小肌(コハダ)

新子(シンコ)
 コハダは、出世魚である。
 コハダは「シンコ、コハダ、ナカズミ、コノシロ」と4回名を変えながら、成長し出世してゆく。この4段階の出世魚達は、それぞれ生態と魚群を微妙に異にし、漁期、旬をも別にしている。
 「新子」は、 コハダの稚魚であり、子供であるが、東京のすし屋にとっては、あまたあるすしネタの中でも最もこだわりを持って大切にしている特異な魚なのだ。
 かって、江戸っ子が、「女房を質に入れても初鰹をたべる」といった、意地と、誇りと、見栄の世界が、東京のすし屋のこの「新子」に対する世界には、いまだに見事に生き残っている。
 通常、コハダの卸値はキロ1,000円から3,000円。3,000円の値がつくと、もう買わない店が多々出てくる。しかるに、この「新子」の「初物」が入荷してくると、なんとキロ3万円から5万円の値をつけるのだ。そしてこの値段が1、2週間続くことになる。
 初物の頃の「新子」は、頭の先から尻鰭の先までの大きさが、たかだか小指の長さにも満たないサイズだ。1キロ約130匹。1匹300円位。握り一貫(一握り)に3枚つける。一貫900円強。二貫で1,800円。しかもこれは、「新子」だけの魚の原価だ。ワサビとシャリ代は入らない。だが、東京の上物師と、自他ともに自認するすし屋と職人達にとっては、この「初物の新子」を追いかけなくっちゃア、この時季、なにも始まらないということになる。

新子の世界は意地と誇りと見栄の世界だ!!
 8月上旬、暦の上の残暑の頃とはいえ、いまだ暑さの最盛期。少しうんざり気味のところに、生後4ヵ月位の新鮮にして、鮮烈なイメージの「シンコ」が登場するというわけだ。職人達は「新子の初物」が入荷すると、微かに快い緊張感を覚えるものなのである。
 「サア、今年も、一丁 やってやるか!」といった具合なのだ。なにしろサイズが小さく、繊細な魚だ。仕込みは、数もこなさなければならない。モタモタしていると、半日仕事になる。速く、綺麗に、微妙な美味さをも仕込んで行かなければならない。
 この魚の仕込みには、すし屋の職人技の全てが、集約的に要求されることになる。だから、店が、職人達が勇み立つわけだ。そして、「新子の初物」へのこだわりとは、意地と誇りとメンツにかけての競争で、江戸前のすし屋達は微かな決意をも秘めて、この「初物の新子」を追いかける。春美鮨も、当然追いかける。意地と誇りとメンツにかけて…。
 この時期、当店の売値、二貫で1,500円。はるかに原価切りだ。これは安いか、激高か。やがて半月、シンコの卸値は大暴落してくる。本来の正常な値段になってくるというわけだ。
 これは異常か正常か。こんなところに江戸っ子の、江戸前すしの、気性の一端を垣間見ることができる。そしてこの光景は、お客さんとの「あ」「ん」 の呼吸のもとに初めて成り立ってゆく世界なのだ。

新子の季節感の変化…残暑から梅雨明けへ
 近年の旬の変動、移行のずれは、コハダの世界でも例外ではない。平成に入った頃からか、本来8月上旬頃のシンコの初荷は7月の上旬、さらには6月の末頃と、一月余りも遡り、残暑の季節感が、なんと梅雨明けの季節感へと変化してしまっている。なんともはや、気持ちの入れ替えが必要となってきている。

シンコの平成10年度の状況…入荷状況と卸値
 6月25日、いよいよ今年のシンコの初入荷だ。産地は静岡県浜名湖の近く、舞阪。かってのコハダの名産地、久々の登場だ。初値、キロ3万5,000円。毎年シンコの初荷の頃、あまりの漁獲量の少なさに、力のある仲買人達が値をセリ上げ、得意先のいいすし屋へ密かに分けていってしまうため、シンコの初荷は仲買人の店頭には並ばない。
 6月27日から7月2日、キロ2万5,000円から3万円。
 7月3日、暴落。キロ1万円。7日から11日まで入荷なし。舞阪産の不漁がつづく。13日、絶妙のタイミングで佐賀県有明海、太良・大浦産シンコが初入荷。初値キロ3万3,000円。有明産としては、異例の高値だ。15日、1万円。16日、さらに大暴落4,000円。同日、栄光の舞阪産が再度入荷、3万円の高値を付ける。
 この後、有明産が大量に入荷し始め、卸値は3、4,000円に落ち着く。
 平成9年度の新子の初値はキロ4万5,000円、かつてには5万5,000円まで付けたことがある。つい5、6年前まで、初荷の栄誉を担う出荷産地は三河湾の愛知県三谷(みや)であった。しかし、三河湾のコハダは現在大不漁年に陥ってしまっている。いや、むしろ絶滅の危機に面していると言った方が正確かもしれない。なにしろあまりの不漁に、三谷のコハダの最大手である産地荷受けはすでに転業。漁師達はコハダの巻網漁を、もう放棄してしまっている状態である。
 そして栄光の東京湾内湾、江戸前のシンコも、この数年、ほぼ全滅の状態である。
 平成9年には、9月も半ばになって、ほんの少量入荷。時季も変だし、量だって納得がいかない。大都会、大工業地帯を控えた日本の内湾の魚介類は全て大激減、大異変をおこしているのだ。
 昔、シンコの初物の栄誉を担うのは、江戸前船橋産のものだったが、その後三河湾内湾の三谷産のものに移って行った。三谷のシンコ、コハダは、東京湾内湾の栄光の江戸前のシンコ、コハダと旨さの持ち味が同質で、稚魚に近いシンコでさえもふっくらと太り甘みがある。だから、たまに有明産のシンコが他より早く、一番に入荷してきてもこのシンコをこの年の初物のシンコとは言わないし、言いたくない気持ちがある。ここには断固とした地域差別があるのだ。
 しかしこの数年、初荷の栄誉を担う舞阪産のシンコは、有明産とほぼ同質のものになってしまっている。特に去年、今年の舞阪産の初物は、鮮度を保持するために使用する明ばんのせいか、腹に少し焼けが生じていた。焼けは苦みとなることがある。これでは有明産の初ものにも劣るではないか。さらに最近では、鮮度の維持、保持の技術では、むしろ有明産の方がはるかに優れているようになった。

小肌(コハダ)
 6月末から7月上旬に入荷してきたシンコは、一潮ごとに大きくなり、9月の中頃にはもうすっかり、コハダのサイズに成長してきている。東京のすし屋は、シンコの時期をのぞいては、一年中コハダを追いかけて行くことになる。時季により、脂の乗りの良し悪しを勘案し、産地を変え、さらにはサイズを選別しながら追いかけてゆくのだ。新たなる産地の拡大、旬の変化、移行等、諸々の条件の違いを考慮にいれ、手を替え品を替え、塩と酢で締める塩梅を微妙に変えながら、シンコからコハダへと追いかけて行くのである。
 コハダは産地と旬による脂の乗り具合の程度によって微妙に締め方が変化し、締めた後の旨さの加減も微妙に違うものなのである。一年中同一の旨さなのではなく、時季折々の微妙な締め方の旨さの変化を愉しんでもらいたいものだ。

産地
 コハダの産地には、東京湾内湾、三河湾三谷、浜名湖の舞阪、瀬戸内の福山・徳島・呉・観音寺、大阪湾岸和田、有明海の太良・大浦、石川県七尾湾等がある。これらの産地からそれぞれの時季により、逐次入荷してくる。仕入はそれらのコハダを比較検討し最良のものを選別して使っていくのだ。
 東京湾産は、身質が良く甘みがあり、脂の乗りも緻密で、皮目も柔らかい。三谷、舞阪のコハダも良質で美味く、同等に評価される。七尾湾産は年次によっては、質、量ともにかなりの変動差異が生じ、落差が大きい。最良の年には、江戸前産となんら遜色のないものがでてくる。瀬戸内産は時季によっては良質のものも獲れるのだが、量及び漁期がつづかない。有明海産は、漁獲量が最も多く近年最高の鮮度で入荷してくる。相場が高値を付けると多々空輸便で出荷してくるからだ。しかし、脂落ちしている時期に、皮目が少し硬くなるという欠点がある。
 最近各地でのコハダの不漁と大激減のなかで、ことさらに大活躍しているのが有明海、太良・大浦のコハダだ。今年も昨年も、この大浦のコハダが入荷しなかったならば、東京のすし屋は何ヵ月もの日数の間、コハダを切らしてしまったことだろう。やがて江戸前すしのコハダの主役の座は有明海産が占めることになりそうだ。


 コハダの旬の特定が難しくなってしまっている。かって、江戸前の東京湾内湾及び三河湾三谷、浜名湖の舞阪辺りが主漁場であった頃には、コハダの旬は晩秋から春先頃までであった。しかし、これらの産地での環境の変化による大不漁と大激減は、旬の世界にまで大影響を及ぼしている。いわんや、瀬戸内、有明海、七尾湾等の産地の拡大は、コハダの旬の特定を益々困難なものにさせている。
 旬の特定を身質が充実し脂が乗り、甘み旨みが強くなった状態を言うのであれば、最近のコハダの旬は全く混迷の状態にある。産地の拡大変化は、旬の世界をも道ずれにする。それぞれの産地が、それぞれに旬の異常をきたしているのである。だから、それぞれの産地で、それぞれの時季に、それぞれのコハダの充実期を旬とするしかしょうがない世界となってしまっている。

ナカズミ コノシロ
 東京の普通レベルのすし屋ではコハダの「ナカズミ」「コノシロ」サイズのものは使用しない。このサイズになると皮が硬くなり、小骨が多くなる。切り付けると見てくれも悪い。しかし、値段が滅茶苦茶に安く、大衆店ではよく使われる。正月用の粟漬けは全てこの「ナカズミ」と「コノシロ」を使用している。

佐賀県、有明海「太良・大浦」産の小肌
 10年前頃より顕著になってきていた東京湾、相模湾の魚介類の異変は、この数年大異変となって現れている。コハダもその例外ではない。内湾のコハダはほぼ全滅の状態である。こうした状態の中で、近年特に救世主的な存在となっているのが佐賀県、有明海の太良大浦のシンコ、コハダである。築地市場への入荷は年間を通して最大量の多さを誇り、鮮度も最良の状態で入荷してくる。さらに、この大衆魚であるコハダを投網で獲っているという凄い話まで伝わってくる。
 現在、有明海のコハダはもうすでに江戸前すしのコハダの世界では、大きな主役の位置をしめてしまっているのだが、近々、もっと大きな主役の座を占めることになるのだろう。
 では、有明海 の太良・大浦とは、どんな漁場で、どんな漁師達が、どんな漁法でコハダを獲っているのか、さらには、いかなる産地荷受け業者達が、コハダをいかようにして出荷してくるのであろうか?   平成10年8月

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大浦漁協(太良町大浦)行
           平成10年7月19日

 平成10年7月18日。長崎空港より橘湾小浜着。小浜の赤貝の現場を見学。翌7月19日、小浜より諫早経由にて、肥前大浦駅着。太陽はまさに頭上真上。下車、我々を含み中年の夫婦二組のみ。帰省か。駅舎の外は蝉の声だけ。無風快晴、さすがに暑いが気分爽快、九州はやがて梅雨明けなり。本日の泊、大浦港「梅崎亭」。ぶらぶら歩き約40分余、風景家並みを見ながら、有明海の空気の匂いを満喫。蟹料理屋多し。
 佐賀県太良町大浦は、有明海のわたり蟹の名産地であった。名物「瀬崎の蟹」だ。全身の汗と共に梅崎亭着。さっそく、陽光いっぱい誰もいない真昼間の温泉を独占、鼻歌をうなる。落汗落汗また落汗。冷え冷えのビール、昼飯、さわさわの海風、昼寝。極楽、ごくらく!

「浅井上商店(佐賀県太良町大浦港、産地荷受け会社)
 夕食時、大浦漁港、最大手の流通業者である産地荷受け会社、「浅井上商店の井上朝男社長と懇談、質疑応答。有明海産コハダの全貌を学ぶ。

有明海のコハダ
 コハダは大群で遊泳する習性を持つ小魚で、漁師たちは大量に一網打尽に獲る漁法を用いる。普通、最も効率の良い、船を二艘引きにしての網漁、「巻き網漁」か「刺し網漁」で行われる。しかし有明海では巻き網漁が一切禁止されているため、大浦の漁師たちは、なンと、なンと! 投網を打ってコハダを獲っていると言う。あの大量に獲らなくては採算の合う仕事にならないコハダを、一網一網、網を投げて獲っているとは…。それも、冬場を除き(冬場は刺し網漁となる)、他の全てのコハダをだ。
 大浦漁協は昔から投網漁と潜水漁で全国的に有名であったと言う。潜水漁は「みる貝、たいら貝」等、貝の漁獲に使われる。瀬戸内海方面でも重宝がられ、出張するらしい。ちなみに、最近あった瀬戸内での、たいら貝の潜水漁での鮫による犠牲者はこの地元の漁師だったという。
 その潜水の技術の伝統は各地の護岸、海底工事等にも利用されていると言う。投網漁と一本釣り漁は、全国各地どこででも漁をすることができるらしい。漁獲制限領域がないのだと言う。それほどに漁業資源の保護にとっては原始的だが、理想的な漁法なのであろう。

大浦漁協でのコハダ投網漁の現状

 漁協組合員総数は約300名。内、投網漁に従事する漁師数は15〜6名。
 投網の技術はかなり難しく、技術の差は漁獲量に大きな数字の差となって表れる。1艘の漁船に2名の漁師が乗る。魚影は驚くほど濃い。コハダは内湾に生息し、地先100メートル位に大量に群れを作っているらしい。1網で800キロ〜1,000キロのコハダが入るという。信じられない。1トンの重量だ。網を上げられるのだろうか。「これくらい、二人で、きっちり上げてしまう」のだそうだ。とにかく、コハダは大量にいる。豊饒の海なのだ。大漁時には、漁の時間を3時間に制限する。獲りすぎると値が崩れるからだ。
 信じられない。現今、これほどのコハダの産地は他にはない。かってその昔、東京湾、三河湾にもこんなことは、多々あったのだそうだが今ではもう、夢のまた夢になってしまった。沿岸の再開発による環境破壊の結果だ。有明海も諫早湾の干拓化がその序章になるのだろうか。

出荷、「追っかけ」
 朝一番にやる朝網漁のコハダは午前11時にはトラック便で出荷、翌午後1時〜2時、約26時間後には築地中央卸売市場に到着。昼網漁のものは、午後3時には集荷、午後8時の空輸便で出荷。
 これは凄い。みごとな「追っかけ」の流通態勢だ。3年前頃までは、空輸便は3倍位高くついたが、それなりに高値で売れた。最近はトラック、空輸便ともにほぼ同一運賃になり、キロ単価200円位高値で売れれば、空輸便でも十分にペイするそうだ。

 梅雨の雨量が多い年は、コハダの成長が早く脂も良く乗ると言う。平成十年は梅雨の降雨量が少なく、コハダの成長、脂の乗りは悪くなりそうだ。内湾の魚達にとって、雨とその川水は重要な栄養源となっているのだ。この年、「大浦の新子」の初漁は7月12日、他の産地(舞阪)との兼ね合いの中でも、絶妙のタイミングでの初漁であり、かつ築地市場への登場の仕方であった。築地では初値、なんとキロ三万3,000円。最高値をつけた。しかし16日大暴落、キロ4,000円。なにしろ、漁獲漁があまりにも多いからだ。大浦のシンコ漁はただ今真っ最中、大豊漁中とのことである。翌朝、朝網漁の状況をぜひにも見学したく、井上社長に漁船への同乗の手配をお願いしたのだが、残念、手配がつかず乗船ならず。
 翌7月20日、午前10時。大浦港岸にある井上商店を訪ねる。朝漁の漁船、次々と帰港。陸揚げ、選別。「コノシロ」の大豊漁だ。「シンコはどうした?」 朝漁では姿も形もみせなかったらしい。調子に乗って船に乗り込み漁師さん達と話をしていると「じゃあ、もう一回りしてみるか。」「運がいいぞ!」そのまま再度出航。船名「共栄丸」。二人は親子だった。親父さんが操舵、息子さんは船首で魚群の見張りだ。魚群はキラキラと海に盛り上がってくるという。
 遂に干拓化されてしまった諫早湾は、有明海の大切な魚介類の産卵、成育場であったという。コハダには産卵の回帰性があり、シンコは浅場の潟に生息する。最近の諫早方面はもうだめで、北部の福富地区に移っていると言う。
 シンコの投網はかなり網目が細かく、捕獲し絞り込んだ後は大きめのタモ網ですくい取る。極小のシンコを採りこぼさないためだ。航行40分余。本日、水温、風向き共に悪し。シンコ、全く姿を見せず。残念。投網漁の一部始終を見学できず、再度帰港。井上社長の話では、共栄丸は大浦漁協の漁師達の中でも一番の投網の名人なのだとのこと、嗚呼! かえすがえすも残念なことだった。

 8月21日、舞阪のコハダはもう10センチ近くに成長している。一汐ごとに見事に成長しているのだ。江戸前のコハダは、いまだ入荷せず。有明海のシンコは、成長して大きくなり、10センチ級のサイズのものと、いまだに一握り(一貫)2枚〜3枚付けのサイズのものとが、まじりあいながら共に大量に入荷してくる。これがなにを意味しているのかと言うと、大量のコハダ、ナカズミ、コノシロ達が微妙に生態を異にしながら、次から次へと時間差を取りながら産卵をしたということである。
 信じられないような産卵の量であり、今年も7月半ば以降、築地市場でのシンコは、ほぼ大半、有明海産が占めてしまっている。

大浦のコハダの築地中央卸売市場への登場
 築地市場で、有明海産のコハダの名をよく聞くようになったのは、20年前頃からだ。当初、鮮度的にも品質的にも評価が低かった。
 しかし井上社長の話によると、大浦のコハダは、戦後すぐ、もう40年も前から東京その他の地域へ大量に出荷されていると言う。最近でも東京、伊勢、名古屋方面へ「ちくわ」「てんぷら」等の加工用すり身原料や正月の粟漬け用として、1日20トン、30トン単位で各地へ出荷されていると言う。加工用出荷の70パーセントは東京方面であり、さらに東京方面出荷の50パーセントは「浅井上商店扱いであると言う。最近のトラック及び空輸便による飛躍的な鮮度の良化は、他産地のコハダの鮮度を完全に凌駕してしまっている。
 しかし、たまにある不漁時、投網漁ゆえに漁獲水域を全く制限されないため熊本県天草、八代湾等へ大胆に乗り込み漁をするため、時々品質が極端にばらつくことがある。この、たまに発生する極端な品質のバラつきに対する質問には、井上社長は笑っていた。
 しかし天草、八代のコハダはシンコも含めて、どういう訳だか痩せていることが多い。この突然の脂の乗りの品質の変化は、すし屋にとっては大問題なのである。
 3〜4月に生まれたコハダは3、4ヵ月でシンコになり、シンコは1年でコハダになり、2〜3年かけて、ナカズミ、コノシロへと成長し出世していく。

雑記
わたり蟹
 漁期 雌 11月末〜3月まで。冷え蟹と言い、身が詰まりすぎて、甘みが落ちる。 
    雄 5月〜10月。7、8月を最盛期とする。身が最も甘い時期であり、東京出荷では高く評価され、値も張る。
平貝
 漁期 12月5日〜3月末。この10年、好不漁が激しく、粒は小さく、色は黒く悪い。
    海水濃度を低下させると、茶色の身が白に変化する。福岡に出荷。東京には出荷されない。  平成10年8月

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七尾漁協(石川県石崎港)行
          平成16年5月4日

旬、生態共に神出鬼没、謎だらけの摩訶不思議なコハダ

 昭和の終わり頃になってから、東京湾内湾船橋漁協、横須賀漁協等から入荷するコハダの漁獲量の激減はますます顕著となってきていた。江戸前のコハダとほぼ同等に評価される三河湾三谷・蒲郡、静岡県舞阪のコハダの漁獲量も目に見えて減少し始めていた。さらに江戸前、三河湾のコハダは、違反船舶からの不当な廃棄重油の公害による油汚染の危機にもさらされていた。
  たまに混じる重油臭を放つ不快な身肉の味は、外見上では全く判断できず、仕込みが終っての味見の段階で初めて判明することになる。それも、仕込んだ全てのコハダではなく、一部に混在するという理不尽さ故に、結局両産地のコハダの仕入れを徐々に控えるようになっていった。
  まさにこの頃、有明海の投網、刺し網漁による鮮度抜群のコハダが主役として登場してきたのだった。東京湾内湾では、コハダに限らずスズキ、サヨリ、シャコ等にも重油汚染の影響がみられた。コハダを餌として捕食するスズキは特に影響が大きく、価格も下落し、高級店では決して使われない魚となった。

七尾湾産コハダの登場
 七尾湾のコハダは、ちょうどこのような状況の中で入荷してきた。日本海側の唯一の産地という異端さもさることながら、鮮度を含めての品質の素晴らしさ故に、大きな期待と歓迎のもとに江戸前鮨の世界で受け入れられていった。
  少し小振りなコハダは、江戸前のコハダ同様に皮目が柔らかく、重油汚染の危険性もなく、適度の脂の乗りと甘みを内蔵する優れた旨さを持っていた。昭和50年代から始まった江戸前、三河湾産コハダの異変の中で、少し高値が付きさえすれば空輸便さえも使うことがある有明海、大浦の鮮度抜群のコハダも、この頃から大量に入荷し始めていた。
  江戸前のすし屋達は、当時まだ、有明海産コハダの皮目の硬さに少し馴染めずに抵抗感を抱いていたのだが、その使用を余儀なくされ始めていた。ちょうどそのような時期に、突如として登場してきたのが七尾湾の素晴らしいコハダだったのだ。

七尾湾のコハダの特異性
 しかし、不思議なことに、この巻網漁による七尾湾のコハダは、如何なる原因によるものなのか、大量に、しかも継続的には決して入荷してこないのだった。
  巻網漁は、本来、大量に、継続的に獲られる魚に対して行なわれる漁法のはずだ。小振りの魚体から、いよいよ本来のコハダのサイズに成長し、旬の最盛期に入る頃になると、どういう訳か入荷が止まってしまうのだ。この旬の最盛期も他の産地のコハダとは明らかにずれている。さらに異常なことには、この入荷の断絶は数年に及ぶことも多々あるのだった。
 以上の蓄積された疑問の中で、美味で、素晴らしいコハダであるが故に、資源の保護再生も含めて、慎重に漁獲されてゆかなければならないという強い思いもあり、ぜひぜひ七尾漁協行を実現したいと長年、願望していたのだった。

七尾漁協行
 平成16年5月、能登空港開港を利用しての能登島・輪島への旅が、この七尾湾産コハダの漁獲の最盛期と見事に一致したのだった。千載一遇のチャンス到来だ。幾つもの謎と疑問を解くために七尾漁協を訪ねることになった。

七尾漁業協同組合
5月3日
 能登島から輪島に向かう途中、5月4日の再訪のために、七尾漁協の所在地の確認をする。漁協は、七尾湾の入口、和倉温泉駅の斜め前の小さな道を入った突き当たりの漁港、石崎港の右側にあった。
 七尾漁協が七尾港ではなく、石崎港にあるという大きな盲点を突かれ、たどり着くのにたっぷりと時間がかかってしまった。
 連休中で休漁日の漁協は静かであった。セリ場の片隅で若者が一人、動き回って仕事をしている。赤貝と鳥貝を籠に入れ始めていた。赤貝、鳥貝ともにそれぞれ大小込みで20キロ位か。しかし大きい。
  赤貝の大きいものは東京ではバクダンと称するサイズで、これでは身肉が硬く色も美しい黄朱色を超えて汚いドドメ色になってしまっていることだろう。少し小サイズも混じるが色を見ることが出来ない。美味なのだろうか。
 鳥貝も見事に大きい。2年から3年ものの秋貝だろう。見てくれは厚く見事だが、身肉が厚く歯応えがあり過ぎ、甘みが薄くなってしまっているだろう。今の時期だけ獲られるのだという。
 コハダの調査が赤貝・鳥貝との出会いともなった。明後日の入札が楽しみとなった。

 輪島は輪島塗と温泉と祭りの玉手箱の町であった。町中にある輪島工房長屋にて、蒔絵師の大森修氏に陶器の金継ぎテクニックの詳細と秘技を教えていただく。問題は漆にカブレないかどうかだ。今まで、カブレが怖くて漆に手を出せなかったのだが…。店で使用している長山一夫特製の陶器製食器類の修理の愉しみが増えたようだ。感謝!!

5月4日
 昨夜から始まった強風と横殴りの雨の中、輪島から車で70分余、8時10分、七尾漁協着。
  強風による時化で、出漁中止の危惧もあったのだが、途中でわき見してきた七尾湾は、内湾のためか懸念したほどには波が高くはなかった。漁協にはもうすでに楠靖治参事が出社しておられた。
 築地市場の中卸しである東市、特殊課の横溝氏の紹介だ。七尾湾のコハダについて徹底的に教えていただくことになる。

漁獲と出荷体制
  七尾漁協のコハダは巻網によって漁獲される。6:30 に1回、漁が少ない時は9:00にもう1回行なわれ、 午前中に入札、午後一番に出荷されると言う。トラック便はその日の内の24:00前には築地に到着。翌日のセリにかけられる。
  七尾湾のコハダは皮が柔らかく腹が切れやすいので、この「追っかけ」体制が必要不可欠の要件となる。
登録組合員(漁師)
 70数名。漁船60隻。現在の実働数50隻余。
漁場
  七尾湾北湾、西湾、南湾全域。
水深
  平均5〜6m。最深度15m。航路のみ20mに掘削されている。
水温
  冬は5度、夏は33度。大きな川の流入はないが、12本の川の流入で塩分濃度は低く、汽水域と同じような状態となっている。

コハダの身質が江戸前ものと似ているとすると、七尾湾とかっての東京湾内湾との共通性はどこにあるのだろうか?
(1)能登半島と能登島とに囲まれた浅瀬の海である。コハダの生息に適し、産卵場所がある。
(2)何本もの川の流入により、汽水域となっている
(3)冬と夏との水温の差が大きい。
(4)能登島からの栄養分の流入
(5)観光事業の普及と沿岸の人口の増加による公害の発生はあっても、臨海工業地帯やゴルフ場による化学物質による汚染が少ない。

漁法
 巻網漁(コハダ・スズキ)
 延べ縄漁(マダイ、マゴチ、マコカレイ、トラフグ、ハモ。5月からスズキ)
 定置網なし。2艘引き網漁(サヨリ)
 底引き網漁、ケタ網漁(コハダ、ナマコ、ブリ、マアジ、イイダコ、シャコ、コノシロ、キス、マコカレイ、ギンポ、メゴチ、赤貝、鳥貝、カタクチイワシ、スズキ、マゴチ、マダイ、オコゼ、ハモ、クロダイ、トラフグ、(大)穴子、モエビ、サルエビ、シバエビ、トラエビ、アカエビ、クマエビ、クルマエビ、イシサキエビ)

コハダの高値安定の原因

 コハダ漁の巻網船は3隻のみ。高値で売れるコハダのサイズの漁獲のあるときだけ操業すると言う。しかし、漁獲量は3隻で連絡を取り合い、資源保護と漁獲過多による相場の下落防止のために、3隻での1日の総漁獲量を300キロから400キロに調整していると言う。
  今年の築地市場での七尾湾のコハダの相場が、3,000円から4,500円の予想外の高値安定を続けているのは、他産地のコハダがナカズミからコノシロのサイズしか獲れないという不漁による競合産地がないことが原因している。それと共にさらに大きな要因はこの漁獲量調整にあった。
 今期の七尾湾では12月にシンコが獲られ始め、そのシンコが例年になく成長が遅く、5月なってもまだ、シンコとコハダの中間のサイズが漁獲されている。
 この成長の遅さは漁師達にも謎で、魚に聞いてみてくれなどと言う。しかし、6月から7月の梅雨時には急激に成長し、7月から8月にかけて産卵することになるらしい。さらにそれがまた3ヶ月から4ヶ月後の11月から12月にシンコのサイズに成長すると言う。
 産卵の終った頃からのコハダ漁で獲られるサイズは、ナカズミからコノシロのサイズで、市場価格が低いために9月から11月のコハダ漁は中止となり、エビなどの他の魚種の漁に移ってゆく。
  漁獲量を競うことよりも他産地の相場との兼ね合いによって操業を決めるため、漁業資源の多寡と漁獲量とは必ずしも比例しない。また、成長の速さは年によって大きく異なることが多く、旬もずれることになると言う。

シンコの旬の異常
 しかし、この七尾湾のコハダの生態は異常だ。太平洋岸の産地(東京湾、三河湾、瀬戸内、有明海)では春先の3月前後に産卵し、3ヶ月から4ヶ月後の7月前後にシンコの初漁が始まり、築地市場への狂乱の相場での入荷を通例としている。
 12月にシンコの漁が始まったということは、驚くべきことに約6ヶ月程もずれてしまっていることになる。これは旬が早まったのだろうか遅くなったのだろうか。

シンコについて
 コハダの子供であるシンコは、季節の走りの旬を愛でて食される。新子の世界には、東京のすし屋が、職人が、お客さんが、意地と誇りと見栄をかけて暴騰する価格に敢えて挑戦してゆくという、江戸っ子気質を彷彿とさせる異常さが、今でもしっかりと残っている。
 昭和の終わり頃までは、8月の上旬にシンコの初入荷が始まり、残暑の季節感の中で、それからの2週間ほどが狂乱の異常な相場の暴騰をみせる時季であった。
  しかし、平成に入ってからの旬の移行の早まりはコハダの世界でも例外ではなく、6月の終わりから7月の始めに初入荷となり、シンコの旬の熱狂は、梅雨明けの時季へと移ってきてしまった。
 昨年12月から入荷が始まった七尾湾のコハダは、見事にシンコのサイズであった。年が改まり、4月になってもまだおかしな事に、一握りに二枚付けから一枚付けのサイズが入荷して来る。
 シンコの、マスコミをも巻き込んだ異常な人気は、この季節はずれなシンコにも及び多くのすし屋達が入荷早々から使用し始めたのだった。しかし、当春美鮨は、嫌だ。
  こんな季節外れのシンコなどは決して使いたくは無い。シンコは、くどいようだが季節を食べる魚なのだ。だからこその狂態が面白く、江戸っ子気質の食文化の名残を愉しむことになるのだ。

5年の漁獲の断絶と漁獲量の変化のサイクル

 かっては、水産試験場が8年サイクル説を唱えていたが、最近ではサイクルに狂いが生じ、一概に当てはめることが出来なくなったという。
 この5年ばかりの漁獲は、コノシロサイズばかりで値が出ず、コハダが獲られても他産地の極端な安値のために競合できず、コハダ漁はほとんど行なわれなかったと言う。
  今年はシンコサイズの漁獲から始まり、久々の継続的な豊漁と高値で、漁師達の意気が揚がっている。普賢岳の噴火の時は、有明海のコハダ漁がほぼ全滅したため、七尾漁協のコハダは暴騰、大儲けをしたと言う。

今期のコハダの成長が遅い原因
 昨年5月頃からカタクチイワシが大発生し、プランクトンを大量に消費してしまったためか、水温が低かったためか、とも考えられるが「原因は魚に聞いてくれ」と漁師達は言う。長年の経験を持つ漁師達にも意味が判らないのだった。

5月4日朝漁

 本日は横殴りの風と雨を伴なう時化のために、コハダの巻網船の操業は太平丸1隻のみであった。
 漁獲量(たったの)23kg。入札値キロ5,800円。コハダの値段としては破格のものとなった。翌日の築地市場でのセリ値は6,350円だった。この値段は、通常付けられるコハダの相場の3倍から4倍となる。だから、この長期に渡る高値安定は、異常な事態なのだ。   平成16年5月10日 

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真鯵(マアジ)

真鰺…「平鯵」と「のどぐろ鯵」「混合種」の識別
 マアジが旨い。マアジは昔から旨い大衆魚の代表選手のように言われてきた。しかし周期的に巡ってくる不漁年と、環境破壊による漁獲量の減少とにより、なんと近年ではすっかり大衆魚から中級魚の世界の仲間入りをしてしまっている。
 アジには多くの種類がある。その中でも普段良く見聞きし一般的に食べられているアジは、ほとんど全てがマアジである。アジの仲間の中では特に漁獲量が多く、安価で旨いからである。そのマアジをさらに注意深く追いかけて行くと、マアジにはヒラアジとノドグロアジの2種類があることに気が付く。いいすし屋が、マアジを仕入れる際にこのヒラアジとノドグロアジの識別ができないと話にならない。そしてさらにヒラアジとノドグロアジのほかに、近年新たに発生してきたこの2種類のアジの混合種のアジがいる。だからマアジは厳密に識別すると3種類になることになる。そしてすし、刺身、タタキにする際にこの3種類のアジの中で最も旨いのはヒラアジである。では、このヒラアジとはナンなのか?

平鯵(黄鯵とも呼ばれる)
 内湾、内海に生息する。漁獲量が少ないため、大量に漁獲するための網漁の対象とはならず、漁師たちは常に一本釣りで獲る事になる。釣り漁の魚は、鮮度の維持、保持等の扱いが丁寧になり高値で売買されるため、高設備、高技術の下で迅速に輸送され、高級魚となることが多い。
 ノドグロアジよりも甘み、旨みが濃く、シットリとした密度の高い脂が乗り、旬の最盛期にもベトベトの身質にはならない。
 体側面の幅は広く金色に輝き、ヒレも黄色をしている。しかし20年前ごろより激減してしまった。特に相模湾のヒラアジは、かって東京のすし屋たちが大切に大切に最高品として使っていたのだが、その大半はノドグロアジとの混合種に変貌してしまい、純粋種のヒラアジはほぼ全滅の状態となってしまっている。かつての分布は関東以南淡路島辺りまでとなっていた。

のどぐろ鯵(黒鯵)
 内湾から沖合いに生息し、一本釣りよりも巻き網等で大量に漁獲されることが多い。そのため扱いが雑になり易く、鮮度落ちしてしまうことが多々ある。ヒラアジに比べると身質が少し水っぽい感じになる。旬真っ盛りになると脂が逆にすこしベタベタ気味になってくることがある。体型はやや細長く、体表は全体的に黒っぽい。尻ヒレは細く長く黒い。
 東京湾、相模湾でも圧倒的に多く漁獲され、マアジの主役となっている。やがてヒラアジの分布領域にまで侵入し、ヒラアジとの混合種を生じさせている。最近の遊漁船の対象となっているアジ釣りは、ほぼ全てノドグロアジとその混合種であり、30センチ位の大きさにまで成長する。分布は広く、関東以南、九州、山陰地方。ちなみに九州地方のマアジは「佐賀関の関鯵、唐津の鯵、玄界灘、松浦の鯵」等全てノドグロアジである。

混合種
 体色、身質ともにヒラアジに似ているが、体型はノドグロアジに近い。純粋種のヒラアジとは微妙に異なり、ノドグロアジよりは旨いがヒラアジの旨さには劣る。
◎昭和40年代後半よりヒラアジの変質が始っていたようである。まさにこの頃よりマアジの仕入れがつらく難しくなってきていた。ヒラアジの入荷が減少し始めていたのである。このヒラアジの減少、消滅の原因が混合化のためであったという驚くべき話は、15年も経過してから相模湾、及び各地の漁師達から初めて聞かされて知ったのであった。不覚な話である。海の汚染、環境ホルモンと関係があるのだろうか。

マアジの旬と生態
 魚介類の旨さの旬を特定する時、その最も解りやすい基準となるのは産卵の時期である。
 一般の魚介類は、やがての産卵に備えて食欲を増大させ、じわじわと身質を充実させて行く。身質の充実と共に肝臓である肝が肥大し、それと共に卵巣、精巣が発生し徐々に大きくなってくる。まさに丁度この頃が食して最も美味しい時季であり、この時季をその魚の旨さの旬と言う。
 卵巣、精巣を肥大化させ、猛烈な食欲のために産卵場である浅場で頻繁に釣られ始める頃には、「漁獲の旬」の時季ではあるが「旨さの旬」の時季は終わっている事が多い。卵巣、精巣の肥大は、自分の身肉の充実を食いつぶして行くことによって為されるからである。
 ところがマアジは、これら一般の魚介類とは生態を異にしている。10月頃、水温の低下と共に深場に移行して行く。食欲も落ち始め身肉も痩せ始める。マアジは冬場のこの状態の中で卵巣、精巣を持ち始め、低温の続く1、2月浅場に移行し産卵をする。
 4月、5月。水温の上昇と共に急激に食欲を増大させ、またたくまに身質を充実させ脂が乗ってくる。「旨さの旬」の始りだ。夏場、さらに食欲を増大させ太ってくる。猛烈に餌の食いが良くなり、「漁獲の旬」にも入ってくる。マアジは、この「旨さの旬」と「漁獲の旬」とが見事に重なり合う異例な魚なのである。この状態は9月下旬頃まで続く。

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松栄丸水産(兵庫県南淡路島阿万東町)行
          平成10年8月

「松栄丸の鯵」、築地市場に登場
 昭和40年後半、築地市場では東京湾、相模湾のヒラアジの入荷がめっきりと少なくなり始めていた。当店でも毎日のマアジの仕入れが少しずつ辛くなり始めていた。まさにこの頃「松栄丸」と言うブランド名を持つマアジが入荷してきたのである。魚体全体が金色に輝き、背びれ尾びれは黄色に染まり、体幅は広く厚く、鮮度も信じられないぐらいに抜群に素晴らしかった。各地のマアジ達の中でもとりわけ異彩を放っていた。旬の最盛期にはみごとに甘みが濃くなり、シットリと密度の高い脂が乗ってくる。美味美味! そしてこの「松栄丸の鯵」の名は、築地ではじわじわと確実に浸透していったのである。 
 このマアジの旨さは従来のマアジの旨さとは決定的に一味違っていたのである。この旨さを採るか採らないか、当初には大きく評価の別れるところだった。

 このアジは一体ナンなんだ? この鮮度の良さと旨さはナンなのだろう? どこのアジで、その生態は? 疑問は次第に大きなものになっていき、そして遂に松栄丸について調べ始めた。
 「松栄丸」の正式名称は「松栄丸水産」。淡路島の産地荷受け会社、いわゆる流通業者である。ごくたまに社長が築地市場へ上京してくるという。以上が築地での情報の全てであった。さっそく、社長にラブコール。やがて当店への来店が実現した。仕事の合間に30分ほどいろいろと話を聴いたのだが、その早口さと方言混じりのために、話が半分ぐらいしか通じなかった。と言うことは、ほとんど理解出来なかったことになる。

 しょうがない。いっちょう松栄丸水産へ遊びにいってみるか。
 昭和62年2月、観光も兼ねて軽い気持ちで出かけていった。大時化の最中のこの淡路島行きが、当店の魚の見方、旨さのとらえ方、仕入れの考え方の全ての原点となったのだった。松本正社長(現会長)の話が、滅茶苦茶に面白く刺激的であった。見事に魚の世界のプロ中のプロであった。
 翌年の7月、今度はアジ漁の旬真っ盛りの時に再訪。「沼島」の漁師達の「平鯵」の一本釣り漁と松栄丸水産の仕事振りをつぶさに見学だ。東京で仕事をしていると全く伝わってこない産地の凄さも、その産地ではいとも簡単、日常的に行なわれている仕事の凄さであった。しかもその凄さを簡単に教えてくれることにも又ビックリ。往往にして産地の人達には、その産地の凄さや価値に気が付いていないところがある。各産地の魚達を比較しながら公正公平に評価し、いい魚の凄さを最も良く理解しているのは、東京にいる料理人であり、食べ手のお客さんなのかもしれない。だとしたらその凄さ、素晴らしさを公正に、正確に伝えていかなくてはならないではないか。
 以来、訪淡9回。今ではもう親戚付合いである。

松栄丸のアジ 
課題 (1)なぜ、アジの名称に流通業者に過ぎない産地荷受け会社の名前が被せられているのだろうか?
   (2)松栄丸のアジの生態及び実態、旨さの全ての要因を知ること。

 南淡路島、阿万の産地荷受け会社「松栄丸水産」扱いの、沼島の周辺で漁獲されるヒラアジを通称「松栄丸のアジ」と築地市場では呼んでいる。
 この松栄丸のアジとは、阿万港より北へホンの10数分、沼島の周辺で沼島の漁師たちの一本釣りで漁獲される「沼島の瀬付きのヒラアジ」のことである。マアジはヒラアジが旨い。そしてこの絶滅に近いような状況に陥っているヒラアジに、さらなる素晴らしい価値を附加したのが松栄丸水産であった。それ程に素晴らしい附加価値であったために、その価値をも含めた尊称として、消費地で自然発生的に松栄丸の名が冠として置かれるようになったのだ。
 沼島は、北東に紀淡海峡をのぞみ、西北には鳴門海峡、さらにその合流点、島の南方には紀伊水道が走っているという最良の漁場に位置している。多種にわたる漁獲魚の中でもマダイ、ハモ、ヒラアジはとくに最高級品として名を馳せている。そしてこの沼島の周辺こそ近年ほぼ絶滅の憂き目にさらされている純粋種のヒラアジの最後の好漁場だったのである。
 沼島の漁師たちは、その好漁場の保護育成に積極的に努めている。4月から5月、漁礁やほんだわらなどを海底に沈める。アジの餌となり産卵・生息場所となる「かじめ」などの海草を育てるためだ。そしてアジは、2月から3月頃にかけて産卵。その後の水温の上昇と共に急激に餌を食い始める。見る見るうちに魚体は戻り、脂が乗ってくる。この魚は旨さの旬と産卵の時期との関係が普通の魚とは逆になっているのだ。

では、「松栄丸のアジ」と呼ばれる理由はなにか
◎沼島にて
 朝5時30分から昼の2時頃まで、沼島の漁師達がただ一心に釣り上げたアジの漁獲量は、1日一人約20キロ。漁師総数60人ほど。総漁獲量約1トン強。釣り漁のアジとしては驚異的な漁獲量となる。
 二人乗りの漁船の中で、漁師たちはアジに一切手を触れない。船中、自分の前にピンと張った釣り糸を利用し、釣り上げたアジをサイズ別に2層の船底の生け簀の中へ落として行く。 
 沼島港では松栄丸水産の船が、銭湯の大きな浴槽に似せたような水槽に、たっぷりの氷と海水をたたえ待機している。帰港してくる漁船の、ビンビンに活きている水槽の中のアジ達を網に入れたまま受け、検量し、水槽の中に落として行くのだ。満々の氷と海水の中で、アジは泳ぐ間もなく即死していく。これは見事な大量の浜締めと言える。そして集荷船は阿万港にある松栄丸水産の作業場へ帰っていく。
◎松栄丸水産にて
 阿万の作業場では、この浜締めのヒラアジをさらに、手を触れずに、サイズ別に分別しながら発泡スチロールの通称骨箱のなかへ入れて行く。箱の中には海水と氷。この氷が曲者なのだ。この氷の使い方が工夫発見、ノーベル賞ものなのだ。箱の中は通常の低温度よりもさらにさらに低い。このアジの箱を密閉、午後3時には東京へ向けてトラック便が出発する。そして深夜の12時には築地中央卸売市場に到着する。この時間的出荷方法を「追っかけ」と言う。
◎消費地(築地市場、及び春美鮨)にて
 翌朝、セリにかけられ、その後仲買人の店頭で買い出し人であるすし屋の僕がこの骨箱を開け、さらに選別のふるいにかけられる時、遂に初めて人の手に触れられることになる。鮮度保持のための最良のテクニックが採られているのだ。そしてその夜、いよいよすし屋の仕事の勝負の時間帯、夜の6時から8時頃、沼島での浜締めから約30時間後、この松栄丸のアジは最適の熟成の時を経て、最も美味しい身質の状態の下で、お客さん方に食べられてゆくことになる。
魚の流通の変革による旨さのとらえ方の変遷

魚の流通の変革による旨さの捉え方の変遷
 昭和40年。30数年も前にトラック便による「追っかけ」によって、松栄丸水産は魚の流通の世界に見事に風穴を開けた。この「追っかけ」には、さらに空輸便までも日常的に使われるようになり、従来からの魚の鮮度と旨さのとらえ方に一大変革がもたらされた。九州、北海道の魚までもが、なんと東京湾の魚と全く同じ鮮度で入荷するようになったのだ。鮮度の条件が同一になると、各地の魚は実質的な旨さの比較の勝負となっていった。各地の旨い魚達が次から次へと高値で売れる築地に入荷するようになってきた。
 まさに松栄丸水産はこの流通革命の先鞭を付けたのである。しかし魚の旨さとは、最高の鮮度イコール最高の旨さではない。「松栄丸のアジ」の凄さは旨さの熟成の時間をも含めた鮮度と流通の凄さなのだ。
 沼島のヒラアジの他の産地荷受けである2社「深田水産」「志摩丸水産」の名と、産地である「沼島」の名称は「松栄丸」と言う尊称の下に敬意を表して吸収され、消えていってしまったのである。

沼島の漁師達が当店に食べにやって来た
 沼島の漁師さんの船上での、釣りたてのヒラアジの活け造りは意外にも旨かった。プリンプリンの身質の中にも、幽かな甘みと旨さがあった。飲食店での水槽の中の活け造りのアジとは旨さの世界が違っていた。無理やり生かされて運ばれ、水槽の中で飼われるというストレスの固まりの有無の差なのであろうか。
 ある時、この沼島の漁師達が築地に見学に来ると言う連絡が入った。そして当店にすしを食べに来るという。これは面白いではないか。沼島の漁師達が普段食べて知っている「活け造り、活け締めの沼島のアジ」の旨さと、「松栄丸のアジ」の旨さとの勝負だ。
 かたや漁師達持参のアジ。朝一番の一本釣り、そして空輸便、食べる時間は夜7時。約7時間経過後の状態の沼島のアジの旨さ。かたや松栄丸のアジ。松栄丸水産扱いの約30時間経過後のアジとの世紀の対決である。沼島の漁師達の反応。…「松栄丸のアジは、なんでこんなに甘いんだ!」松栄丸のアジの見事な一本勝ちであった。プリンプリンの鮮度の旨さではなく、身質に残る幽かな歯応えの身の締りと共に、熟成の味の旨さを再確認させられたのだった。

「松栄丸のアジ」と「関アジ」
浜締めと活け締め、魚の熟成の旨さ

 南淡路島・「沼島のアジ」はヒラアジであり、豊後水道・佐賀関の「関アジ」はノドグロアジである。ヒラアジとノドグロアジを単純に比較すると、身質の甘み、旨みの濃厚さ、脂の乗り具合のほどの良さ等、ヒラアジの方が旨さの質の点ではるかに勝っている。
 では作今、なぜ「関アジ」がこれほどまでに人気があるのであろうか。
 豊後水道の「関アジ」は「関サバ」と共に、その急流とかなりの深場に生息するという特殊な環境の中で、特異な性格を持っている。一本釣りで漁獲されるこの「関アジ」は、普通のノドグロアジに比べて身質の締り方が緻密で良く締っているのだ。さらに佐賀関の産地出荷者達による出荷直前の包丁での巧みな「浜締め」の技術と、空輸便による「追っかけ」輸送が更なる大きな附加価値を加えているのである。「浜締め」でありながら死後硬直を起こさせず、「活け締め」そのままの状態を持続させて来るのである。それゆえに、活け造りの流行の中でマスコミによって大いにもてはやされ、人気になっていったのである。
 朝、築地で仕入れた「関アジ、関サバ」が夜いまだにプリンプリンの身質の状態を保っているのだ。だから、「関アジ、関サバ」の最大の旨さは活け締めの旨さであり、さらには遠隔地での活け造りの旨さなのである。しかし、ここには熟成の旨さが欠けている。アジ、サバは活け造りでは最高の旨さを愉しむことはできないのだ。寒サバである「関サバ」を使用する場合でも、さらに1日の熟成の時間が必要となってくる。そして「関アジ」に適正な熟成の時間を与えても、ノドグロアジの「関アジ」は、沼島のヒラアジの甘み、旨さにはかなわない。
 いわんや最適正の熟成の時間を与えられた「松栄丸のアジ」の旨さは凄いのである。

平成10年の現況
 3月15日 産卵期のため食いが悪く、細々と入荷してきている松栄丸のアジを点検、試食をしてみる。身質は痩せ、水っぽく色艶までも冴えず、松栄丸のアジの面影は未だ全くなし。使用不可なり。
 5月上旬 中小サイズはかなり良化するも、未だ一つなりきれていない。中旬、中サイズがガラリと良化する。松栄丸のアジの面目を取り戻し始めた。いよいよ今期使用開始。
 5月下旬 素晴らしい。旬、真っ盛りとなった。今年の松栄丸のアジは質量ともに快調のようだ。昨年度の5、6月頃の不調が嘘のようだ。
 かって、沼島のアジは4月半ばにはもう良化を始め、当店での使用が可となっていたのだが、全ての魚種の旬の変化、移行のずれと歩を同じくして、1ヵ月ほどの旬のずれを見せている。だがアジの場合には他の魚種と生態を異にしているため、逆に1ヵ月ほど遅れて旬に入って行くことになる。9月から10月に入り、水温の低下に伴い徐々に深場に移動を始め、10月中旬頃次第に餌の食いが悪くなり脂が落ちてくる。これで一巻の終わり。松栄丸のアジは、又来年の夏までのお楽しみと言う事になる。        平成10年8月

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黄アジを探して
       黄アジ・平アジ・黄金(金)アジ

松栄丸の黄アジがおかしい!!
 平成5年頃から、少しづつ減少してきていた沼島の黄アジの漁獲量は、平成11年に入り、はっきりと大不漁の情況を呈し始めた。それと同時にノドクロアジと、黄アジとノドクロアジとの混血種、中間種の漁獲が増え始めた。さらに黄アジとこれらのアジ達の、旬への移行が年々遅くなってきている。昨年などは、6月も中旬に入らないと良化せず、脂が乗ってこない始末なのだった。
 黄アジが減少し、そのかわりに外海から回遊してきたノドクロアジが増加し、さらに黄アジとノドクロとの中間種化、混血種化の現象が現れ始めている。
 昨年今年と、松栄丸から送られてくる数少ない正箱のコツ箱の中から、松栄丸のアジらしい純粋種の黄アジを選別するのが、大変難しい作業になってきている。
 何故なのだ。原因はなンなのだ!!

松栄丸水産の松本司社長の説明では

1.南淡島一帯の下水道浄化設備は、塩素の殺菌使用のために、塩素を含むきれいだが、栄養素の全く含まない水の、海への垂れ流しを始めた。これは、かつて、東京湾、相模湾でも通った全く同じ道程であり、明らかに海を駄目にした大きな一因に挙げられている。
2. 陸上の森、林の伐採による通称、魚林の極端な減少による、海の非栄養価。
3. 阪神大震災による海底の地形変化は、魚の根、漁礁の破壊と生態の変化をもたらした。
4.海水温の上昇の常態化。
5.黄アジの小型の生態群が極端に少なくなっていった。
6. その他不明の原因。
 以上の複合的な原因によって沼島の黄アジの生態に異常異変事態を生じさせたのではないかと言う。
 今年は、7月に入ってやっと少量ずつ使い始めたのだった。とにかく沼島の黄アジが、かっての栄光の松栄丸の黄アジのように、シットリと程よく脂が乗り、甘みも濃く、密度の高い身質に良化してこないのだった。
 しかし、今年の海中検査では、瀬付きの黄アジの小サイズがだいぶ増えて来ているとのこと。来年には、本来の栄光ある松栄丸の黄アジの漁獲が殖えてくるのではないかと、期待されている。
では、松栄丸の黄アジの品質がもう一つ芳しくない現状で、かっての栄光の東京湾、相模湾の黄アジ達の消息はどうなっているのだろうか。

小田原地方卸売市場行
相模湾の黄アジを訪ねて


 今年の夏休みの大半を、右足の下肢静脈瘤の手術、入院に費やすことになった。手術は全身麻酔の中で行われると言う。この手術により、夜明け方の足の攣り、痙攣が治るというのだが…。
 8月10日、手術前の短い夏休みを、伊豆長岡の割烹旅館「新叶」にて、のんびりと清々しく、快適な一日を過ごす。
 翌日、神奈川県興府津駅前の興府津館に1泊。創業より3代続いた老舗だ。翌朝、近くにある早川漁協を訪ねようと仲居さんに相談すると、すぐに3代目のご主人が現れ、相談に乗ってくれた。この反応の早さには、お客さんに対する心地よいサ−ビス精神が感じられ良い気持ちにさせられたのだった。
 翌朝午前3時、旅館の仕入で市場に行くとのこと。しかし、この指定時間は市場への仕入時間としては、異常に早いことになる。いわんや市場は近いのだから。何か特別な理由があるのだろうか。とにかく、明朝の約束が決まった。
 市場まで約20分、真夏の深夜の、高速道路上の風は、まだ生暖かく気持ちが良かった。暫しの雑談の内に、市場に到着。市場は早川漁港ではなく、もう一つ先にある小田原地方卸売市場であった。眠りから覚めたばかりの市場は、まだ本来の活気を取り戻してはいなかったが、既にゆっくりと動き始めていた。
 午前4時、各地の定置網漁の魚を搭載した漁船の入港が始まった。セリ場の目の前にある岸壁で荷揚げが始まる。興府津館では、セリの前に、契約している定置網の網元から、魚を特別に下取りし、分けてもらうらしい。だから朝が早かったのだ。ご主人は定置網の種々雑多な魚の選別を手伝い始めた。本日は大不漁日だという。海水温27℃から28℃。真夏日の暑さの中、人間もダレているが、魚はもっとダレているようだ。とにかくシコイワシばかりだ。シコイワシの山であった。これでは金額がゆかない。シコは安価な大衆魚なのだ。市場の人達にとっては、泣きの1日が始まったようだ。
 小田原市場へ入荷する、鮮度良好の素晴らしい魚達のほとんどが、定置網によって漁獲されたものだと言う。最近では釣漁を専門にする漁師は、ほとんど皆無だ。釣漁では漁獲量が少なく、採算が合わないのだ。
 本日の主役はとにかくシコイワシだ。入港する漁船の関係者達は皆、漁船から吐き出されるシコイワシの選別で大忙しだった。

 今回の小田原地方卸売市場見学の最大目的は、幻の黄アジの消息についてである。
 入港した定置網漁船の荷揚げの魚たちを次々と点検してゆく。ノドクロアジ、クロアジが混在しているが、黄アジは全く見当たらない。
 やはり、黄アジは消滅してしまったのだろうか。
 国府津館のご主人に話しを持ってゆく。ご主人の周りには仕入の仲間達が集まっていた。吉祥寺にある天然魚の卸・小売りの魚屋さん「魚菜」。小田原のすし屋「寿司喜代」の旦那達だ。
「築地市場にはもういい魚がほとんど入荷してこない。嘘と騙し合いだけの築地には愛想がつきた。だから、今では小田原市場と沼津市場の魚を専門に、仕入をしている」と言う「魚菜」の旦那。「ここに来れば、正真正銘の地の鮮度の良い魚達が揃っている」と言う。しかし、魚の相場は決して安くはないらしい。背後に箱根温泉の観光地を控えているため、必要とあらば極端な相場の高騰となる。アジがキロ8,000円付けることがあると威張っていた。
「寿司喜代」の旦那は、地の魚だけで勝負をしていると言う。マグロは無いことが多く、海が時化て魚が揃わなくなると休業にしてしまうと言う。なんという気ままなすし屋なのだろう。
 さっそく、今回の目的でもある、小田原の黄アジの消息を聞いてみた。そして、この黄アジを最近も仕事に使っているのかどうか。
「たまには少量入荷することもあるが、本当に獲れなくなり、黄アジを専門に追いかけている漁師はもういなくなってしまった」と言う。
「さらに悪いことには、最近、二宮にあった定置網が廃業になってしまった」と言う。
「二宮の定置網は、他の定置網よりも黄アジの生息地である岸辺に、一番近い所に仕掛けられ、比較的多くの黄アジが入った。この黄アジは、キロ6,000円から8,000円の超高値を付けることもあったが、その後、黄アジはほとんど見かけなくなった。入荷しても、商売用に数を揃えるのは、最近では難しくなってしまった」と言う。
 結局、今回の、小田原市場訪問では、遂に黄アジにお目にかかれず、その入手は絶望的なものになっていると言うことであった。
 小田原卸売市場の近海での定置網の網元は以下のようになる。
米神(まなかみ)〜早川と根府川の間。 石橋〜早川沖。 五ッ浦〜二宮(休業中)。 
岩〜真鶴。福浦〜真鶴。 マルキョウ〜国府津と小田原の間。 大磯。 赤沢〜富戸の先。
江の安〜江之浦、真鶴の手前。 原辰〜根府川。 杉本〜川奈。

千葉県浜金谷、保田、勝山行
東京湾の黄アジを訪ねて

 9月15日(日)、16日(月)
 14日(土)、朝の9時から夕方6時30分まで、きき(口利き)酒師認定資格試験のための講習会に出席。従来の日本酒の評価方法である日本酒度、酸度、アルコ−ル度数による甘口、辛口の識別ではなく、ワイン的な評価方法による、日本酒の新たなる香りと旨さの識別、評価、表現を学ぶ。薫酒、爽酒、醇酒、熟酒。日本酒の新たなタイプ別区分法の登場だ。
  10月25日本試験。以前から日本酒の世界は一度本格的に勉強しなくてはならないと思っていたのだった。試験もあり、良い機会となりそうだ。朝10時から夕方6時頃まで続いた講習はなかなか面白かった。

千葉県、浜金谷の金アジ

 浜金谷では、黄アジを金アジ、黄金アジと呼んでいる。
 9月15、16日の連休を利用し、千葉県浜金谷の、通称「金アジ」を確認に行く。
 浜金谷は、川崎との間のフェリ−ボ−トの出着地として知られているが、昔から金アジの名産地としても有名である。本日の泊まりは「かぢや旅館」。駅から歩いてほんの10分。途中の海に注ぐ小さな川で、小魚が群れをなして泳いでいた。秘密兵器の双眼鏡で観察。エラ下の黒い斑点とキラキラと光る細かい銀色の鱗から類推すると、コハダではないかとも思ったのだが、地元の人はセイゴの子供だろうという。
 午後12時、地元の鮨屋の富すしにて昼食。ネタとシャリの大きさを売り物にしていた。
 さっそく冷え冷えのビ−ルと燗酒だ。肴を切ってもらう。驚いた。一切れのバチマグロの大きさが約40g。1切れを3口で食べることになった。金谷の金アジも切ってもらう。鮮度ダメ、脂なし、身肉がダレている。甘み香りなし。金谷の金アジは無駄足だったのだろうか。昼食後、散歩を兼ねて海岸に出る。遊漁船が帰港していた。アジ釣船の釣人に本日の獲物を見せてもらう。中小サイズのノドクロアジとクロアジ達だった。今回の金アジが黄アジと同一種であるという仮定は空振りに終わるのだろうか。
 悔しいので漁師と釣り人に、金アジ、金アジ、真アジと黄アジ、黒アジとノドクロアジ、としつこく声を上げて聴きまわった。声を掛けてくれる人がいた。ベテランの釣人であった。遊漁船での釣りアジではなく、小さな岩礁の岩場の島に、船が渡してくれる渡船釣でのアジだと言う。
 12センチほどの小アジであった。見事に黄金色をしていた。体高は黄アジほど高くは無いが、背ビレ、胸ヒレ、尾っぽが見事に黄金色であった。尾っぽは小さく丸く、まるで鮎の尾のようだ。
 このサイズのアジは釣れるのだが、成長するとこの岩場では釣れなくなってしまうのだと言う。このアジがいるのだから、中アジもきっといるはずではないか。

 翌朝5時。金谷漁協へ見学に行く。漁協は閑散とし、漁協の担当者がたった一人でなにやら仕事をしていた。今日は9時ごろにならないと魚は入荷してこないと言う。なんと言うことだ。昨日の釣船屋さんの話とは全く違うではないか。騙されてしまった。
 5時半、ぼちぼちと遊漁船の準備が始まった。年配の漁師さん達を捕まえては質問をぶつけてゆく。
 黄アジとノドクロアジとの違い、金谷の金アジは黄アジか?
この浜でも黄アジとノドクロアジ、その中間種クロアジの違いは明確に区別をしていた。「浜金谷には七瀬(ななせ)と呼ばれる黄アジの絶好の漁場があった。40年前、氷の手当てのあまり十分ではない時代に、七瀬のイサキ、黄アジを船倉の海水の中に入れ、活けで築地へ出荷したものだった。1キロで8尾から10尾のアジが、キロ単価4,000円付けた」と言う。本当だろうか、40年前のこの値段は、異常なほどの値段となる。「島の根に居付いているアジは、黄アジ、根アジと呼ばれている。この浜金谷では、アジの漁は全て釣漁となるが、最近では、アジを専門に追っかけていた漁船は全て遊漁船となってしまっている」と言う。「今でも金アジは釣れてはいるのだが、漁があまりにも少なく、漁師達でこのアジを専門に追いかけている漁師はもういない。だから気の利いた漁師は、釣り人にこの金アジを釣らせている」と言う。
 昨夕の遊漁船達の状況からして、本日、この浜金谷にいても、金アジにお目にかかることは極めて難しいことになる。場所を変えたほうが良さそうだ。 

天羽漁協、保田支部行
 隣の町の天羽漁協保田支部へ移動だ。
 しかし、早朝過ぎて、タクシーはまだ稼動していないと言う。おりしも電車の時刻表がピッタリと味方をしてくれることになった。
 天羽漁協保田支部は、JR保田駅から徒歩15分。散歩にはちょうど良い距離であった。
 7時50分、保田支部着。既に魚が入荷し、セリ場に並べられていた。しかし、少ない。こんなに入荷量が少なくてはセリにならないのではないかと心配するほどだった。入荷減少の最大の原因は昨日からの定置網の休漁によるものだった。保田の定置網漁は、毎年10月1日から9月15日まで張られるとのこと。1年にたったの15日ほどの休業日しかないのに、見事にその日に当たってしまったのだ。刺し網と底引き漁の魚が少し並んでいたが、アジはノドクロアジとクロアジが少し混じるだけであった。定置網漁が全盛の時期には、黄アジが少し混じるのだと言う。漁協の担当者の方々も全くのんびりとしたものであった。
 やがて、館山から定置網漁の魚がトラック便で入荷してきた。アジは、アジは?……
 やはりダメであった。アジは全てノドクロとクロアジであった。
 8月16日、海水温27度から29度。これは異常だ。今の時期、通常では18度から19度位の筈なのだ。これでは旬の魚が全く獲れず、変調を起こしてしまう筈だ。
 4月頃、今年はワタリカニがまとまって刺し網にかかったという。そして3月から4月に掛けては、クルマエビの刺し網漁をするのだという。この頃三陸のヒラメが最盛期となるため、あえて競業せず刺し網の網目を細かくし、40から60グラムのクルマエビ漁に替えるのだという。
 かくして、また金アジにはお目にかかれないのだった。幻の金アジは本当にいるのだろうか。
 幻の金アジを求めて、今度はさらに又隣の勝山漁協に移動することになった。

鋸南町勝山漁協
 今回の黄アジを訪ねての旅では、勝山は当初からの目的地の一つであった。築地市場の荷受けである東市の近海担当者森川氏と、千葉県大貫の産地荷受け業者である大川丸の平野社長との二重の紹介のもと、産地荷受け業者の八佐丸水産を訪ねる。
 保田から勝山漁協までの距離は徒歩15分ぐらいと言う地元の人の説明に乗って、歩くこと30分。勝山漁協に着いた頃には疲労困憊、夏の下肢静脈瘤手術の傷が疼いていた。
 漁協には八佐丸水産の方はまだ誰も来てはいなかったが、魚の入荷量は浜金谷、保田と比較するとはるかに大量に多かった。
 アジは、アジは…。黄アジは……。セリ場に並んでいるアジ達はやはりクロ系とノドクロアジであった。

八佐丸水産
 漁協での入札の時間までは、まだたっぷりとあった。徒歩で5分。八佐丸水産を訪ねる。
 事務所に入り自己紹介をしようとした矢先に、驚いてしまった。久々の感動の再会であった。
 かって松栄丸水産の松本司社長に誘われ、入会した流通研究会のメンバーだった。流通研究会は18年も前頃、全国の産地荷受けの若手経営者達と、築地市場及び全国の地方卸市場に所属する有志達によって組織されたものであった。当時のすでに始まっていた、革命的な流通の大変革の中にあって、いかにして変革のリーダーシップを先取りするかという大命題のもとに活動していた。
  松栄丸水産の社長松本司氏は、そのリ−ダ−の一人だった。淡路島南淡の沼島の黄アジを、当時としてはまだまだ江戸前の魚の偏重傾向の中で、鮮度と熟成の旨さを看板に、稀有なブランド志向のアジとした実績は、生鮮魚の流通業界の中で、特異に輝いていたのだ。当時、年1回の総会は、それぞれの会員の地元での持ち回りであった。勝山の八佐丸さんはこの会の総会、集まりの中で、一緒に飲み、意見を交換し合った仲間であった。
 そしてやはり15年も前頃、テレビの取材で、一本釣りのアオリイカの取材で行ったのが、やはり勝山だった。僕が付き合った漁師は、当時すでに絶望的に少なくなってしまっていた、期待の若手の漁師だった。まだ反抗精神いっぱいのチャキチャキの20歳だった。「このまま若い後継者達が出てこなければ、鋸南勝山の海は将来、皆俺達のものになるのさ」、勝山では同期の漁師はたった一人しかいないと威張る、貴重な誇り高い漁師だった。その漁師、しんチャンはアオリイカの一本釣りとスズキなどの延縄漁を得意としていた。さらにそのしんチャンは八佐丸水産の○○氏の隣に住んでいたのだった。
 あれからしんチャンは結婚し、すでにもう3人の子の親となっていると言う。後での再会が楽しみだ。しばしの歓談の後、漁協にて本日入荷の魚の説明をしてもらう。
 本日入荷のアジの中には残念ながら目的の黄アジは見つからなかった。しかし、僕の説明している黄アジは十分に認識してくれ、勝山の地元のアジの世界を説明してくれたのだった。
 勝山では眼アジという言い方があるらしい。アジの全身の型が、人間の眼のように丸く楕円なのだそうだ。それが勝山の金アジの最高級魚なのだそうだ。しかし、この眼アジは、最近ではほとんどお目にかからなくなってしまっているという。勝山では、定置網漁がメインである。黄アジは全て一本釣りで釣られるのだが、最近、ほとんど入荷しなくなっていると言う。今日は、夕方の4時頃に、アジを1本釣りで獲っている船が2艘帰港するが、待つ甲斐はあるよとの説明だった。
ただひたすら午後4時の帰港を待つ。
 午後4時。帰港した2艘の漁船からのアジが、別々の小さなコツ箱に並べられた。片や少し細身で型も小さめなのだが、金色に輝やいている。片や眼アジに似て丸く、太り、型は大き目の中サイズで、やはり金色に輝いていた。両方共に松栄丸水産扱いの沼島のアジ程には体高は高くはない。
 なるほど、これが勝山、保田、浜金谷近辺に生息している金アジなのだろう。何度も何度も触ってはひっくり返して観察したのだった。
 やがてセリが始まった。セリ場の魚達は、次々と競り落とされてゆく。八佐丸水産もかなり強気に競っている。そして問題の黄アジのセリになった。八佐丸水産は両方の黄アジに札を入れたのだが、
 眼アジ風のいい方のアジは、見事にセリに負けてしまった。あら、あら、アラ…だった。
 帰り際に競り落とされた金アジと太刀魚を土産にもらった。翌日の昼、店の調理場で捌き、毒見してみた。なるほど、さすがに甘みが強く、しっとりとした身肉の締まりは、噛んでいて心地が良かった。来年はこのアジを追っかけてみる必要がある。問題は、極端に微少な漁獲量のために、入手出来るかにかかっている。
 4時頃、かっての釣り漁の名人であったと言われている親父さんとお母さんの出迎えの中を、颯爽としんチャンが帰港して来た。15年前の船よりも3倍近く大きい船であったが、操業は一人でこなすらしい。しんチャンは、今ではタチウオの延縄漁の名人なのだと言う。タチウオは、年に4回も産卵時期があり、通年釣れるのと、値もイイ値が付き、稼ぎになるのだそうだ。勝山の漁協の中でも常にトップクラスの漁獲量であり、一人で、6人の家族を養っていると言う。15年振りの再会だったが、すっかり逞しくなり、以前と変わらぬ向こっ気の強さと、漁師特有の気質と貫禄が付いてきたように見える。
当時一緒に漁師になった友人もライバルとして、秋刀魚船に乗り、気張って海に出ているという。
 平成14年10月30日

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あまくさ漁業協同組合・天草町統括支 行
    (熊本県・天草下島、西海岸)
             平成15年8月16・17日


天草下島と「五足のくつ」

 羽田から福岡空港、さらに天草空港へと乗り継ぎ、天草下島西海岸・下田温泉に至る。熊本県天草は宇土半島の西、長崎県島原半島の南側に横たわり、天草上島と天草下島の二島からなる。二島は宇土半島より橋で繋がれ、さらに天草下島に3年前にできた天草空港は、熊本空港・福岡空港より30分程の航程で来られるようになった。今回の最大の目的は、やはり3年前にできた旅館、「五足のくつ」に宿泊することと、天草下島西海岸の漁協を見学することであった。しかし、「五足のくつ」は既に高級旅館として人気が高く、1日しか予約が取れなかった。前日は、国民宿舎あまくさ荘に一泊、翌日、直ぐ上の5分の距離にある「五足のくつ」に一泊することとなった。
  国民宿舎「あまくさ荘」、1泊2食付き12,000円。「五足のくつ」36,000円、値段の違いは全てに現れていた。環境、風情、サービス、料理、全てに過剰さを感じさせない落ち着きがあった。国民宿舎としての「あまくさ荘」の酷さが殊更に感じさせられたのだった。
  今年の8月は、全国的な天候不順の中で、特に九州地方は崖崩れのため、民家が埋もれる災害が多発している。当地の当日は、集中豪雨になるだろうという朝の天気予報に恐れをなし、自宅から「あまくさ荘」に電話を入れる。当地は現在、大晴天であり、当宿舎は崖下ではなく、崖上にあるので埋もれる心配はないとの返答、笑ってしまった。
  2日間薄曇りと晴れの中、透明な海と清澄な空気を満喫する。近辺の草花、木々、葉っぱの色の美しさは、日本の自然の色の素晴らしさであり、絵心を大いに刺激してくれた。
「五足のくつ」とは、5人の詩人、北原白秋・木下杢太郎・平野万里・吉井勇・与謝野鉄幹が来島した記念に名付けられたもので、今でも文学散歩道が道標とともに整備されている。この散歩道がすごい。林の中はまさに蝉しぐれの状態。時折り飛び出す小鳥達のさえずり、見たことのない美しい蝶々の羽ばたきは、「てふてふ」そのものだった。今年の長雨のために大発生したと言う虻がしつこく付きまとい煩しいことこの上ないのだったが、森林浴の清々しさをたっぷりと味わうことができた。 しかし、突然木の上から左の二の腕に落ちてきたダニの群れには、身震いして飛び上がってしまった。
  天草下島の南、直ぐ下には、3年前に新イカの勉強に訪れた鹿児島県出水、東町の先端に位置する、獅子島があった。船に乗せてもらい、お世話になったスミイカの底引き網漁の名人、松原義光さんと奥さんは元気にやっているのだろうか。東町漁協は、この夏、赤潮の大発生でハマチの養殖業者達が大きな損害を出したと聞いているのだが…。目と鼻の先の距離であり、好い旅の思い出と共に、大きな収穫のあった冒険旅行の懐かしさが蘇えってきた。

あまくさ漁協

午後2時、あまくさ漁協へ出向く。旅館の調べでは、午後4時頃に釣り漁の入札があるとのことであった。途中、天草産の磁器土による地場焼きの窯元があったので見学したのだが、見事に雑器で、観光土産用の焼き物であった。下田温泉より約20分、漁協には人っ子一人いなかった。休漁の恐れもあり、漁協の中に入り声をかける。若者の職員が出てきた。
漁協の漁獲魚について教えてもらう。
「あまくさ漁協の漁師達の漁場は、黒潮洗う東シナ海となる。巻網、定置網、底引き網漁が主となり、夏から晩秋にかけてはアジの一本釣り漁が盛んとなる。ここのアジはかなりの高値に売れるらしい。夏場には定置網に1トンから2トンの大量なバリが入ると言う。アワビ、ホウ貝、ブウ貝は潜水漁で獲られる。
  冬場にはマダイ・イトヨリ・レンコンタイ・アカムツ・クロムツ。7月・8月の定置網にはスズキが入るが、地元ではほとんど食さず、すべて熊本の田崎港に出荷される」と言う。
「ブリは、モジャコ・ヤツ・ハマチ・ブリと成長する。底引き網には、シズ・コウイカ・ミズイカ・ヤリイカ・アカイカがかかり、11月・12月にはヒラメ漁が盛んになる。」

あまくさアジのブランド化の戦略
 これから4時頃になると釣り漁の漁師達が帰ってくると言う。アジを専門に釣っている漁師達だ。漁獲される魚の種類を教えてもらっているうちに、新子も少し獲られると言い出した。東京のすし屋達の新子に対する熱狂を教えると、ただただ驚嘆の態であったが、遠すぎて発送の手段がないという。4時10分、一艘の漁船が帰港するも、漁協の前を素通り。今日は漁が無かったのだろうと言う。 やがて2艘目。釣り漁にしては大型の漁船で、親子二人での漁であった。普段は底引き網漁をしているらしい。今の時期の釣り漁は、もっぱらアジ専門なのだと言う。
  漁協前の岸壁で、荷揚げの準備をしている年配の漁師に声をかけ教えを請う。漁船名大勝丸。船長兼漁師は唐田順也さん。漁は黄アジか黒アジかを訊ねる。黄アジ専門だと言う。これは面白いことになってきた。天草で黄アジにお目にかかれるとは思っても居なかった。かっての調査では、関アジも含めて、九州には黄アジは生息していないということであった。少なくとも築地卸売市場には出荷されて来てはいないと言う結論だったからだ。
 若い職員の準備した氷たっぷりの海水の中に、船中の生簀からタモですくい上げたピチピチのアジを落としてゆく。美しい金色に輝き、魚体も大きく、ゆったりと太り、見事であった。氷海水の中で、とりあえず半殺しにするのだと言う。半殺しにしたアジを、頭を右に、腹を向こうに置き、小庖丁を逆さ庖丁にし、鰓下に切り込みを入れ、延髄を切る。一瞬、体色がサッと変化し、活け締め完了だ。さらに別の氷たっぷりの海水に15分ほど漬け込む。身を締め、綺麗な金色を出すためだと言う。
  傷ものは徹底的にチェックされ、品質には万全を期していると言う。ここには漁協、漁師達の誇りと良心が、まだしっかりと生きていた。
  あまくさ漁協では5年前から一本釣りのアジをブランド化するために、様々のテクニックを施す戦略が採られて来た。釣り上げられたアジは、その瞬間から出荷の最終作業の時点まで、ゴム手袋をはめることによって一切素手で触れられることはない。鮮度の維持と保護のためだ。さらに氷と庖丁で締めることによって、理想的な鮮度の、浜締めのアジを出荷することを可能にした。これは関アジや松栄丸のアジの模倣でもあるが、アジの品質の高さと相俟って、見事な評価を得ることになり、高値で売れるようになったと言う。3キロ箱のアジがキロ単価3,000円前後で捌かれると言う。
  本日の大勝丸の漁は30キロ、約9万円の成果であった。この漁が12月頃まで続行し、アジはさらに良化し、最盛期に入ってゆくという。平行して漁獲される定置網漁のアジは、逃げようとしてもがき、暴れるために、脂が落ち、さらに氷で締めるだけで出荷するため、釣りものの半値近くになってしまうと言う。15分後、氷水から出されたアジの発色はあまり期待したほどではなかった。薄めのコツ箱に下氷を敷き、プチプチのビニールを乗せ、さらに硫酸紙を敷き、アジを並べ、しっかりと蓋をし、封をする。1箱に3キロのアジを並べる。7尾入りと10尾入りに仕分けされる。かなり大きめなアジだ。しかし、11月、12月の最盛期になると、さらにサイズが大きくなり、脂もタップリと乗ってくると言う。
  この辺では最盛期のアジを「秋アジ」という呼び方をするらしい。なにやら生態が全く異なるようだ。漁場の距離を訊くとヒラアジは3,000メートル程沖合い、水深50から60メートルだと言う。これは変だ。それではと、黒アジの漁場を訊くと2,000メートル程沖合いの水深100から110メートルだと言う。アジは11月頃に卵を持つものと4月に卵を持つものとがあると言う。これでは両者共にまるっきり黒アジの生態ではないか。箱に並べられた黄アジ達は、少し金色が失せ、黒アジの風態を呈してきた。
 アジは夏場では3キロ箱に7尾入りまでだが、秋アジになると3キロ箱で5尾入りの大きさにまで成長する。黄アジはキロ3,000円前後、黒アジは、3キロ箱で1,0000円位安くなるという。しかし良く太っている。丸々としているのだ。これでは試食してみなければならない。唐田さんに、一番太ったヤツを2匹試食用に分けて下さいと交渉すると、全く無料でくれてしまった。太っ腹だ。いい男だ。さすが海の男だ!!
 旅館で料理してもらうことにした。死後硬直を承知で、ビニールを二重にし、氷を入れて持ち帰り、翌朝の朝食に刺身で出してもらうことにした。夕食までの間、旅館のバーでマッカラム17年をストレートで飲る。バ−テンダーはなかなか気の利いた好青年である。水中カメラマンを志し、この数年、年に300本近く潜ると言う。水中での面白い魚の接写を撮るには、自分の気配を完全に消すことを要求されるのだと言う。気配を消すと魚が逆に興味を持って寄ってくるようになるらしい。
  彼は、さすがに黄アジと黒アジの区別と、旨さの違いを良く知っていた。潜っていると、岸辺付近に黄アジが生息しているのをよく見かけるらしい。しかし、数が少なく、漁師の釣り漁の対象にはならないのだという。

あまくさアジの旨み
 翌朝、程よい分量の気の利いた朝食と共に、アジの姿造りが出てきた。身肉はまだ少し歯応えを残し、血合いは見事に鮮明な朱色を見せていた。
 しかし、黒アジの特徴でもある血合いの部位が大きく、脂は充分にのっているのだが、黄アジの持つ程よい甘みの旨さに欠けるところがあった。このアジはやはり黒アジ系の真アジであった。しかし見事に太り、見事に脂が乗り、適確な選別と鮮度処理の巧みさと共に、九州を代表するアジとなっているようだ。       平成15年8月20日

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黄アジを求めて 十六年ぶり、再度の沼島行
               平成16年7月18日、19日

黄アジと黒アジ
 沼島は淡路島の南端、土生(はぶ)港から更に南へ約10分の海上にある。北西に鳴門海峡、北東には紀淡海峡を望み、両海峡の流れは紀伊水道に至る。沼島はこの3地点の中心地帯より少し北側に、まるで淡路島に寄り添うようにして浮かんでいる。
  豊饒な海域には最高品質の魚達が生息し、黄アジ、ハモ、マダイの名産地として京阪神を中心に名を馳せてきた。特に生態系が弱く、希少品種となってしまった黄アジの数少ない貴重な漁場として知られている。
 アジは真アジが旨い。しかしこの真アジをさらに厳密に識別すると、クロアジと黄アジと、この2種類の混血種との3種類に区分することができる。
  クロアジは沖合いに生息し、巻網漁によって大量に漁獲される。黄アジは岸辺近くに生息し、漁獲量が少なく、巻網漁では規模が大きく不経済となるために、1本釣か定置網によって漁獲される。この黄アジこそが、真アジの旨さの真髄を内包し、江戸前鮨の名店達が最も美味なアジとして追い求めたアジなのだ。
  しかし高度経済成長時代の昭和40年代に入り生じていった数々の環境の変化は、河川、海の汚染を助長し、生態系の変調をもたらしていった。黄アジはじわじわと減少を始め、外海に生息しているクロアジの生態系に同化あるいは侵食されてゆき、クロアジとの混血種になっていった。
  この変調は当初、ほとんどの漁業関係者すら気が付かない程の密やかな速度で進んでいった。そして気が付いた時には東京湾、相模湾の黄アジ達のほとんどがクロアジとの混血種となってしまっていた。
  純粋の黄アジは絶滅寸前の状態にあり、あまりにも漁獲が少ないために、漁師達の1本釣りの対象とはならなくなってしまった。効率があまりにも悪く、稼ぎにならないのだ。

松栄丸のアジ
 20年も前、築地での仕入れでたまたま出会った「松栄丸のアジ」の旨さに驚き、それ以来お客さんと喜びを共有していったのだった。旨さを追いかけ追いかけ、その全貌を知りたくなって、18年前、遂に淡路島に渡っていったのだった。漁船に乗せてもらい、沼島の漁師達の鮮度維持のための絶妙な釣り技の一部始終を観察したのだった。
  さらに松栄丸水産での選別と、盲点を突いたような出荷体制による鮮度維持のための特異なテクニックに驚かされたのだった。
 その後、「松栄丸のアジ」としてすっかりブランド化していった沼島の黄アジが、5年ほど前から著しい変調と激減を見せ始めた。まるでかつての東京湾、相模湾で生じた黄アジの異変と同じような経緯をたどり始めているようだ。
では、
1)栄光の沼島に何が起こっているのか?
2)漁協、漁師達は何を考えどのような行動をしているのだろうか?
16年前、松栄丸水産の紹介による沼島の黄アジ漁の見学以来、松栄丸水産訪問はもう10数回にわたっているのだが、今回は久々に沼島で漁師と共に船に乗り、再度黄アジの1本釣の現場を見学させてもらうことになった。黄アジの現場での様々な疑問解消のための久方ぶりの訪島なのだ。

沼島
7月18日(日)
 徳島空港着15:00。松栄丸水産の松本司社長と長女で役員となっている、かおるチャンの出迎えを受ける。
 空港から南淡まで50分、土生(はぶ)港からさらに10分の海上に沼島は浮かんでいる。
 土生港では長男の信仁君の出迎えを受ける。今日は仲間と船釣りを愉しんでいるのだと言う。
  仲間の中に大阪のイタリア料理店トラットリア・パッパのオーナーシェフ、松本喜宏さんの顔があった。研究熱心で松栄丸扱いの魚に出会ってから、魚料理の素材は松栄丸の魚が主役となってしまったと言い、定期的に東京へ食べ歩きの勉強に来ている。
 僕の『江戸前鮨  仕入覚え書き』を読んで十分に刺激されたと言い、当店までわざわざ鮨を食べに来てくれた。そう言う嬉しいことを言ってくれる料理人なのだ。
 晴天の中で近づいてゆく沼島は予想以上に大きかった。
 今日の泊まりは沼島港のまん前にある食堂、「あさやま」だ。店は若夫婦と子供2人の4人でやっていた。今日明日の連休は稼ぎ時で満員の予約に嬉しい悲鳴をあげている。
  ハモ、黄アジなどの素朴な料理と冷たいビールで早速乾杯だ。今回の訪島の目的と最近の沼島の状況などに話の花が咲いた。
 沼島には、太古の昔、神々が造った最初の島だと言う伝説がある。イザナギとイザナミの二柱の神が、虹のような天の浮き橋にたち、天の沼矛を海中で掻き回し、引き上げた時、その矛先から滴り落ちた塩が固まって「おのころ島」が出来たと古事記に記されている。日本列島で最初に誕生した「おのころ島」が、現在の沼島であると言う伝説が残っているのだ。
 夕飯の時間までの1時間半ばかりを利用して散歩に出る。おのころ神社は沼島港に面した小道を山の方角に登り詰めた所にあった。この小高い山そのものをご神体としているらしい。最近改修され、石造りの階段も奇麗に整備され、イザナギ、イザナミの像が奉られていた。

沼島の黄アジの現状
 海岸通りからぶらぶらと漁師町に入って行くと、あちこちに縁台が置かれていた。縁台が夕涼みと近隣の団欒の場になっているのだ。村の老人達が話すとも無く座っている。話し掛けると漁師さん達であった。
 1人は78歳、一昨年に引退し、息子2人が漁師を継いでいる。現役中はアジ釣り専門だったと言う。沼島の黄アジ釣りの黄金時代を過ごした漁師だった。黄アジの減少とクロアジとの混血化は十分に承知していた。
  もう1人の老漁師はまだ現役だった。アジ釣りが苦手で、ハモやマダイ等を釣っているのだと言う。お2人の話は次のようなものであった。

1) 阪神淡路大震災以来、魚がめっきりと少なくなった。海の中の地形に大きな変化があったようだ。餌になるイカナゴが獲れなくなり、黄アジだけではなく、マダイもハモも大きく漁獲量を減らしていると言う。
2)さらに9年前には塩素処理による下水道が完備された。塩素処理は水の浄化という衛生面からの発想だけで、微生物、プランクトン、魚介類、海藻類の繁殖と生存をダメなものにしてしまっている。
3)そして3年前、全国的に猛威をふるった松喰い虫が沼島でも大きな被害を出した。松喰い虫撲滅の農薬の散布が、保護鳥であるハヤブサの生存環境の悪化をもたらすと言う環境団体の抗議のために、中途半端な状態のまま実行不可となり、ほとんど全ての黒松が立ち枯れていった。
  赤松は比較的残ったのだが、山の上は、見事に禿げ上がってしまったと言う。森林の消滅による山崩れと汽水域での海藻、プランクトン、魚介類への影響が懸念される。
4)さらに散歩をしていると掲示板があった。数字が羅列しているのだが意味が判らず考えていると、またまた別の漁師さんの登場であった。50歳位の体格の良い働き盛りのベテラン漁師であった。
  漁獲された昨日の魚価のキロ単価の羅列なのだと言う。あまりの安さに数字の意味が通じなかったのだ。
  沼島のアジの主役である体高があり、鰭を金色に輝かせている黄アジは、最近では極端に減少してきているが、クロアジ、混血種も混ぜたアジ全体の漁獲量はそれほど減少はしていないのだと言う。しかし、黄アジの減少による魚価の値下がりは漁獲高の減少となり、漁師の収入を減らすことになってきている。
  沼島の水道水は対岸の淡路島から海底を通して送られて来る。また夏期の水不足に備えて神戸の灘側からも海底パイプを通して送られて来ると言う。
5)淡路島の南淡では夏期の水不足に備えて阿万の本庄川にダムを建設したと言う。ダムの建設は上流の森林、樹木の伐採につながり、汽水域に生存する生物達の栄養素の摂取に対して大きなダメージを与えてしまっていることだろう。
6) 島の周りに漁礁になるように廃船を沈める案もあるのだが、海上保安庁が許可しないのだという。昔沈めた廃船の処理が悪く、航行に大きな支障をきたしたことがあったためだ。しかし、コンクリートではない廃船による漁礁造りは理想的であり、海上保安庁の柔軟な対応が求められている。
7) 継続的に見られる藻場の減少に対して、ホンダワラなどの海藻による新たな藻場の育成も必要とされ、徐々におこなわれているのだと言う。

  これらの複数の出来事が、黄アジ減少の原因となっているらしい。
 沼島の漁師はそれぞれが勝手に淡路島の4社ある産地荷受け業者と契約し、沼島港で直に荷渡ししてしまうことが多い。
  そのため沼島漁協としての働きが弱く、組合員同士のまとまりに欠け、組合長の成り手が出てこないのだと言う。これでは漁協という単位での発言、要求、活動に大きな支障をきたすことになる。現在も漁協の組合長は不在となっていると言う。
 食堂「あさやま」の夜のご馳走はたっぷりと見事であった。玉ねぎがたっぷりと入ったハモしゃぶは、我が女房との2人前としてはあまりにも量が多すぎた。 玉ねぎが甘く素晴らしく美味であったが味付けが少し濃い目のために玉ねぎの旨さと相俟って、ハモの旨みが消されてしまっていた。
  最後に楽しみにしていた、たっぷりと贅沢な大盛イセエビの天丼は、もう腹がくちすぎてギブアップの状態となり、中止にしてもらった。残念、無念!!

沼島の黄アジの1本釣り漁
7月19日(月)
 午前5時起床、5時半には「あさやま」の女将さんの弟さんだという漁師の前川仁さんが迎えに来てくれた。
  以前、テレビで「沼島の花嫁」という番組があった。女性との交際の機会の無い島の若手漁師達の結婚問題は島の重要な課題であった。
  4週間にわたる番組の放映は全国的に大きな話題を呼び、100名の花嫁候補が名乗りをあげ、40組のカップルが生まれ、その中の8組が目出度くゴールインしたのだという。
  前川仁さんの奥さんはその時に応募した大阪生まれの美人であった。もう10年前の事だとちょっと照れながら話す旦那も甘いマスクのなかなかのハンサム漁師だ。
 沼島の人口800名。内漁師は約180名位。漁船、約100隻。本日の操業は60隻程だと言う。
 雲ひとつ無い晴天の中を漁場に向かう。握り飯を渡され、真新しい白の長靴を履かされ、今日は一緒に黄アジ釣りをすることになってしまった。
 子供の頃のハゼ釣り、すし屋になってからの海、川、渓流、湖での「お付き合い」としての釣り経験の中で、およそ自分の釣才能の無さを思い知らされて来ているので、今さらの思いがあったのだが…。全ての釣りで「つ抜け」をしたことが無いほどなのだ。
 釣り道具、仕掛け一切の面倒を見てもらい、黄アジの手繰り釣りが始まった。
 我々の漁場には他の遊漁船も交えて常に7、8隻の漁船が集合している。合わせのポイントを教えてもらい、手繰り漁が始まった。
  微妙な当りを感知できずに釣り遅れていたが、やがて釣れ始めた。中小サイズの黄アジだ。
  全体的に金色が鮮やかに光り輝き、意外にも尻尾は小さめで、両先端が丸みを帯び、少し黄緑色を帯びている。
  この尾鰭の形状と色合いは、築地でみる黄アジとは少し異なっていた。千葉県浜金谷で見た金アジの子供に似ている。
  釣り上げられたアジはバケツの上に張られた釣り糸の上で一振りすると、アジの自重のためにスルリと針が外れるのだった。これこそ沼島の漁師達の秘技なのだ。釣った魚に一切手指を触れない。触る度に鮮度が落ちてゆくからだ。
  お昼頃までで船頭の前川さんは120匹位、僕は30匹程。僕の釣り人生の中では最高の釣果となった。

黄アジの2年もの、中小サイズの旨さ
 今回の漁場での黄アジは全て中小サイズの中では小さ目のサイズだった。
  このサイズは、片身がちょうど姿の良い一貫付けの握りすしになり、脂の乗りも少なく淡白ゆえに、江戸前の高級すし屋で好まれ、珍重されてきた。
  しかし、松栄丸水産に代表される沼島の黄アジの本領は、中小サイズの中でも大きめのサイズの旨さにある。4月頃に60から80グラムサイズの2年ものが、旺盛な食欲のなかで、7月から8月にかけて一気に120から130グラムに成長する。
  旬の最盛期と共に乗ってきた強い甘みを内包する脂は、絶妙な鮮度維持と熟成のテクニックによる食感を伴い、最高の旨さに昇華しているのだ。大きめの中小サイズは片身2貫の握りで、1匹のアジが4貫の握りすしとなる。
 なお、沼島のほんの目の前、南淡の土生港の周辺にある定置網に入るアジはクロアジ系が多いという。瀬付きではなく、外海から流入してくるアジなのだ。このクロアジ系が出荷の際に紛れ込むことがあるらしい。
 午後から淡路島阿万にある松栄丸水産を訪れ、会長と久々の再会。相変わらずのお元気で、よどみの無い話は切れ目が無く、方言交じりのために耳が慣れず、良く聴き取れないところが多少あった。
  魚の出荷準備を見学しながら、信仁君に今期の当店宛てに出荷する黄アジの厳密な選別を依頼する。

7月20日(火)
 午前7時半、築地市場の誠和水産にて、松栄丸水産より当店宛てとなっている黄アジのコツ箱のシールを剥がす。
  中小サイズの黄アジの尾っぽは、毎日築地で見慣れている通常の黄アジの形状と色具合であった。薄い黄色に染まったものであり、船上で釣り上げたばかりの尾の上下先端のラインが丸く揃い、少し黄緑色をしたものではなかった。
  上下の先端が尖がり、ラインは少しづつバラけている。金色がかっていた体色も少し薄目の黄色に変化している。これはなんなのだ。体色の変化は理解できるが、尾っぽの尖がりとバラツキの原因はなんなのか。
「釣り上げられたアジが船上の生簀の中で泳いでいるうちに、ストレスと船倉でのこすりのために変化し、荒れてしまうのではないか」と信仁君は推測しているのだが。そう言えば、土生港で選別されていた黄アジ達の尾っぽは、まるでクロアジのようにもうすでに少しバラけていたのだった。東京までの輸送途中の変化ではないようだ。
 7月も終わりに近づき、やっと松栄丸の黄アジが本格的に美味となってきた。今年も不漁年で数が少なく、良品の選別は大変だが、これから水温の下がり始める10月頃まで、楽しみが続くことになるだろう。      平成16年8月1日

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真鯖(マサバ)

 夏が終り、魚の旬がチョット中途半端になり始めた9月の上旬、仕入で旬を追いかけてゆくのが少々つらくなってくる。夏の白身はほぼ全滅、秋の白身は未だ始まらず。アオリイカは産卵でもう終り、その替わりに待望の新イカがやっと間に合って感動の初入荷だ。シンコはさすがの高値も収まり、3枚づけから1枚づけの大きさに成長、戻りカツオはやっと三陸沖に達し、 ターンの気配開始。特大マダカアワビは、やがて禁漁期を向かえるも、超高値のまま晩秋の産卵に備え、最後の輝きを増し、美味肥大。そんな頃に「秋サバ」の第一報が入ってくる。松輪のサバだ。他の産地のサバに先んじて、たっぷりと脂が乗っているヤツが混じり始める。このサバは、東京のすし屋にとって、秋の到来を告げる大切なサバなのである。

秋鯖の旬 平成9年状況
 平成9年は平年より1ヵ月余も遅れ、10月上旬頃より、「秋サバ」は旬に入っていった。
 5年前頃より、全国的不漁年に突入。旬、産地、脂の乗り具合、全てに大異変が生じている。9月上旬、「秋サバ」の走り、松輪のサバは、ささいな脂の乗りすら未だなく、昨年、一昨年と脂のないまま、なぜかどこかへ回遊消滅、以後全く漁獲なしの大不漁年。愛知県伊良湖水道の小型だが美味の手折り浜締めのヤツも全く入荷せず。10月に入り、大阪湾口部にたむろする上質の魚群が巻網で漁獲され、庖丁で浜締めされて入荷するも漁獲量は少ない。海水温が下がらず、このサバ達は、紀伊水道方面へ南下できず、箕島、伊奈、日高、田辺での釣サバ漁は、ほぼ全滅の有様。10月前後より11月にかけて、断続的に広島県、漁協名不明の、自称密漁の大型良品少量入荷。東京湾では、富津から小型良品が入荷するも漁獲量少なく続かず。10月中旬、三陸、塩釜より小型だが丸々太ったサバが入荷も、ほんの一時で終漁。通年入荷の不可解な「関サバ」の中に、脂のあるのが少々混じるも、まばらで続かず。遂に今年は初めて長崎県五島から松浦にかけての巻網漁産を使用。脂はあるが、さすが巻網漁で大量に漁獲されるだけあって、手当不良、身割れ発生、鮮度ギリギリの難点あり。かくして「秋サバ」は終漁してしまった。

寒鯖の旬 関鯖
 明けて1月下旬、本来「寒サバ」である大分県佐賀関の「地付き、一本釣り、庖丁で浜締め、空輸便での追っかけ」の「関サバ」の中に、脂の乗り、魚体共に、最良のものが混じり始める。この数年、「関サバ」も不漁年中で、最良品均一入荷とはならず、品質は不揃いである。2月中旬、さすがに「寒サバ」、水温低下と共にさらに脂は濃く、旨み増強、最盛期到来。この状態が3月中旬まで続くか。
 8年前頃より、マスコミで知名度を挙げてきた「関サバ」は、産地では生食用として活け造りにされる。東京でもその流行にあやかり、生食用流行も、当店では塩、酢で、しっかりと締める。一日じっくりと熟成。これが東京の食の技術であり、文化であるはずだ。「関サバ」の名は有名で、固有名詞として全国区的になってきている。

美味さと冒険
 アニサキス(寄生虫)による胃壁の喰い破り、熟成中に始まる身肉の自家消化、ヒスタミンの生成によるジンマシン発生等、危険性多々ある魚だがそれにもめげず、承知で美味さの冒険を楽しむ贔屓は多い。秋口のしっとりとした脂質、晩秋の濃厚な脂質の旨さは、ヘタなマグロの中トロに、はるかに勝るからだ。さらに酢締めによる美味の相乗効果は、別種の美味の世界を作り出している。それにつけても「関サバ」の活け造りの人気とは何か。全く理解できない流行である。

外海の鯖、内海の鯖、水道の鯖 
◎外海のサバ・外海を大群で回遊し、主として巻き網等、網漁で大量に漁獲されるため、手当てが悪くなりやすく、身の荒れ、身割れ、鮮度落ち等の弊害がある。(野締めにされる)
主な産地…青森県八戸港 常磐沖から三陸沖 九州五島列島から松浦 鳥取県の境港
◎内海のサバ・水道のサバも含めて大群をなさず、網漁の不適な漁場が多く、一本釣りになることが多い。外海のサバと比べると尾が一目瞭然に濃暗草緑色をして小さく、身肉が締まり、脂の乗りが適度でベトつかず、旨みの質が高い。(浜締め、野締めにされる)
主な産地…千葉県富津 大阪湾の湾口 若狭湾
◎水道のサバ・深場で急流の漁場が多く、漁法も一本釣り漁で、身が締まり、脂の乗りも鮮度の質も高く、高価だが、出荷技術の粋をつくし、「浜締め」「追っかけ」で出荷される。姿、尾の色、形、内湾のサバと同種である。
主な産地…豊後水道〜大分県佐賀関 紀伊水道〜 和歌山県箕島、伊奈、日高、田辺、徳島県伊島 浦賀水道〜 神奈川県松輪 
 ゴマサバは初夏から夏場にかけてが旬。マサバとは旬が逆になる。脂の乗りが薄く、マサバ程の旨みがない。九州地方では生食する。東京では、ほとんど流通価値を認められていない。  平成10年3月

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松輪漁協(神奈川県間口港)行
       (三浦半島の先端南東部に位置し、間口湾内にある)平成10年3月

三浦半島の魚
 築地市場に入荷する三浦半島の魚達は、日本全国各地の魚と比較してもトップレベルの旨い魚が多い。
 柴漁協(小柴)の蝦蛄、穴子(底引き網漁)。佐島漁協の蛸、真鯛、平目、アオリイカ(釣、定置網、壺漁)。葉山の釣漁は白鱚、アオリイカ。下浦は蛸(壺漁)。金沢八景野島は穴子(土管の流し漁)等多種多彩だが、その中の極め付けに松輪のサバがある。

松輪漁業協同組合

漁師・200名 百艘 常時稼働60〜70艘。
漁場・松輪漁協は、浦賀水道に面し岩場根の好漁場を持ち、釣漁が主体で高級漁が豊富に漁獲される。東京湾内各漁協のなかでも特に恵まれた環境を持ち、小柴漁協同様例外的に若手後継者達が大勢育っている。
魚種・春先から、コチ、スズキ、真鯛、蛸、鰈、ヤリイカ(10月〜5月)。初夏の頃から、あわび(6月〜9月15日)、イナダ。夏から秋にかけて鯖、伊勢海老、サザエ(8月1日〜8月末)、ワラサ、ウマヅラ、カワハギ、真鯛、金目鯛。秋から冬にかけて真鯛、金目鯛、平目、蛸。
 平成10年は水温の上昇の影響か、ほとんどの魚の漁期が早まり、漁獲漁も減少気味である。

松輪のサバ
 「松輪のサバ」は近年、特に名を知られるようになり、築地市場では固有名詞として通用している。関東ではこのサバを語らずしてサバを語るなかれ! と言うほどのサバなのである。昨年不漁も、今年は八月中旬より特、特大サイズが突如釣れ始め、期待大も、9月10日現在、漁獲量全くなし。今年もまた消滅か。
 大島方面より北上し、松輪根に到来するや、豊富な餌により一気に肥大、この漁場に居着く。7月中旬より8月早々には釣漁開始。既にうっすらと脂がのり、美味も待つことしばし。8月下旬〜9月中旬には漁獲量も真盛り、十分に脂が加重、旨みもたっぷりのってくる。10月には魚体最良、卸値最高も、漁獲量は落ち始め漁師は他の魚種の漁獲に移って行く(松輪漁協の漁場では魚種は豊富であり、魚獲量も多い)。
 漁場が近く、一本釣りで手当良く、鮮度最高で氷による浜締めで出荷。最盛期も三陸産ほど脂がベタつかず、引き締まり、程の良い脂は美しい霜降状態となる。姿も良く、1キロを超えるものも混じり、ただただ美味  旨し
 「松輪のサバ」は東京のすし屋が誇りとしている魚の一つだが、四年程前から大不漁年に入り、全く姿を見せなくなった。異変の原因はなんだ? 平成10年、11年も全く同じ状況だった。水温の上昇、環境汚染、環境ホルモン等原因は多様に渡って考えられるが、それにしても平成12年に至って遂に魚の旬は滅茶苦茶、多種の魚の旬の特定ができないほどになってしまった。

漁協でのサイズによる選別

(特)750グラム以上、特大 550グラム以上、大 400グラム以上、中 300グラム以上、小 200グラム以下150グラムまで。箱は6キロ箱と8キロ箱とがある。

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佐賀関漁協(大分県佐賀関)行
            平成5年1月15〜17日

課題は「関サバ」と「フグ肝」

(1)佐賀関の「関サバ」は平成元年頃、夏に旨い生食用で、空輸便のサバというふれこみで築地に初入荷するも、もう一つ人気出ずだったが、最近もっぱらの人気。では「関サバ」とはなんなのだ? 夏サバ=ゴマサバか?生食可か不可か? アニサキスの有無は? 鮮度の内容は? 輸送、漁法は?
(2)平成4年、東京都フグ調理師試験合格。めちゃくちゃ難しい試験だったが、その際フグ肝の毒、テトロドトキシンの恐ろしさを十分タタキ込まれるも、なんと大分県では生食のギタギタの肝を名物にしているという。これは行って食べてみなければいけない。

1月15日、大分空港より大分市へ、さらに車で30分、佐賀関漁協着。
 沿岸の海景色、のどかで本日大なぎ、釣日和なり。富士見水産にて「関サバ」、一部始終見学、質疑応答。さらに漁協にて出荷状況見学。後に漁協直営店にて昼酒。夕刻、日出着。「月乃屋」にて「城下鰈」を賞味する。「城下鰈」はマコガレイである。1キロ弱の活け造り。甘みなし、プリンプリンの食感のみ。目下、旬外れ中も、全く期待外れ。「城下鰈」の美味よいずこ 夏場の常磐で揚がる2〜3キロ級の活け締めされたマコガレイの旨さを見よ  はるかにはるかに旨い。だから築地はすごい。東京はすごいということになる。 夜、日出泊。
1月16日、日豊線にて佐伯魚市場見学、入荷量意外に少なし。駅前ホテルにて昼酒。魚は平凡で並みなり。
 夜、別府入り、「天狗童」にてトラフグコース満喫。ギタギタの本来猛毒入りであるはずのフグの肝のポン酢和え、美味なり。天下のカワハギの肝の味と同じだ! 鉄刺は厚み十分、生肝の供タレポン酢醤油。薄造りも美味だが、切り付けの厚いのは、さらに美味だ。鉄チリも身肉たっぷり、生肝供タレポン酢醤油で食す。…嗚呼、10年分位死んでしまった感じだ。別府温泉泊。
1月17日、翌朝臼杵着、臼杵石仏見学。フク専門料理屋「みつぼ」にて遅い昼酒。またまたフグ、タップリ、肝タップリ。これで20年分の死だ。大分空港直行。

「フグ肝」の毒「テトロドトキシン」の処理方法(聴き書き)

1、表面の薄皮を剥がす。 2、塩でよくもみ「ぬめり」を除去。 3、適度のサイズに庖丁。4、チロチロ出しの水道水で一中夜さらす。(テトロドトキシンは水溶性で流れ出るそうだ)5、サッと熱湯霜降り。 6、そのまま、又は裏ごしして使用。
 大分県の「フグ肝」は「カワハギ」の肝だというもっぱらの噂あり。肝はやはり恐ろしい。自分では絶対調理せず、廃棄処分。20年分死んでしまった。大分空港内にて「すし」を喰う。

「関サバ」

 産地荷受けには、佐賀関漁協、丸関水産、松本商店、富士見水産の四社があり競合している。
 1月〜3月ころに脂の乗り、旨み共に最高となり、漁獲量も最多となる。好漁場で地に居付いている、地付きのヒラサバである。夏場は少なく、ゴマサバも少し混じる。最盛期は冬場、秋サバでなく、寒サバである。一年中出荷の不可思議なサバだが、当初、築地市場では、夏サバの触れ込みで入荷。しかし夏場のゴマサバではなくマサバ=ヒラサバで、旬は冬。寒サバである。他産地の内湾、水道のヒラサバと同種で、尾が丸く小さく、濃暗草緑色をしている。
 漁場は豊後水道の最狭場、豊予海峡をはさみ対岸には愛媛県佐田岬。「高島」「ほこぜ」「中ぜ」辺りが好漁場で、深場で流れ速くサバ、アジ、タチウオ、イサキ、マダイ、カツオの一本釣漁のみ。網漁、養殖は禁止。漁獲量激減中。漁船は120〜130艘。
 漁師は釣ると魚種、サイズ別に船底の生け簀に選別。アジ、サバは各荷受け会社と個人契約。入港と同時に契約荷受けの生け簀場に直行。アジ、サバは匹数で、マダイは「手ばかり」で計量され、20網位ある各生け簀へ魚種、サイズ別に選別、投入される。魚は出荷調整され、長い時には1ヵ月位浜留めされ、やせて身が「白た」になることもある。出荷多量の時は午前10時頃より庖丁で、活け締め、下氷の骨箱に詰め出荷。
 冬場は冷凍室でさらに固めた特製の氷300グラム位をビニールに入れ各骨箱に1個ずつ、魚の間に乗せるだけで出荷する。これはみごとなテクニックである。出荷量の少ない時は、午後2時〜3時頃より作業開始。
 フグとタチウオは全て漁協扱い。フグは活けで福岡、南風泊市場へ出荷。タイ、ヒラメ、アジ、ワラサ、サバは午前2時〜五時でも浜締め可。一番の早朝便で出荷すると午後から夕方には東京の飲食店へ配達可。

「関アジ」

 一本釣の漁獲漁は少なく、漁場の漁況を見ながらその日の釣り漁の魚種を決める。アジだけねらうわけではない。20センチ位までは「関アジ」とは呼ばない。1匹700〜800グラム級も混じる。釣漁直後は黄色味がかり、ヒラアジに似るもえら付近の黒点が大きい。魚体が少し細め(冬場のせいか?)大型アジは鱗も大。好漁場にいる地付きのアジで身は締まり、最高のテクニックにより、最高の鮮度で出荷される。
 「関アジ」はノドグロアジである。九州地方のアジは全てノドグロアジ。ヒラアジは混じらず。ノドグロアジは味覚的にはヒラアジに劣り、甘み、旨みが薄く、味にこくが足りない。

旨み
 
◎佐賀関漁協直営店にて昼酒
 アジ、サバ共に、活け造りで食すのが流儀らしい。刺身はプリンプリンの歯ごたえも、熟成の旨み全くなし。サバは旬のため、脂を有し甘み少々あるも、アジはノドグロでさらには旬外れでもある。サバ、アジ両者独自の旨みの差も少ない。「関アジ」「関サバ」1匹づつ活け造り各々4,000円(現地価)。2名で食すも3分の1で十分、ギブアップだ。活け造り魚特有の生嗅みあり。人気の旨さの理由は何なんだ? 夏場浜値「関サバ」はキロ4,000〜5,000円位。超高級値なり
◎大分空港にて評判の「すし」を喰う
 「関サバ」「関アジ」共に人気ネタで、注文集中も、切り付けは厚くシャリの上で反り返り、身はプリンプリン。口中にてもぐもぐ、噛み切れず、シャリと分離で旨み全くなし。??? 何だ、何だ、何なのだ?
 ウニも不美味、「小肌」はコノシロ。美味とは何なのだ? お客さんは、いったい何を基準にして賞味しているのであろうか。

 春美鮨はノドグロアジは使わない。アジは淡路島沼島の松栄丸水産扱いのヒラアジを使う。東京湾、相模湾のヒラアジはノドグロアジとほぼ混合化、昔日の栄光はない。
 大分県豊後水道沿いの漁場では、「関サバ」「関アジ」は別格扱いで、別府、大分、臼杵、佐伯、鶴見の魚と比較して、浜値は極端に高く、他の漁協の漁師たちも「『関サバ』にはアニサキスがいない」と言う。

旨みの熟成
 佐賀関の産地荷受け達の「関サバ」を浜締めする技術は非常に高度で、翌朝の築地市場で未だ魚体が固まらずプリンプリンし、3枚に下ろした身は夕刻でも透き通って、白濁せず。熟成も遅く、旨さのとり方がむずかしい。
 春美鮨では、朝、酢で締め、「〆鯖」とし、翌日の夜をターゲットとする。身の締まりは、未だ少しあり、透明感あるも、塩と酢のあんばいと2日間の熟成とによって、みごとに美味となって極楽往生しているというものだ。3月上旬、ベストの「いい関サバ」の入荷続くも、「いい関サバ」は全入荷量の10パーセント位であり、この10パーセントの選別、入手が仕入の勝負となる。3月下旬まで続くか。

追記
「関サバ」ブランド詐称対策

 豊予海峡の対岸、佐田岬から豊後水道へかけての他産地の浜締めのマサバが「関サバ」として流通している。対抗策として佐賀関漁協は尾に「関サバ」の名称入りの紙を巻くも、他の荷受け3社には使用不許可。荷受けの3社は、従来通り、名称添付なしで出荷している。佐賀関漁協のナンと言う了見の狭さよ
 釣漁のみの「関サバ」と網漁をも含めての他産地のサバとでは生息海域が微妙に異り、その生態にも違いがある。又、高度な浜締めのテクニックの差があり、身質、熟成、歯ごたえの旨さに大きな差異があるのに、ニセモノの「関サバ」が東京では大量に入荷流通している。
 それでは「関サバ」の旨さの優位点は何なのだ。名称添付ではなく、その旨さの差異をはっきりと説明するべきだ。関サバ関係者達の奮起を楽しみにしている。   平成10年3月

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岬鯖(ハナサバ)

愛媛県・三崎漁協
 平成14年2月25日、突然、愛媛県佐田岬の三崎漁協、関東地区の営業担当北角さんより電話が入った。アジ・サバ・マダイ・その他、豊予海峡で漁獲される魚達の産地直売の勧誘であった。
 四国西端の日本一狭長な佐田岬は東西40キロにわたり、その最先端に位置する三崎町は、人口4,000人。漁業の町である。最近隣接の瀬戸町、伊方町と三町合併の話が出ているのだと言う。
 三崎漁協が漁場とする豊予(ほうよ)海峡は、大分県佐賀関漁協の漁場と全く同一の漁場であり、アジ、サバその他の魚達は、全く同一の一本釣り漁法によって漁獲されていると言う。

岬サバ・と関サバ
 岬(ハナ)サバ・岬(ハナ)アジの名称は、佐田岬の地名からとられ、昔からの地元の呼び方で、三崎漁協では、関サバ・関アジのブランド名に対抗して販売しているのだと言う。
 岬(ハナ)は、関西方面での、先端のことを「ハナ」と表現することに由来するらしい。三崎漁協では平成元年より、佐賀関が行っている、卸売り市場を通しての流通ではなく、産地からの直売(産直)方式によって流通させているのだと言う。
 対岸にある大分県佐賀関の漁師たちの漁獲する関サバ、関アジの呼称は、数年前に佐賀関漁協が単独で商標登録し、1尾1尾にブランド名のマークを付けることになった。
 佐賀関にある他の3社の産地荷受け・卸売り業者達は、同じアジ、サバを扱いながら、その名を全く使用できなくなってしまっている。マスコミを通し、ブランド名があまりにも有名になり過ぎてしまい、流通過程で、多くの偽物が混入してしまうための防御策であったのだが、築地市場では相変わらず多くの混入が認められている。
 だから、三崎漁協が産直で出荷するということは、この偽物の混入を防ぐという意味では大変有効な手段であると言える。

出会い
 平成14年1月20日。幕張での国際食品飲料展(フーデックス)の案内と招待状が届く。この食品飲料展は、食品及び飲料関係業種による総合的な展示、商談のためのものであり、関係業者以外の入場を規制するために、一般の入場料を4,000円に設定しているという。その案内状の中に、三崎漁協の宣伝用のパンフレットがあった。
 佐田岬のほぼ先端に位置する三崎漁協は、大分県と愛媛県との間に流れる豊予海峡を漁場に、一本釣りの漁法でサバ、アジ、マダイ、タチウオ、トラフグ等を漁獲している。そしてこれらの魚を産地から消費者へ直送販売(産直)をしていると言う。パンフレットで漁協の生産、加工、営業活動の様子の写真と説明を見たとき、
「三崎漁協も一本釣り漁をしていたのか。しかも全く同じ海域での漁ならば、佐賀関漁協の出荷してくる関サバとまったく同一ではないか。問題は、魚の締め方と手当て、出荷方法だな。それにしても三崎漁協の名前は初めて知ったが、今まで築地市場に入荷していたのだろうか」と言う、その程度の疑問と反応だけであった。

産直の是非
 過去の経験から、魚の産直は決して当店にとっては良い結果を生まない事が多かった。いわんや接触したことも無い未知の業者から仕入れるなど有り得なかった。
 既知の、気心の良く知れた業者との産直であっても、産地での品質の良否の判断と、送られてきた魚を、僕が自分自身で直接に判断した良否とでは、多々微妙に格差の出ることが多いのだ。
 魚は規格品ではない。常に微妙に品質格差があるのが当然なのだ。だから最高の魚が欲しい時には、正規の流通過程の中での選別がベストとなるのだ。各産地からの大量の魚が、流通過程の中で次々と選別の篩いにかけらる。そして最後の選別の頂点である、築地市場の仲卸の店頭で、僕自身が、多くの情報と経験知のもとに直接に手にとって選別するのが最も良い選別となるのだ。
 産直は、産地から鮮度の良い魚を大量に、安く仕入れるには良い方法である。最高の魚の選別を継続的に、しかも少量づつを、産直で望むのは無理なことなのだ。

産直の条件

 かくして、三崎漁協からの勧誘の電話に、話半分の無理を承知で難題を持ちかけていった。
1.当店では、松栄丸のアジを追いかけるため、三崎の岬アジは使用しない。岬サバだけの取引に なる
2.三崎のサバは、“秋サバ”ではなく“寒サバ”であるので、とりあえず2月から3月頃までの 取引となる。
3.出荷直前の締めの時間帯と締め方、輸送方法(陸送、空輸、クール宅急便、出着荷時間)、鮮 度維持・保全のための氷の使い方(佐賀関漁協の関サバ、関アジは出荷時の氷の扱い方が絶妙 で温度管理が素晴らしく、それゆえに朝、我々が仕入れるときに魚の身肉がまだ死後硬直されず、柔らかくぷりぷりしている)の詳細な説明が欲しい。
4.さらに最も重要なことなのだが、 当店では魚体の良い、脂の乗った最高品質のものしか使用しない。そのため中級品以下のものでは、(産地への返送が生鮮魚故に、不可能なため)結局破棄することになる。この様な不幸な結果とならないように、品質の厳密なチェックをすることが出来るのだろうか。

 以上の難題、注文に対する三崎漁協の回答は次のようなものであった。
「取引はサバだけでも可能である。漁獲されたサバ・アジは、3日間ほど生簀に入れられることもあるが、原則的には毎日、漁獲されたものを1晩生簀にて寝かせ、出荷時間に合わせて直前に包丁で締め、発泡スチロールの箱に氷と共に詰められ、空輸便又は陸送のクール宅急便で発送される。出荷時間は@午前10時から12時出荷、翌日の午前10時着のトラックによるクール宅急便。A午後6時50分松山空港発の空輸便、翌午後12時の配送。魚の品質の選別は、責任をもってする」

仕入れ開始
 とりあえず見本の魚を送らせて欲しいとのことで、早速見本が送られてきた。
 しかし、見事に駄目であった。0.7キロほどの魚体は痩せて小さく、脂が全く乗っていなかった。この海域特有の密度の高く、透明感のある引き締まった魚体は素晴らしいのだが、寒サバとしての旬真っ盛りのサバの持つ脂の乗りと、甘さ旨さの欠片もないのだ。
 5、6年前頃から徐々に始まっていた、この海域でのサバ・アジの不漁は、全国的なサバの大不漁と全く同じ現象をたどってきていた。昨年から今年にかけての日本中のサバの大不漁振りは特に著しく、関サバも例外ではなかった。漁獲量の大激減と魚体の矮小化。さらにどう言う訳か脂の乗りが見事に悪いという三重苦の中で、築地へ出荷されてくる今期の関サバには、当店ではもうとっくに見切りをつけ止めてしまっていたのだ。だから予想通りのサバだったと言うことになるのだが、このレベルでは当店では使えない。不適格の連絡をした。
 北角さんより再度の実験を要請される。現地三崎漁協の担当責任者は安部邦弘氏。再度の選別と出荷が行われた。
 1尾で0.9キロの岬サバは見事に素晴らしかった。サイズも脂の乗りも、旬真っ盛りの寒サバとして、最高のものであった。このレベルのものであれば十分満足だ。早速取引開始となった。   

旨さの秘密
 関サバ・岬サバは、他の産地のサバ達とは明らかな生態の違いを見せている。しっかりと密度の高い身肉は半透明の状態で送られてくる。まだ身肉が生きているのだ。
 10年前頃、このサバの最高品を初めて築地で見たときには驚愕したものだった。前夜に包丁で締められ、空輸便で送られてくる“追っかけ”の関サバは、身体全体がまだ硬直を起こさずにしなやかさを保っていたのだ。
 発泡スチロールの中で、氷と共に輸送されてくる魚が、まだ死後硬直を起こさずにしなやかな柔らかさを保っていたのだ。これは浜締めの魚の、かってない鮮度の輸送であった。氷の使い方、温度管理が見事だったのだ。
 そして3枚におろし、締めサバにし、その夜に食してみて、さらに驚いたのである。まだ身肉が透き通っているのだ。身肉が見事に締まっているために骨抜きが辛かったほどだ。このサバは、身肉の熟成が遅く、時間がかかるものであった。しっとりと乗った脂は、かってない性質のものだった。脂の密度が濃いのだが、決してギタギタとはしていないのだ。
 この性質のサバは、内海、水道のサバに共通のもので、尾が小さく、色は濃暗草緑で丸っこい。脂の乗りも密度が高く、決してギタギタした乗り方はしない。まろやかで、しっとりとした甘みのある脂は、塩と酢で締めると、さらに絶妙な旨みを醸し出すのだ。
 しかし、この関サバはもう少し特異なものであった。何でこんなに身肉が引き締まっているのだろう。何でこんなに透明感が持続するのだろうか。何でこんなにしっとりとした甘み、旨みを湛えているのだろうか。その秘密はこの海域の特殊な状況によるものであるらしい。

三崎漁協の説明によると
「流れの速い豊予海峡は、南からは太平洋の栄養塩を多量に含んだ海洋深層水が流れ込む。北の関門海峡、東の瀬戸内海との干満の差によって生じる激しい潮流も流れ込み、30メートルから400メートルの複雑な海底地形では、海水がぶつかり合うことにより、上と下が撹拌され、湧昇流が発生し、栄養塩豊かな好漁場となっている。さらに一本釣り漁で、1尾1尾大切に釣り上げ、1晩生簀で静養させ、ATP(アデノシン三燐酸)を蓄えたところで即殺、血抜きと鮮度保持に細心の注意を払って出荷している」と言う。
(注。栄養塩〜窒素、リン、ケイ素などの栄養素を多く含んだ塩類。太陽光の届かない海面から200メートル以下の海洋深層水に多く含まれている。植物プランクトンが栄養塩を摂取して増え、動物プランクトン、魚介類へと、食物連鎖が連なる)

 2月25日。安部さんの厳密な選別のもとに、毎日の出荷が始まった。
 しかし、出荷は中々コンスタントに続かなかった。時化のための不漁。良品なし。出漁中止。事故のために出漁停止。2月25日から3月29日までの使用日数は13日間に過ぎなかった。
 昨年度の三崎漁協の資料では、11月1,500トン、12月1,900トン、1月2,700トン、2月9,000トン、3月3,000トン、4月800トン。2月を最大のピークとして1月から3月までに漁獲量が最大となる、完全な寒サバの生態を示している。

岬サバの熟成の旨さのとらえ方
 岬サバの特異な性格は、旨さの捉え方にも大きな工夫が必要となる。
 このサバの身質密度の高さは、旨さの熟成の時間に大きな影響を与えている。熟成が遅く、他の産地のサバに比較しても旨さが出てくるまでの時間がかかるのだ。
 9年前、佐賀関を見学にいった時、地元と東京の料理人との、あまりの旨さの捉え方の違いに驚いたのだった。地元ではこのサバを、わざわざ生簀に飼っておき、注文に応じて活け造りにして出してきたのだった。プリプリしているだけで、甘みも旨みも全くなく、鮮度の良い魚が持つ特有の生臭さと渋みが混在していた。
 サバを生で、活け造りにしていたのだ。サバは、特に一定の熟成時間の必要な魚であり、塩と酢で締めることによって、特有の魚臭さを消すことが出来、さらなる旨みを加えることが出来る魚なのだ。
 最近は東京でも、この岬サバ、関サバを生のまま刺身にする料理人がいると言う。なにを考えているのだろう。当時、佐賀関から送られてくるサバは、夕方に締め、血抜きされ、空輸便で送られてくるものであった。翌朝築地で仕入れ、朝のうちに塩と酢で締めたものは、その日の夜では未だ熟成が早すぎ、むしろ翌日の昼から夜を旨さのターゲットとしたのだった。今回、岬サバを使うにあたって時間の計算が必要となった。

  漁協からの出荷時間は@午前10時から12時出荷、翌日の午前10時着のトラックによるクール宅急便。A午後6時50分松山空港発、翌午後12時着の空輸便。
 当店では、あえて@の流通を選んだ。熟成時間を長く取りたいためだ。そして旨さの最大のターゲットは塩と酢で締めてから、さらに翌日の昼から夜とした。
 本日3月30日。そろそろ今期の岬サバの旬は終りに近づいている。
 来期、旬の真っ盛りに愛媛県、佐田岬、三崎漁協を訪ねるのが楽しみだ。     平成14年3月30日

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伊良湖(愛知県渥美半島)漁協「宮吉水産」
         平成14年6月19日(水)

異端のサバ 伊良湖水道の鯖(釣、首折りの浜〆、追っかけ)
  6月15日、突然、1キロ級の伊良湖水道のサバが入荷してきた。誠和水産の幸ちゃんが、朝一番、セリが始まる遥か前の午前1時頃に、セリ場から密かに先取りしたものだという。このサイズのサバは、5キロ箱が毎日1箱から2箱しか入荷して来ないらしい。いまだ6月、サバの旬としては全く季節外れのこの時期に、見事にシットリとした脂を乗せている。まるで秋の最盛期のような状態での登場なのだ。しかし、伊良湖水道の釣サバだと言うだけで、何もかも、全く納得だった。
  このサバたちは、毎年6月上旬から下旬にかけて突然、伊良湖水道に現れ、半月からせいぜい1ヵ月の回遊の後、アッと言うまに全ての群れが、一斉に去って行ってしまう。全国各地のサバと比較してみても、このサバの生態は異端である。この時期を一瞬の旬として狙いすましたかのように出現し、去って行くのだ。当店でも、毎年、この時期、このサバを楽しみにし、追いかけてゆく。築地市場でも、知る人ぞ知る貴重で、美味なサバなのだ。

  しかし、今年のサバは、かっての伊良湖水道の、「一本釣、首折りの浜締め、追っかけ」、のサバとは、なにか少し違うようだ。
 去年、一昨年は大不漁で、2年間、このサバは築地に一ッ匹も入荷して来なかった。サバの全国的大不漁年に輪を掛け、見事に、完全な大不漁だったのだ。だから、2年ぶりの出現であり、漁獲であり、このサバの入荷はうれしく、感動的なものとなった。
 かっての、この海域のサバ達は、500グラムから600グラム位のサイズであり、サイズ的にはかなり小ぶりなものであった。それでも魚体をしっかりと点検し、厳しい選別のふるいにかければ、シットリとした旨さを秘め、ほどの良い脂の乗りをみせているサバを選び出すことが出来る。この脂の乗った選別されたサバ達は、しっかりと卵または精巣を抱え始めている。だから脂が乗り、旨いのだ。各地の秋サバの産卵は晩秋、関サバなどの寒サバは桜の咲く頃に産卵する。そう言う意味ではこの伊良湖水道のサバは、梅雨サバとでも呼ばれる性格のサバと言うことが出来る。漁師達は、釣りたての活けの状態のものを、手で、すばやく、首の付け根をひねり折り、一瞬にして浜締めにする。そして「追っかけ」の出荷体制のもと、伊良湖水道のサバ達は流通をも含む優れた鮮度の維持・保全がなされている。

 〆サバにして表皮を剥くと、その身質の若さのためか、内側の銀皮が一緒に剥けてしまうような危うさがある。この銀皮の剥け易さは、旬に入り始めの頃のサバ達によく見られる現象で、脂がたっぷりと乗り、旬真っ盛りの頃になると、見られなくなる。
 この1週間、継続して入荷してくる大型の伊良湖のサバ達には、この走りの旬のサバ特有の現象が欠けている。また、この急流を回遊している“水道”のサバ特有である身質の締まりと、鮮度の良さによる透明感が、少し欠けているものが混じる。そして、この大型のサイズが今年に限って、極少とは言え、順調に続くのは何故なのだろうか。幸チャンの努力の結果だけなのだろうか。
 産地荷受け、出荷業者でもある愛知県伊良湖の宮吉水産に電話することになった。

宮吉水産

「昨年、一昨年と続いた大不漁は、今年の6月に入って一転、好漁の兆しを見せ始めている。毎日、200キログラムから400キログラム程の漁がある。しかし、1キロ級のサバは、200キロからの漁の中でもほんの4、5匹混ざるだけで、他はほどんど例年と同じく、500グラムから700グラム級が主体となっている。
 伊良湖水道のサバは、魚群が小さく、巻き網漁では効率が悪ため、基本的には延縄による釣漁となる。
 今年は、もう少し大量に獲られるようになってくると、2艘引きによる巻き網漁が始まる可能性がある。釣り漁ほどではないが、鮮度の良い首折りのサバが大量に出荷されることが期待されている。
 釣り漁のサバは、いったん船のなかの生簀に入れられ、後に生きている内に1匹ずつ、手で首を折ることによって、瞬間的に浜〆にしてゆくことになる。2艘引きの巻き網漁のものも、活きている内に〆られてゆく。しかし、浜〆の価値を良く理解していないルーズな漁師も中にはいる。あたら死なせてしまい、あがったものを〆る者もいる。そのために、鮮度落ちをし、身質の緩んでしまったものが混じることになる。だから、漁師を選別し、優秀な者から買うことにしている。」

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白キス

旨み
 江戸前鮨の世界では、白キスは光り物に分類される。背開きにされた身肉は白く透明であり、ちょっと見では白身魚のように見える。しかし、生食すると決して白身魚のような淡白な身質ではない。皮目に微かに独特の癖味を持っている。だから皮付きのまま握る江戸前鮨では、白キスは生の状態で鮨に握ったりはしない。必ず塩と酢で締めて癖味を除くと共に皮を柔らかくし、さらなる旨みを加味してから使うことになる。
  白キスは豊饒な東京湾内湾で、良質なものが豊富に漁獲された。そしてその持ち味の相性の良さから、江戸前の握り鮨と天麩羅にはなくてはならないネタとなったのだ。天麩羅にすると、この魚は淡白さの中にほろりと軽く、薄っすらとした甘みさえも醸し出し、メゴチと共に1年を通しての定番の魚となる。産卵前後の身肉の衰えた時期を除き通年極端な味の変化がないからだ。
 春美鮨では、この白キスを昆布締めにする。塩と軽く酢で締めた上に、さらに4時間程、道南・川汲浜の天然真昆布に挟み、昆布締めにして握る。この際、白キスのふっくらとした膨らみと柔らかさとを、損なわれないようにすることが肝心だ。淡白な魚は昆布締めに相性が良いのだが、白キスは昆布締めにするとさらに別格の旨さを発揮する魚となる。

白キスと春子の現況

 江戸前鮨の光り物の仲間の中で、近年めっきり使われなくなり、影の薄くなってしまった魚がある。この白キスと春子だ。 アジと共にこれらの魚の仕込みは、観音開き(背開き)にされる。アジは一昔前までは全て塩と酢で締めてから握られたものだが、最近では骨抜きをし、立て塩でさっと洗うだけで酢に漬けず、純生のまま生姜、浅葱の薬味を乗せて握られるようになった。産地及び流通過程での鮮度管理が革命的に良くなり、さらに消費地での冷蔵保冷の画期的進歩改良により、魚の鮮度をほぼ理想的な状態に維持することが可能になったからだ。鮮度落ちによる生臭さの発生を完全に防ぐことが出来るようになった。今ではアジは生の状態で握るほうが遥かに旨いと評価され、人気があるようにさえなった。
 しかし、春子と白キスではそうはいかない。春子は身質の柔らかさと、少し固めだが皮目の朱色の美しさも生かすために、皮付きのまま塩と酢とで軽めに締めなければならない。そして当店ではさらに昆布で締めることになる。この手間暇が長年の間に、すし屋とすし職人達に嫌われたのかもしれない。さらに昭和40年頃からの冷蔵庫の普及による驚くような鮮度の維持は、ほとんど全ての魚の純生食流行をもたらした。この生食の握りの一般的な流行と、手間仕事の手抜きの傾向が、結果的に春子と白キスの影を薄くしてゆくことになったのだろう。
 しかし最近、仕事がしてあるすしネタブームの中で、少しずつ見直され人気回復の兆しが見え始めている。

目方(サイズ)と旨み
 春美鮨では60グラムから70グラムぐらいの、白キスとしてはかなり大き目のサイズのものを片身付けにして握る。1匹を片身ずつの2貫に握るのだ。このサイズになると、たっぷりとした身肉は、塩と酢とさらに昆布による味の加重の負担に負けない旨みを持っている。懐石料理に使用される昆布締めよりも、少し意識的に強く締める。塩と酢と昆布との旨みをたっぷりとした身肉にみずみずしく内包しながらの旨い昆布締めになる。
 ちなみに、天麩羅の世界では45グラムを標準とし、50グラム位までを選別するという。しかし、天麩羅一人前のコースの中で、60グラムからの白キスの占めるボリュームは、全体のバランスの中ではかなり重くなるようだ。と言っても40グラムの白キスでは物足りない。天麩羅での45グラムの白キスの選択は、微妙なバランスの旨さとなっているようだ。
 なお、産卵時期の60グラム以上の白キスは、不思議と卵をもった雌ばかりで、白子を持つ雄を見かけることが無い。ヒラメ、カレイ同様に大型に成長するのは、雌だけの特権なのかもしれない。
                                

 白キスは、1年の間に旨さの旬を2回持つことになる。通常言われる、春先から初夏にかけての産卵準備の時季に向っての旬。そして12月前後の深場へ落ちて行く頃の、「落ちキス」の時季ももう一つの旨さの旬に数える必要がある。

白キスの生態
 水温が低下してゆく12月から2月頃にかけての冬の間、大小のキス達は一斉に生活の場を深場に移動してゆく。そして3月から5月頃、水温の上昇と共に再び浅場に移動し、猛烈に食欲を発揮させ始める。肝が肥大し、身肉がたっぷりとついてくる。そして5月早々頃から卵巣、精巣も少しずつ肥大し始め、やがて6月から8月頃にかけて次々と産卵してゆく。卵巣、精巣の成熟と共に、身肉は逆に痩せ始め、旨さの旬は終ってゆく。
 しかしこの時季、白キスは産卵に備え、貪欲な食欲を見せ始める。餌の食いがよくなり、釣り人達にとっての漁獲の旬となる。白キス釣りの最盛期となるのだ。そして秋口から中秋にかけて徐々に身肉を戻して行き、晩秋の水温の低下と共に深場に移動して行く頃、11月下旬から12月中旬頃にかけてもう1度旨さの旬が来ることになる。深場に移動しながらの活発な食欲の増大は、たっぷりと身肉を充実させるのだ。
  この時期の白キスは、「落ちキス」と呼ばれる。型は大小混じるのだが、2年から3年ものから尺キスまでの大きいものが揃い、遊漁船の深場での格好の釣り対象となる。しかし、通常一般的にはこの「落ちキス」の旬は、旨さの旬としては無視されることが多い

築地中央卸売り市場に入荷してくる白キスの主要産地
1.神奈川県葉山・逗子…最高の漁場での釣り漁によるもので、品質管理も非常に優れ、 身質も良く太り、旨みのある最高級品質と評価される。
2.千葉県富津・天羽漁協(竹岡)…釣り漁とケタ漁によるものは、品質管理も良く身肉も太り、 旨み・甘みのある江戸前の最上物とされる。
3.三重県答志島・伊勢…ケタ漁と刺し網漁によるもで、B級品だが、比較的良品。
4.静岡県舞阪、愛知県師崎・ 伊良湖、兵庫県淡路島、 富山県新湊、新潟県新潟、 福岡県福岡、秋田県能代…底引き網漁と刺し網漁によるものでC級の等級となる。
5.鹿児島県出水・笠沙…底引き網漁によるもので手当ても悪くD級品となる。

以上の産地と旬を比較対象しながら、長年の経験知の中で、春美鮨は相模湾の葉山・逗子産か、東京湾内湾の富津・天羽漁協のものを追いかけている。     平成13年9月13日

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春子(かすご)

春子(かすご)…鯛(真鯛・血鯛・黄鯛)の幼魚
 東京ではタイの子供(幼魚)を春子(かすご)と呼ぶ。末っ子の意味のカスッコが転訛したものだといわれる。タイの仲間には真鯛(マダイ)、血鯛(チダイ)、黄鯛=連子鯛(レンコタイ)の3種類があるが、この3種類の鯛の子供を全てひっくるめて春子、小鯛という。そのうち血鯛の子供は別称で血子(ちこ)とも呼ばれる。
 他のタイと名がつくものは本来のタイの仲間ではなく、他の種類の魚である。昔から「鯛」と名がつくだけで商品価値が上がり、おめでたいので便利に多用されてきたようだ。
 江戸前鮨での春子は「ひかりもの」の仲間とされ、握り鮨にするのに適している60グラム前後のものは、冬場から初夏頃までに漁獲量が多くなりこの時季に多用され、旬とされる。しかし、大小のサイズと産地のバラツキはあるが、漁獲は一年中あり築地市場にも入荷してくる。春子は季節によっても美味さはほとんど変わらないが、その名のとおりの華やかな朱の色合いを持ち、春の季節の先取りと漁獲の旬とを愉しむ魚なのだ。 

真鯛と血鯛


真鯛(マダイ)
 真鯛は鯛の仲間の中でも別格扱いとなる。身質はよく締り水っぽさが少なく、強い甘みを持ち、十分な旨さに富んでいるからだ。最上級の格の高い魚として珍重される。
 サイズは大きく成長し、約1メートル程の大きさにまで成長する。産卵期である桜の季節になると、体色が婚姻色のために綺麗な朱色となって沿岸にやって来る。そのためにこの時期の真鯛は桜鯛と呼ばれる。しかし真鯛は全般的には朱色が薄いものも多々混じる。特に雄は朱色が薄く、むしろ黒っぽい色をしていると同時に、雌雄共に尻尾の後縁のラインが黒く縁取られている。さらに春子を塩と酢で締めるとすぐに色が落ち、変色しやすい。明石、鴨居、佐島、などの朱色の鮮やかなものは、むしろ希少なのであって、値も極めて高くなる。

血鯛(チダイ)

 血鯛は雌雄とも身体全体の色が朱くきれいだが、特にエラブタの後縁が鮮血のように朱く、尾ヒレも真鯛のように黒く縁どられてなく、真鯛よりもやや明るく華やかな体色である。そのため関東ではハナダイという綺麗な名前で呼ばれることが多い。身質が少し柔らかく、水っぽいため刺身よりも焼き物、煮物、締めものなどに使われる。最大の成長サイズでも40センチぐらいまでで、慶事での祝いの鯛の塩焼きには色が綺麗で、値も安価であるため重宝に使われる。
 東京のすし屋が春子を使うときには、あえて血鯛の子「血子(ちこ)」を選ぶことが多い。色が朱色に鮮やかで綺麗だからだ。江戸前鮨の春子の仕事は、塩と酢で締め、さらには昆布で締めるという「ひかりもの」としての扱いになる。だから多少の身質の柔らかさと水っぽさは締め加減による美味さの出し方によって相殺されてしまう。この塩と酢で締めるということが、春子にとっては最も適した美味しい料理法なのだ。そしてなによりも春らしい華やかな朱色が優先されることになる。

産地
 九州から常磐にかけて幅広く漁獲される。特に外房の鯛の名産地でもある大原産は、鮮度の扱いも良く、珍重される。常磐地方では、大洗、平潟からも入荷してくる。
 7、8年前頃、富山湾の定置網漁の春子が、素晴らしい鮮度で身質も申し分なく、色も鮮やかな状態で入荷してきていたのだが、最近では全く見かけなくなってしまった。

連子鯛(レンコタイ)=黄鯛〜後記

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福井県“若狭湾”小浜漁協 行
         平成13年5月28〜30日

課題
1.「小鯛の笹漬け」で有名な若狭湾、小浜の春子(小鯛)はどの種類の鯛の子供 を使っているのだろうか? そしてその旬は?
2.1年中、生鮮もので生産され、出荷されるという「ささ漬けの小鯛」はどのような漁期と漁法で漁獲されているのだろうか?

 片道約5時間程のうとうと寝と共に、午後2時12分、やっと若狭湾、小浜着。3回にわたる電車の乗り換えと、それに伴う風景の変化は、徐々に女房との二人旅の気ままさと楽しみを膨らませてくれた。うす曇の午後はまだ少し肌寒く、先週から持ち越している鼻風邪に微妙に影響しそうだ。
 駅前の観光案内所にて本日の予定を相談する。今回の小浜行最大の目的は「春子」についての勉強である。そして貸し自転車にて徹底的に小浜の町を見学する予定だ。
 まず漁港、漁協の位置を確認する。次に「小鯛のささ漬け」の生産販売元の確認と調査だ。小浜漁港では日曜祭日は休漁で、市場も休みとなるという。日曜祭日の地元での需要が大きく、大消費地への休日明け出荷のための休日出漁はしないのだそうだ。
 …と言うことは、今日は土曜日であり明日、明後日と休市になってしまうことになる。今はもう午後2時半だ。
「やばい、急がねば。」

 案内所の貸し自転車で、市場まで10分余の大特急便だ。しかし既に漁協のセリは全て終了、市場では5軒ほどの仲卸の店が片付けに入っていた。本日はシケ気味で入荷が少なかったと言う。目的の春子を探す。春子は大半が出荷されてしまった後だったが少量ずつ、点々と残っていた。50から60グラム位のものと100グラムから200グラムのものまでサイズ別に仕分けされコツ箱に並べられている。
 綺麗だ。鮮度が良いため見事に朱色に輝き、口先から尾の先まで華やかに朱い。尾の先まで朱いということは、小浜の春子は血鯛だったのだ。(しかし後に、これは誤解であることが判る)

連子鯛(レンコタイ)=黄鯛
 コツ箱の中の春子を手にとって眺めていると妙なことに気がついた。全体的な朱色の中に少し黄色が混じっているのだ。上唇も見事に朱い。
 鮮度が良いからなのだろうか? しかし築地市場での血鯛とは少し色の発色が違う。
 お変しいではないか? 仲卸の店の旦那に声をかけてみた。
「これは血鯛でしょ?」「いやレンコだよ」。
「レンコ?」「レンコ鯛だよ」。
「?????」。
 イヤまいった。知識としては知っていたのだが、レンコタイを見るのは初めてであった。築地市場にはほとんど入荷してこないからだ。よく見ると頭から背鰭にかけて全体的に少し黄色みを帯びている。小浜の小鯛は全部レンコタイなのだそうだ。
 …意外であった。ほんの15年前頃までは、子供達の遊び釣りでさえ、いくらでも釣れたのだそうだ。だから上物のささ漬けには釣りものだけを使っていたと言う。しかし最近はめっきりと漁獲量が落ち、もっぱら底引き網によって漁獲されていると言う。底引き網漁は魚が一網打尽で、乱獲の原因ともなり、さらに悪い結果となっているらしい。
 レンコタイは若狭湾から西、九州地方にかけて多く漁獲される。小浜の小鯛笹漬けも、最近では、もはや“地”の小鯛だけでは全く足りず、各地からも集荷されて来るといわれる。なお太平洋岸での鯛の漁獲は真鯛、血鯛が主で、レンコタイはほとんど獲れない。したがって、関東で春子という場合は、真鯛、血鯛の幼魚のことを指している。

小鯛のささ漬け〜(有)田中平助商店
 小浜には14店舗からの小鯛のささ漬け屋さんがある。まさに小浜を代表する名産品なのだ。
 漁協に隣接する(有)田中平助商店を訪ねる。
 小浜の小鯛の笹漬けの元祖となる老舗であり、最も丁寧な仕事をすると言われている最高級店である。
 加工場兼事務所の前には佐川急便の大型トラックが2台停車し、荷の詰め込み作業をおこなっていた。入り口の横にはサヨリと若狭カレイが干してある。ガラス張りの作業場では女性の作業員達がテキパキと仕事をしていた。今回は前もっての紹介と見学の申し込みもせず、突然の訪問となってしまったのだが…。 勇気を出して図々しく声をかける。
 当店のお客様で、珍味屋さんの名店でもある新橋の二色屋さんからの御推薦の話を出すと、喜んで気さくに作業場の見学を許可して下さった。

 最初の作業場では600グラム位の鯛を塩水で塩漬けにし、水切りしたものをコツ箱に丁寧に並べていた。輸入物のレンコ鯛だと言う。これは酢に通さずにこのまま業務用に出荷される。次の作業場では、3枚に下ろし、塩と酢をされて出来あがった小鯛を、小さな杉の木樽に詰めていた。陣頭指揮をとっていたのは若奥さん。横で樽にカナヅチで蓋をしているのが“おじいちゃん”と呼ばれる会長、元社長。この会長の「おじいちゃん」が毎朝丁寧に、厳しく魚を選別し、競り落としてゆくのだと、市場では評判であった。
 戦後すぐ頃までは酢に漬けず、塩をしただけの小鯛を樽に詰めて出荷することが多かったと言う。若奥さんの話では、塩だけの場合、ヌルヌルして詰めづらかったという。

漁獲量の激減

 小浜ではこの15年前頃より徐々に獲れなくなり、最近ではかっての半分くらいの漁獲量だという。そのため、鳥取、兵庫、島根、山口、九州五島列島地方より大量に入荷してくるようになった。小鯛は全てがレンコ鯛だけではなく、たまに真鯛、血鯛も混じるのだが色気が悪いため、なるべく使わないようにしていると言う。

ささ漬けの仕込みとキロ単価

 ささ漬けは、標準サイズ60グラムの小鯛を3枚に下ろし、立て塩に漬け、水切り。醸造米酢に漬け、酢切りをしてから薄板昆布を間に敷き、色飛びを防ぐように背合わせにしながら杉の小樽に詰めてゆく。その際、飾りに小笹を入れるため笹漬けと言われるらしい。1樽200グラムのもので20から30尾の小鯛が詰められると言う。若狭湾の小鯛は鼻折れ鯛とも言われ、色姿形が良い上に、色の飛びも遅く、笹漬けにぴったりなのだそうだ。100グラムから200グラムのサイズはキロ単価1,000円から1,500円。笹漬け用の50から60グラムサイズはキロ単価600円位でほぼ固定相場であると言う。1,000円を超えると採算が合わなくなってしまうのだそうだ。

小鯛の漁法と漁期
漁法
かっては、釣り漁も盛んに行われていたのだが、漁獲量の減少の中で、網漁が主体となり、定置網、刺し網、底引き網、巻き網漁が盛んになっていった。釣り漁による最高の鮮度と品質は、もう求められなくなっているのだ。
底引き網漁の漁期
 小浜…10月1日から 5月31日まで。
 福井、島根県 …9月1日から5月31日まで
 石川県 …8月1日から6月30日まで

旬 漁獲の旬と美味さの旬 
 一年中漁獲され、出荷されるが、11月から12月にかけてが漁獲の最盛期となる。この頃より初夏にかけてがレンコタイの旬となる。50から60グラムの小鯛は生後半年位の当歳魚であり、次から次へと産卵されるものと思われる。美味さは季節によってもほとんど変わらない。6月から9月にかけてが禁漁期となる。産卵期の保護のためだろうか?
 小浜の小鯛の笹漬けも含め、最近では産地での加工品のほとんど全てが冷凍品として流通してくる。衛生上の安全性と、流通の便利さのためである。美味さの点では、非常に残念なことである。生鮮ものを食する時は、特注することになる。

若狭の鯖
 若狭湾で漁獲された鯖は、一塩をされ京都に出荷される。有名な鯖街道を経由して運ばれて行くのだ。「京は遠うても十八里」、この鯖街道での運搬の間にちょうど良い塩加減となったと言われ、京都の食文化に大きく寄与し、今でも影響を与えていると言う。夏の祇園祭での鯖の棒すしは、若狭の鯖と切っても切れない関係にあるのだ。
 しかし近年、若狭の鯖の現状は惨憺たるものであるという。この10年前頃よりの漁獲量の激減は、鯖の代表的な漁法である巻き網漁でも、年に10回位しか獲れなくなっていると言う。そして祭り用の春鯖は、400グラム級が主体で800グラム級はほとんど獲れないと言う。かっての栄光の若狭の鯖も日本各地からの入荷の鯖に頼るようになっているのが現状だと言う。
 巻き網漁などで獲られた10センチほどの春鯖を「ピン鯖」という。このピン鯖に養殖場で餌を与えて行くと秋には500〜600グラムのベタベタに脂の乗った成魚になる。この鯖も出荷していると言う。

へしこ鯖
 春鯖を塩押しし、米糠や唐辛子と共に漬けこみ、4〜5ヶ月程熟成させた若狭地方特有の保存食。糠を落し、軽く焼く。熱々のご飯にまぶしても美味い。

若狭カレイ
 冬の味覚として「献上カレイ」として有名である。「ヤナギムシカレイ」、笹の葉に似ているところから「ササカレイ」とも呼ばれる。近年、小鯛その他の魚達同様に漁獲量が激減し、かっての半分位しか獲れないため、石川県、島根県の漁協からの入荷が多くなってきている。
 10月から12月にかけてが子持ちの良質のものが獲られ、美味さの旬となる。年を越し、水温が下がると産卵して不味くなる。

養殖トラフグ
 今回の旅の宿泊は、小浜湾に隣接する阿納港の漁師の経営する民宿であった。阿納漁港では、日曜祭日はほとんどの漁師が遊漁船となり、釣り人達を相手の民宿を経営している。本業の漁獲量はかつての半分くらいのため、15年前頃よりフグの養殖を始め、民宿ではフグ料理を売り物にしている。
 15人の漁師が共同で養殖事業をしている。一人7,500匹までの稚魚を放つ。成魚となるフグの歩留まりは約50パーセント。平成12年度は不景気と中国産の養殖フグの初入荷により、大打撃を受けた。国産の養殖フグの60パーセントほどの値段なのだと言う。
 しかし、養殖魚の病気と寄生虫防止のための化学薬品使用が問題となっている。昨年、三重県鳥羽のフグ養殖場で問題となった寄生虫防止ためのホルマリンの大量散布は、成魚歩留まり75パーセントに達する強力な効果があるのだが、その危険性のため、3年前に使用禁止規制となっていたのに違反してのものだったらしい。真珠貝の大量死の被害による真珠養殖業者達による告発であった。阿納漁協では事業開始時からホルマリンの使用の危険性を認識し、効果は弱いのだが、マリンシャワーと呼ばれる成魚歩留まり約50パーセントの二酸化水素を使用してきたと言う。しかし、今回の中国産の養殖フグに使用する化学薬品の種類は公表されておらず、その危険性を訴えている。    平成13年5月2日

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平潟漁協(茨城県平潟港)行
           平成14年4月29日

消滅した幻の春子 平潟の春子

 2月も終りに近づく頃、春の到来を先取りするように、平潟(ひらかた)漁協から定置網漁による春子(かすご)が入荷して来る。この春子の入荷と共に、当店では春子の昆布締めの仕事を始める。平潟の春子は真鯛、黄鯛が混じらず、全て血鯛で、鮮度の手当てが良く、「血鯛」特有の朱色が胸ヒレ、尾ヒレも含め、全身に鮮やかに発色している。
  真鯛の春子は雄が混じると、華やかな朱色の発色が黒ずみ、あまり歓迎されないことになる。春子と言う魚の価値はこの朱色の発色の美しさにかかっているのだ。さらに、この朱色の発色は鮮度の高さと手入れの良さに大きく左右される。かっての若狭湾での釣り漁による黄鯛、富山湾・千葉県大原の定置網漁による血鯛の春子の高い評価は、鮮度と手入れの良さによる、鮮やかな発色によるものなのだ。
 しかし、3年前より突然この素晴らしい鮮度と発色の春子が、平潟から入荷しなくなった。たまに入荷するものは色が悪く、鮮度落ちし、柔らかく、使い物にならないものだけとなってしまった。

何が起こったのだろうか。何が原因なのだろうか。

 今回の平潟漁港行きの最大の目的はこの春子の消息を識る事であった。
 昨年11月の連休、茨城県常磐海岸、磯原の山海館を訪れる。総ガラス張り、南向きの角部屋は、紺碧に澄み渡る晴天の秋空と、広大な一面の海の中にあった。眩く、胸の透くような光芒に抱かれ、壮大な自然の美しさを演出していた。外海の決して穏やかでは無い岩場の荒波と、ミズスマシのように、ひたすらにサーフィンをしている若者達の動きは、無声映画のように長閑だった。板張りの廊下には優しい弾力があり、素足で歩くと懐かしい心地良さが伝わって来た。今回の5月の連休での再訪は、この素晴らしく、忘れ難い快適な時間の再体験のためでもあった。
 翌朝、眼前の日の出を拝みながら、近隣にある大津港、平潟港行きを思う。晴天ながら波高く、少し時化気味だ。明け方より、午前7時から8時頃になっても、昨秋に見た西方から東上し、両港へ帰港する漁船の群れが全く出現しない。本日休漁か。鰹漁でも名をはせている大津港は、連絡するも応答無し。大津港は、関東近隣の漁協としては珍しく、日曜休漁であった。残念ではあったが、目的の平潟漁協へ直行することになった。

平潟港は、大津港から山を一つ越えた谷間の入り江に位置していた。
 午前10時半、漁船達はまだ全く帰港せず。出漁船は午後2時から4時頃にかけて帰港、入札が始まると言う。底引き網漁が主体のため、最近では前浜での漁は全くなく、1日泊まりの遠方での漁になっているのだと言う。
 漁協脇の埠頭では、漁師達が転々と散在し、底引き網の手入れをしていた。平潟漁協の漁師達は、ほとんど全てが底引き網漁に従事している。3年前まで、漁協のすぐ前に定置網があったのだが、漁獲量の激減で採算が採れず、遂に廃業してしまったと言う。かって築地市場に入荷していた素晴らしい鮮度と扱いの春子達は、この定置網漁によるものであった。だから、この廃業と共に鮮度、色共に優れた春子の入荷が止まってしまったのだ。平潟漁協も魚種、漁期の変動と漁獲量の激減にみまわれ、漁協存続のための深刻な問題を抱えていた。

 漁協の入札場の脇にある建物の中で、アワビの養殖実験が行われていた。新たな漁業資源開発のための模索なのだった。しかし、たった一人の担当者による実験は、本来の仕事との兼ね合いの中で時間的余裕と予算すらほとんどなく、ただただ個人的な体験の域で遊んでいるに過ぎないものであった。
 常磐産のアワビで、大型のものが獲られていたら、当店のために手当てをしておこうと言う淡い期待は、見事に外れ、最近の漁獲は極端に少なく、県内での消費でなくなってしまうと言う。

平潟漁協の現況
 最近では、ほとんど底引き網漁だけとなっている。
 25年前頃、70トン級の大型底引き網漁船の操業を、水産庁が初めて全国的に許可したのだった。成長経済の中で、漁船は次々と漁獲効率の良い大型船化して行き、平潟漁協でも70トン級は遂に20隻に及んだ。これらの大型の底引き網は、海底にある1畳ほどのものまで含め、大小の岩礁を剥がし取り、魚を一網打尽に漁獲していった。海底はマッ平らとなり、岩礁に棲みつく根魚達を全滅させていった。
  今では漁の対象は回遊魚が中心となり、漁獲量は激減、大型船は、当時の20隻から6隻に減少してしまっている。1隻の年間漁獲高は、漁獲量の減少と物価の高騰との狭間で、減船にもかかわらず、当時そのまま、1億円前後であるという。その他、50トン級の船が6隻、遊漁船も含め小型船は約30隻。
 底引き網漁は、他所の漁協の漁獲海域でも、沿岸より一定の区域内の禁漁区域を除き、その外海での操業は許可されている。だから平潟漁協の船は、ほとんどが2日がかりで遠方の海域へ漁に出る。結果的には、時間の経過による魚の鮮度落ちが問題となってくる。

 今年は、11月頃から3月ころまでの漁の主役となるヤリイカ漁が不振、3月早々には終了。4月の上旬、3日間ほど船引き漁による春子の漁があるも、それもそれ以降ほとんど獲れず。しかし、大型底引き網漁による鮮度落ちした春子は、40キロ入りの1樽が、たったの400円から500円にしかならない。特に東京のすし屋が好んで使う、手のひらサイズの春子は、ベン春子(べんかす)と呼ばれ、産地では捨て値ほどに値段が安いのだと言う。これでは漁師達は春子を専門に獲ることをしなくなる。他の漁のついでの混じりだけということになる。
 2時30分、70トン級の底引き網漁船が帰港してきた。さすがに大きい。船尾の左右には、畳一畳ほどの大きさの鋼鉄の扉が無造作にぶら下がっている。網を海底に落とし、広げさせるための錘なのだと言う。この大きさの、この重さのものを海底で引きずったら海底が平らになってしまうはずだ。この後、4時頃までに4隻の漁船が帰港してきた。漁船により漁獲魚種にかなりの差違がある。

マコカレイ、ヒラメ、ホウボウ、スズキ、赤メバル、エイ、アジ、春子、ドンコ、イシモチ、マダコ、ミズダコ、アナゴ、マトウタイ、アイナメ、ヒイカ、シオサイフグ、マルカニ、アカエイ、カスベ、メヒカリ、メヌケ、ニベ(イシナギ)、クルマエビ、ヤナギカレイ、ムシカレイ、ヤリイカ。 

 しかし、本日はどの漁船も不漁。この水揚げでは大きな赤字なのだと言う。漁師達ももう一つ意気揚らず。
遊漁船、2隻帰港。10人乗りの船に釣り客はそれぞれ4人。2船ともに見事にボウズ。全くのボウズなのだった。根魚のメバルを狙ったとのこと。平潟の近場ではもうほとんど良質な漁場は無く、かなりの遠出をしての結果だ。船頭は、漁協から春子を手に入れ、お土産替わりに釣り客に声を掛けるが、全員に無視される。最近のあまりの不漁ぶりは異常で、釣り客も激減しているのだと言う。これほどまでに漁場を荒廃させた大型底引き網漁船の、水産庁による全国一斉の操業許可とはなんだったのだろう。漁協、行政双方共に漁場の保護・保全・育成のための先見性が全く無かったことになる。
 平潟では、25年前の大型船の年間漁獲高が約1億円。3分の1に減船した今も、やはり約1億円。これでは船主は船を維持してゆくことができない。漁協自体が危機に直面していることになる。

 平潟からの良質な春子の出荷停止により、昨年、今年と茨城県大洗と、千葉県大原からの春子を優先して使用するようになった。大洗では、シラス漁の船引き網で漁獲されるため、鮮度、手入れともに良いものを継続的に出荷してくるのだ。富山湾の定置網漁の春子が消えた今、最も品質の良い物となっている。      平成14年5月20日

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サヨリ

江戸前鮨とサヨリ
 細く鋭く伸びた下顎の先端を紅に染め、しなやかに流れる体型の、背は薄群青色の細かい縞模様。腹は艶消しの鈍い銀色に光らせ、颯爽と、粋で、いなせな色っぽさを発散させている。サヨリはいかにも江戸っ子好みの風情を漂わせている魚なのだ。皮を剥き、握りにすると、銀色に鈍く光る体表と、血合いの上を走る博多模様を思わせる、くっきりとした濃茶の線が、さらに見事に鮮やかで、いっそうの粋で、いなせな様子を見せることになる。      
 しかし、真っ黒な腹膜に覆われた内臓の臭みはは、調理場中をも生臭くしてしまうほどに強烈だ。外見とは全く正反対の意外な体質ゆえに、旨さとは何の関係も無しに、「見掛けによらず腹黒い人間」などと、かっては心にも無い比喩の対象に使われることもあった。

分布
 サヨリの分布は驚くほど広範囲だ。太平洋側は宮城県仙台湾以南、九州まで。日本海側でも新潟県以南、やはり九州に至る。さらに驚くことには、ダイビングのメッカであるグアム、サイパン、セブ、タヒチに至る南洋諸島にも多々群生しているらしく、多々ご対面することがあるのだ。ダイビング中、たまに水面近くで群れに囲まれてしまうことがある程だ。

仕込み
 しかし、これらの国々で、サヨリを食用にし、料理に使われているのを見たことがない。この魚は、骨が硬く、特有の生臭味が異常に強いからだろうか。なにしろ、すし屋が使う数多くの魚の中でも、最も派手な生臭さを持っている魚なのだ。だから丁寧にしっかりと下こしらえをし、生臭味を完全に取り除いてからでないと、持ち味の旨みを堪能することが出来ない。
 すし屋の仕込では、まず鱗を取り除き、背びれ腹びれを切り離し、頭を落とし、腹を開いて腸を出し、腹内を洗い、見事な三角骨に沿って包丁を滑らし、腹開きにし、骨を取り除き、生臭みの原因である内臓を包んでいた真っ黒な腹膜を取り除く。この時、技術が未熟だと身肉を大きく削り取ってしまうことになる。さらに一度、塩水でさっと生臭さを洗い流し、水気を切り、その上で皮を剥き、刺身にすしに使用することになる。
 この魚は、日本人の器用さと、美味追求のための飽くなき食文化がないと扱いが難しいと言うことになるのだろう。

サヨリとカンヌキ
 1年生の25センチ位までのものをサヨリと言い、2年生の35センチを超える大型のものをカンヌキと呼ぶ。その真っ直ぐに伸びた長さと太さの姿が、昔の大きな門の内側に掛ける真一文字のズドンとしたカンヌキに似ているからだ。
 例年、9月の下旬頃、鹿児島県串木野辺りから、早くも指の太さほどの小さ目のサヨリが、築地に入荷し始める。しかし、このサヨリは、商品価値が低いせいもあり、空輸便ではなく、安価なトラック便で輸送されて来る。そのため、鮮度落ちが激しく、さらにその予防のためにミョウバンさえも使用するため、腹が赤く焼けているものも混じり、まだまだ使える代物ではない。
 そして10月の始め頃、突如として東京湾及び相模湾の内湾からサヨリの二年生のカンヌキが入荷してくる。一本釣り、刺し網、流し網漁によるものであり、鮮度は素晴らしい。脂の乗り、旨みはまだ足りないのだが、大型ゆえの身肉の厚さは、旬の先駆けとしては最高品質のもので、高値を付けながら、はしりの旬としての登場となるのだ。


 鯵の旬の終り頃、平行するようにして現れ始めるサヨリは、11月に入ると愈々本格的な旬の到来となる。だから光りものの魚の種類としては、鯵とちょうど入れ替わるような登場となる。9月、10月とまだ体長が小さく、美味さも足らない身質が、この頃次第にしっかりと良化し始め、身質がしっかりと締まり、甘みが出てくるのだ。そしてこの頃、カンヌキも同様にしてさらに良化してくる。東京湾、千葉県側の富津・竹岡、神奈川県側の松輪、下浦辺りから、釣りものが断続的に少量入荷してくる。そして11月、12月に入ると、時化と不漁の合間を縫って、北は宮城県の七ヶ浜から南は知多半島の師崎まで、極力釣りものの手当ての良い良質のものを選別しながら仕入れることになる。
 4月に入る頃になると、遊漁船によるサヨリ釣りが盛んになってくる。水温の上昇と共に、サヨリは卵を持ち始め、深場から浅場に移動し、産卵の準備に入るからだ。産卵のため餌の喰いが良くなり、釣りの対象として人気が出てくるのだ。しかし、この頃、もうすでにサヨリの旬は終りに近づいている。卵が次第に肥大化すると、旨さの旬は終りとなって行く。卵の成長のために、身肉が痩せ、軟化し、水っぽくなって行き、旨みが無くなってくるからだ。

サヨリの旨みとひかりものの仲間達
 サヨリは、そのスマートで華奢な体の中に、淡白でありながらも、したたかな旨みを内蔵している。その外見としっかりとした旨さゆえに江戸っ子達に好まれ、江戸前鮨のネタの中でも、代表的な光り物の魚の一つとして、なくてはならない魚として大切にされているのだ。
 江戸前鮨に使われる光り物の魚達は皆、小魚である。しかも、コハダ、アジ、白キス、春子と、それぞれが独自の個性を持った魚達なのだ。

 サヨリも例外ではない。ちょっと手抜きをすれば、生臭さの極致になってしまうのだが、しっかりと処理をすれば、生臭さの下からその対極の、見事な旨さが表れてくる。サヨリは、体の大きさの割には身肉の薄い魚だ。しかし、その身質の密度の締まり様は、ほとんど水っぽさがなく、しっかりとしている。さらに、しっとりとした食感の中に密やかで爽やかな歯ごたえを持っている。早春の爽やかな、さらりとした香りと旨さと共に、心地良い歯ごたえをしっかりと持っているのだ。この薄い身肉に内在する意外な旨さの中に、さらに淡白ながらも、うっすらとした甘みもたたえているのだ。

 カンヌキに成長すると、これらの旨みはさらに強調されるのだが、血合いに沿った小骨が硬くなり、骨抜きで抜き取ることが必要となる。刺身では旨いのだが、鮨のタネにすると、身が厚く大き過ぎ、
 握りすしの姿としては、形が悪く、粋でいなせな風が失われてしまう。
 江戸前鮨の光り物は、かっては全て塩と酢あるいは昆布で締めてから使ったものだ。しかし近年ではアジと共にサヨリも立て塩でさっと洗うだけで酢洗いもせずに使うようになって来ている。温度管理と流通の飛躍的な進歩は、魚の鮮度維持、保全に革命的な変化をもたらした。

 コハダは皮目の生臭さを消すためと、さらなるコハダ独自の旨さを引き出すために、塩と酢で締めて塩梅をする。白キス、カスゴは身質の柔らかさを締め、皮目の美しさと、さらなる旨さを付加するために塩と酢、又は昆布で締める。
 皮を剥くことのできるアジ、サヨリは、生臭さを殺し、皮を柔らかくし、新たなる旨さを加味するための作業である、塩と酢で締めることを、敢えて故意に放棄することにより、そのまま生鮮の甘みの旨さの爽やかさと、歯ごたえを愉しむことが出来るようになった。そしてその旨さの驚きの再発見のために、その仕事が最近ではむしろ主流になりつつある。この仕事のやり方は決して手抜きなのではなく、新たなサヨリの旨さの再発見と言える。       平成14年3月25日

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