をつけた関サバも漁獲量、品質共に最悪の状態となっている。大型の脂の乗った最高品がほとんど獲れないのだ。
※ 北海道野付から標津にかけての天然の帆立貝も、今期は流氷の接岸不良のために栄養不足となり、貝柱が痩せて小さく、旨さの最盛時に至って使用不可となってしまった。

  総漁獲量の激減と品質の劣化、高品質魚の減少、日本経済不況による魚価の低迷と、漁師達はトリプルパンチを喰わされているのだ。そして、5年程前にマスコミが大騒ぎした環境ホルモン告発の盛り上がりも尻切れトンボであまり聞かなくなってしまった。
 地球の温暖化、乱獲、沿岸の開発による海岸線と海底の荒廃。生活廃水、工場廃水、有機化学物質の環境ホルモンによる水中生物の生態系の破壊はずいぶん昔から叫ばれてきた。しかし過去にあったどんな大不漁も豊饒な海がもたらす恵みによって、いつか再び豊かなものになると漁師達は固く信じてきた。
 しかし近年の全国的な大不漁の原因には、何か全く別の要因があるのではないかと考え始めていたのだ。
 牡蠣と帆立貝とホヤの養殖をしている畠山重篤さんが『森は海の恋人』の中で、植樹運動の契機となった事件について書いている。
「ある日、たまたま観たNHKのドキュメンタリー番組の中で、北大の松永勝彦教授が、北海道の日本海側の海底白化現象についての解説をしていた。
 海底の岩場に付着している昆布、珊瑚等の生物が栄養素の摂取不足のために枯渇し、白化現象を起こしている。この原因は川から流れ込む豊富な鉄分と栄養素を、海底生物や植物プランクトンが吸収できないために生じている。」
 では、なぜ栄養素を吸収できないかというと、一番大切な働きをする鉄分を吸収することが出来ないからだという。
 海底の生物は鉄分を生体膜から吸収することによって初めて他の栄養素を吸収出来るようになる。
 では、なぜ鉄分を吸収できないのか?

腐葉土とフルボ酸鉄と汽水域
 川から流れてくる鉄分は酸素と結合して粒子鉄となってしまう。粒子鉄は粒子が大きく、海底生物の生体膜を通過できない。そのために豊富に流れ込んできている栄養素も吸収出来ないことになる。
  以前には生体膜を通過できる粒子の細かい鉄分が豊富に海に流入していた。その鉄分とはフルボ酸鉄であった。フルボ酸鉄はフルボ酸と鉄分が結合したもので、この結合は強固で、一度結合するとほとんど分解されることは無い。
 ではフルボ酸鉄はいかにして組成されるのだろうか?
 フルボ酸は上流の森林の落葉によって生成される腐葉土の中に大量に発生する。土の中の酸素と結合していない鉄分が、腐葉土の中に発生するフルボ酸と結合し、大量のフルボ酸鉄が組成される。このフルボ酸鉄こそ海底の海藻、植物プランクトンの生体膜を通過し、他の豊富な栄養素を吸収出来るようにさせる重要な鍵となっていたのだ。
 海藻、植物プランクトンが豊富に繁殖すれば光合成が生じ、さらに食物連鎖によって大量の魚介類が繁殖するようになる。
 だからフルボ酸こそが全ての鍵を握っていたことになる。フルボ酸は腐葉土の中に大量に発生する。だから針葉樹林ではなく落葉広葉樹林の森が重要視される。しかし、戦後の林業政策の中で、森や林はどんどん杉の針葉樹林に植え替えられて行った。さらに高度経済成長の中で森は伐採され、開発されて行った。
 さらに森林政策の不備のために森林の手入れが行なわれず、森林の立ち枯れ現象まで発生するようになった。その結果、肥沃な腐葉土層がなくなり、フルボ酸の発生もなくなり、海藻や植物プランクトンの生体膜を通過することの出来るフルボ酸鉄の組成も出来なくなり、遂に海藻・植物プランクトンが川から流れてきた豊富な栄養素を吸収することが出来なくなってしまった。海底植物の立ち枯れによって起きる白化現象の始まりだ。
 松永勝彦教授は、川から流れてくる鉄分の研究をされている学者で、この白化現象のメカニズムを解明したのだった。
 NHKのドキュメンタリー番組を見た畠山さんは、早速、松永教授に接触し自然のメカニズムを勉強した。川の栄養分が豊富に注がれる湾は、海水と川水との交じり合う汽水域となっている。この汽水域こそ魚介類の宝庫となっているのだ。
  フルボ酸鉄の欠乏によって荒廃を始めた湾の再生のためには、川の上流に広葉樹林を植林しなければならない。この理論を実践するために、さっそく行動していった。有志を募り、植樹運動の輪を増やして行った。
  気仙沼湾に注ぐ最も影響力の強い大川の上流にある岩手県室根村で、毎年6月の第1日曜日に広葉樹林の植林の会を続け、豊饒な海の再生に賭けている。
  気仙沼湾と隣接する畠山さんが養殖場を経営している舞根湾は、一時、ゴミと不法廃棄の重油による汚染と赤潮の発生に悩まされていたが、海の再生運動の中で綺麗で栄養豊富な海に再生し始めている。全国的に、ますます深刻化している漁獲量の激減の中で、植林運動は確実に成果をあげ始め、大きな広がりを持ち始めているのだ。 
『森は海の恋人』を読んで刺激されている頃、次々と連鎖反応が始まった。陶芸仲間の寺西さんが意外にも、畠山さんと長いお付き合いの間柄だと言い、月間誌『諸君!』に連載され単行本化された『日本<汽水>紀行』のサイン入り本を持ってきてくれた。
  築地市場中卸し浜長水産の社長は、畠山さんがまだ若い頃からの親密な取引先だと言う。
『 日本<汽水>紀行』の中で触れられている、牡蠣の専門家として畠山さんが、大変世話になったと書かれている第一水産の佃さんは、後に中卸しの誠和水産に移り、穴子の担当者として、江戸前の穴子を追いかける僕と毎日接触していたのだった。
 これは凄い縁ではないか。6月6日(日)の恒例の植樹祭には是が非でも参加しなくてはならないではないか。

第16回『森は海の恋人』植樹祭
   日時・平成16年6月6日(日)午前10時
   会場・岩手県東磐井郡室根村矢越「矢越山ひこばえの森」
   牡蠣の森を慕う会・第12区自治会

  当日は、鳥越の祭りにぶつかってしまっていた。残念だが今年の鳥越は欠席することになった。夜になって提灯に灯が入ってからの神社前の本社御輿の道中、毎年荒れに荒れる宮本の担ぎ手の神輿は、昨年、ヤクザの一群の乱入により、落ちに落ち、観客を大興奮させたのだが、僕は遂に1回も担ぎ棒に触ることができないという不覚を取ってしまった。
  今年はどうなるのか、リベンジもあり未練が残るのだが…。しかし今回は断固として気仙沼行きだ。

6月5日、午後3時に気仙沼着
 畠山さんの水山養殖場に宿の手配をお願いしておいた。ホテル望洋、気仙沼港の近くだ。(昔、母が元気な頃、妻の芳子と3人で宮古からの第三セクターに乗って気仙沼に寄ったときに泊まったホテルだった。)
 土曜の夜、植樹祭参加の方々との飲食の同行をお願いし「福よし」を紹介されている。夕方の6時までにはたっぷりと時間があり、気仙沼の町を散歩し、気仙沼漁協に寄ることにした。
 中途半端な時間なのか、町は静かだったが、その割りには流しのタクシーが頻繁に通り、タクシーでの観光に切り替えることにした。

  漁協前のセリ場では本日のセリはもう終っていた。今の時期は漁的には中途半端で、マグロもだめ、戻りカツオもまだ始まらず、サメ漁が主となっている。サメの加工所が4ヶ所もあり、近隣港のサメが皆集中して入荷してくるのだと言う。
  昔は近海の最高値を付ける本マグロ漁で名を馳せたものだが、全滅に近い大不漁が続き、最近では戻りカツオとサメ漁が主となっている。町のすし屋はフカヒレのすしで有名になり、フカヒレラーメンも名物となっている。
  定置網漁、延縄漁、巻網漁が主体となる。インドマグロの遠洋漁業が盛んであったが、不漁と品質の低下による安値、人手不足、経費の増大、補助金の打ち切り等によって経営難となり廃業する船主が相次いでいると言う。
 600人以上の船員が解雇され、その影響は気仙沼市全体に及んでいる。町のメインストリートはシャッター通りと言われているらしい。港には300トン級の廃業した遠洋船が9隻、繋がれっぱなしになっていた。
  地方の港町では流しのタクシーはほとんど見かけないのだが、気仙沼では流さないとお客さんを掴めない惨状なのだという。同情も込めて唐桑半島めぐりをすることになってしまった。

 福よしは、植樹祭の参加者で満員となり盛況であった。奥の炉辺を中心とした椅子席に畠山さんと特に近しい関係の方たちが座っていた。今回は畠山さんとマンツ−マンをする予定なので図々しく割り込むことにした。
 自己紹介が始まった。文芸春秋の局長、立林昭彦氏のご一家。文春新書編集部次長、島津久典氏。翻訳出版部統括次長、東山久美氏。国際海洋研究所日本支部事務局長、大塚万紗子氏。ファイアウィード、成澤恒人氏のご一家。
『日本<汽水>紀行』が文春新書で新書として出版されることになり、海外でも出版が予定されていると言う。NPOの国際海洋研究所では『森は海の恋人』を児童書として海外に発信したいと言う。素晴らしい。畠山さんの仕事が世界に発信されることになるのだ。
 畠山さんに国土再生研究所、グリ―ンベンチ研究所の栗山光二氏を紹介される。元道路公団の技師であった栗山氏は畠山さんの著書を読み、グリーンベンチと言う画期的なアイデアと工法をもって突然訪ねて来たという。植樹運動を通して千客万来、各界各様の人たちの来訪となっているのだ。

6月6日(日)
 朝から快晴の天気だ。植樹で快適な汗をかけそうだ。
 会場の「矢越山ひこばえの森」は、やはり矢越駅からかなり登った所にある。1,000人前後の参加者は地元、近在の方たち、漁業、学校関係者及び東京からの協力者などであった。畠山さんが小学生達にインタビューされている。可愛い質問に愛想良く丁寧に答えている。山間部の学校の生徒を毎年畠山さんの養殖場のある舞根湾に招待し、森と川と海と魚の関係についての学習の場を提供しているのだ。
 植樹は、地元の人達が整地し、目印の棒を挿した場所に1人1本づつ植えることになった。鍬で掘り、埋める。大人数での賑やかな作業となった。その後、前年までに植樹された場所に行き、下刈り作業をする。植えた木の成長を助けるために、木の側の笹や雑草などを刈り取る作業だ。
  刈り取る笹、雑草の掴み方、鎌の持ち方などの説明があり、後はひたすらに刈り取って行く。全員かなり熱中して作業をしている。大勢でやると気合が入って意外と面白いのだが、植樹は20年、30年掛りの仕事となる。運動の拡大を期待したい。
 本日の植樹祭の行事は淡々と進行していった。ことさらに声高々に叫ぶ人もいないし、威張ってふんぞり返っている人もいない。運動を利用しようとする、ことさらに政治家ぶった人もいない。植樹が終って直ぐに帰る人もあるし、お祭り広場で屋台のご馳走を買ってのんびりと寛ぐ人もいる。それぞれが束縛も無く勝手で自由な室根村総出のお祭りとなっている。
 その後、小型バスが仕立てられ、唐桑の畠山さんの水山養殖場に帰り、60人ほどでの親睦会が開かれた。
 日本酒とビール、刺身、帆立貝、ホヤ、夏牡蠣のご馳走で盛り上がった。
 築地市場の仲卸、亀和商店の専務と番頭が出席していた。畠山さんとは長年のお付き合いで、植樹祭にも参加したのだと言う。畠山さんの長男、次男、嫁さん、孫達の紹介があった。養殖場の後継者達だ。養殖場の継続と環境問題全般にわたる学校を作りたいという話もでた。素晴らしい。成功を祈りたい。

 帰京数日後、『日本<汽水>紀行』が第52回日本エッセイスト・クラブ賞受賞の連絡が入る。日本記者クラブでの授賞式は7月9日とのこと、再会が楽しみだ。
 畠山さんは、平成6年には『森は海の恋人』運動において朝日森林文化賞、平成11年「みどりの日」自然環境功労者国務大臣環境庁長官表彰、平成15年には緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰を受けている。
 全国の植樹、緑化運動の活性化と共に、森と川と海の流れの中で汽水域の魚介類の保護、再生のための講演を全国的に展開している。この森と汽水域の重要性の再発見こそ畠山さんの活動の第一歩となったのだ。

 7月18、19日(海の日)の連休に淡路島の松栄丸水産を訪ねる予定だ。黄アジの最後の砦であり、大量の黄アジを1本釣で釣り上げていた、栄光の沼島にも1泊することになっている。沼島の漁師がやっている民宿だ。
 黄アジ漁の全盛期の頃、乗船し、1本釣の一部始終を見学させてもらってから、すでに16年。黄アジ漁獲量の激減を様々の角度から観察してきた者として、再度漁船にも乗せてもらい、黄アジが激減した原因と再生のための対策を徹底的に見学するつもりだ。
  各地での黄アジの激減原因は共通していることなのだろうが、先ずは現場をつぶさに観察することから始めなければならない。

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