江戸前の穴子(アナゴ)

江戸前の穴子との出合いと感動
 中骨の断面を見ると、ちょうど三角形になっている三角骨の、最上部にあたる頂点の先端部を、身肉を切り残さないように、出刃庖丁の切っ先を、骨に沿って大きく角度を入れる。エラヒレの下から、すみやかにサッと切り開いて行く。肛門の所で庖丁の角度を戻し、一気に尾先まで裂きおろす。この時、刃を中骨に軽く合わせると全く力を入れる必要もなく、ツ、ツツーッと庖丁がすべってゆく。庖丁のすべり具合によって、脂の乗り加減がわかる。
 脂の乗った旬最盛期のアナゴの身肉は、少し琥珀色に色付き、しっとりと密度の高い良質の脂をにじませ、尻ビレは薄い茶黄色に変色している。脂がたっぷりと乗っている証拠だ。4月中旬、早くも江戸前のアナゴは旬に入り始めた。旬の最盛期は6月〜7月。梅雨の栄養豊富な川水をたっぷり飲んでさらに美味しくなってくる。
 この時期のアナゴの美味さは凄い。口中に入れると、全く歯ごたえがなきがごとく、フワァーと溶けてゆき、アナゴの旨みとチョット土ッぽい皮めの香りが、それこそ一杯に広がってくる。
 このアナゴを東京のすし屋は必死に追いかけて行く。当店も必死に追いかけて行く。一年中追いかけてゆく。脂のない時もある時も、旬の最盛期もハズれの時も、春夏秋冬、江戸前すしにとって常になくてはならない重要なネタの一つなのである。
 江戸前のアナゴは、夏の終わり頃から中秋の頃にかけて産卵をする。そのころの極端にやせている時期を除き、東京湾内湾の栄養豊富な環境の中で、持ち前の悪食で貪欲な食欲ゆえに、すぐに身質を戻してくる。他所のアナゴ達がガリガリにやせ細っている頃にも、すぐにしっとりとしたいい脂をたたえ始め、ほのかな甘味と香りを持ってくるのである。
 30年も前の話。見習いの下働きの頃、築地市場へもまだ行き始めで、江戸前のアナゴの凄さがまだ解っていず、自分の能力だけでは羽田沖のアナゴを選別する事が出来なかった頃の話。ある時、旬の最盛期に選別された100パーセント本物で、首の回りがムッとふくらんだようで、頭がまるで小さく見える、丸々と太った羽田沖のアナゴを手に入れた。行きつけの仲買店の無視して買っていなかったアナゴ担当者が仕掛けたのだった。仕込んだ時は感動した。出刃で裂いて行くと庖丁が自然に滑ってゆくんだ。琥珀色の身肉、薄茶黄色の尻ビレ、煮上がりに口中でとろけてゆく身肉の甘さと香り。この時に産地の凄さをいやと言うほど痛感させられた。いい魚が欲しかったら、その魚の旬と産地を検挙に真面目に徹底的に追っかければいいんじゃないか。すし屋の技術はそのいい魚の旨さを最大限に引き立たせてやることじゃないか。ダメな魚はどんなに工夫し料理しても最高に旨くなるはずはないじゃないか。感動と素朴な疑問の第一歩の始まりだった。これを契機に内湾のアナゴと全ての魚についての勉強が始まった。

旬……初夏から夏にかけて。
漁期…獲れさえすれば通年。禁漁期はない。
漁法…筒漁、一本釣り漁、底引き網漁、篭漁。
 かつては最高のアナゴとして評価されていた漁師による一本釣漁は今ではほぼ全滅してしまっている。アナゴの激減と漁師の激減によって漁法は効率の良いものへと移っていった。今ではイイアナゴの漁場ではほとんど筒漁となっている。筒漁は、中にイワシ、サバ等の餌を入れた筒を大量に海中に潜める。アナゴが入ると出られなくなる仕組みで、アナゴは腹が満腹となる。漁師は漁場から直接築地へ直行するため、アナゴは腹がふくれた状態のままで、最近ではその腹っぷくれが江戸前のイイアナゴの証明となる。未消化のエサもアナゴのキロ単価に含まれるというわけだ。一本釣りがほぼ全滅したため、今では筒漁のアナゴが最高品となった。底引き網漁のアナゴは表面の皮質の荒れもあるのだが、微妙に漁場が異なり、ダメなアナゴが多々混在する。篭漁は内湾では禁止されているが、密かに行われていると言う。
 漁場は品川、羽田、金沢八景(野島)の漁師達のアナゴは別格の最上品で、千葉県では木更津、富津、青堀、大貫。神奈川県では横須賀、小柴等の漁場がある。

大不漁
 江戸前の穴子も、他の魚達と同様に定期的に好不漁年を繰り返している。しかし、10年くらい前からじわじわと始まった漁獲量の減少は、特に3年前(平成7年)頃よりは、さらに著しく減少、絶望的に獲れなくなってきている。コハダ、シャコと全く同一の最悪の状況になりつつあるようだ。
 正真正銘の本物の内湾のアナゴは、仲買人の店頭にはほとんど並ばなくなって来ている。密かに「違いのわかる店」にだけ闇から闇へと流れてゆく。一日の漁獲量があまりにも少なく、漁師達が船を出したがらないほどなのだ。「船の油代にもならない」とアナゴ漁は休漁にし、他の魚の漁に行ってしまうのだ。では、一般に流通している誰にでも買える大量の江戸前のアナゴとは何なのだろうか? 松島、常磐、伊勢、九州産、時には韓国産のアナゴまでもが、本来の産地名を隠して江戸前のアナゴに化け、あるいは大量に混在されているのである。
 では、内湾のアナゴと他所のアナゴとの識別はできるのだろうか? さらには、内湾の中でも、羽田、品川、金沢八景・野島産のものと、他の漁場の江戸前のアナゴとの識別ができるのだろうか?
 この能力の有無により、希少なアナゴの流通先が決まってゆく。「魚の世界では、だまされるヤツが悪いんだ」これは仲買人の言い古されたせりふである。100の需要に40の供給しかない時、立派に60の埋め合わせをして100の供給にするのが仲買人の腕の見せ所となる。他所のアナゴを混入してしまうのだ。これを見破れるかどうか。
 生き馬の目を抜く仲買人の腕とのゲームの世界となる。

値決め
 アナゴの取引は「セリ」ではなく「相対取引」によって値が決められる。漁協(漁師)、荷受け、仲買人の三者協議により、一定期間、一定値に定められ安定相場となっている。毎日「セリ」による値決めが行われたら、江戸前のアナゴは暴騰し、それ故に、少量のアナゴがさらに乱獲され、絶滅の憂き目にさらされるだろう。現状では「相対取引」がアナゴの世界には最も適した値決めのように見える。

調理
 朝、市場で締めた「活け締め」のヤツを、店に帰って直ぐに開いて行く。開いてもまだ身肉のピクピク活きているのを、沸騰させた煮汁の中へ落してゆく。じっくりと焼いた骨でとった出し汁と元汁とを合わせた当店独自の煮汁だ。
 この時、活きているアナゴの身肉は、ツ、ツッーツと急激に縮じまる。この大きな縮みが、ふっくらと豊かな身肉の厚みとなる。
  韓国産のアナゴも含めて多くのアナゴが活けの状態で流通して行く。「野締め」あるいは冷凍ものには活け締めの旨み、香りが欠けると同時に、活けアナゴのように急激な見肉の収縮がみられず身肉の膨らみが生じてこない。身肉が硬く薄い状態となる。

旨み
 江戸前のアナゴの旨さは、しっとりと程のよい脂の甘さと、チョッと土っぽいような潮の香りのする煮上がりのいい匂いとにあり、その身肉は口中でみごとにとけてゆく。旬を外した時季でも、この脂の甘さと柔らかさは十分に楽しめる。これはすごいことで、他所のアナゴは旬を外すと、身肉がモソモソと口中に残り、甘み、旨みも薄い。温度の残る煮上りのアナゴは、柔らかく、いい香りがし、ことさらに甘みも広がって旨い。冷めても冷蔵庫に入れない状態のほうが旨い。冷蔵すると脂質が固まり、身が締まる。甘みも少々減殺される。
 しかし、このアナゴを「あぶり戻す」とさらなる香りと甘みと柔らかさが戻ってくる。強火で少しこがしてやっても旨い。活きてるヤツの身肉の皮面に醤油をサッと一刷き、皮目を軽くこがしてやるとこれ又よし。皮を引き、薄く切り付け「洗い」にしてやると美味、美味。噛む程に甘みが口中に広がってくる。かっこうの夏の酒の肴だ。

産地別穴子の比較
1.明石・高砂・加古川のアナゴ
 江戸前アナゴと双璧をなす旨みを持つと評価されるアナゴで、漁場の自然環境の類似性が見られる(大きな川の河口沖の漁場)。このアナゴは関西流調理法のもとで、焼きアナゴとして販売、調理される。両者共に東京流に煮てみるとほぼ同一に旨い。神戸のアナゴすしの名店「青辰」は高砂のアナゴしか使わないと豪語していたが、震災後閉店、神戸行の楽しみが一つ消えてしまった。正午には売り切れ閉店の、「青辰」のアナゴの太巻きを帰京の車中で食す旨さは絶品だった。
2.常磐・松島のアナゴ
 松島産は特にサイズの大きいものが多く、小骨も残りやすいので比較的長時間煮て柔らかくする。常磐産は皮が厚く固めである。旬と外れの味の落差が大きい。底引き網漁と、量をまとめての一括出荷のため、小さな網袋に入れ、活け込むプールでの出荷調整は表皮の荒れをひどくし、白っぽく傷だらけで、身肉のやせてしまっているものが多々混じる。
3.伊勢のアナゴ
 三重県漁連出荷のアナゴで、伊勢近辺にて漁獲され、サイズも豊富で漁獲量も安定している。昨年度は豊漁年で、瀬戸内のアナゴも時には混在するが、伊勢ものとして一括出荷され、区別はつかない。関西、関東の両地域へ出荷され、味も比較的良く貴重な産地であるが、往々にして高値をつける関西に流れることが多い。平成12年8月、遂に養殖のアナゴを試験的に出荷してきた。同じように調理し試食してみると、皮目の硬さが強く、少し口に残るが、十分に通用する旨さを持っている。将来、天然と養殖のウナギ同様に、逆転が生じるかもしれない。
4.九州産のアナゴ
 使用経験なく、不明。
5.韓国産のアナゴ
 韓国から下関へ、下関から築地への船旅は約一週間。この間、生け簀の中で囲われの身のアナゴは貪欲な食欲故に、この間の欠欲は決定的な体重の減量につながり、ガリガリに痩せてしまう。韓国産のアナゴは骨と皮が硬く、身肉も甘さと柔らかさに欠ける。煮上げて冷めると身が硬く反り返ってしまうほどだ。身肉は口中にもそもそと残り、美味しさ全くなし。入荷量は多い。

雑記
◎アナゴは各地より、韓国からさえも「活け」で入荷してくる。「活け」と「上り」とでは料理をした後の旨さに決定的違いがあるからである。
◎アナゴの肝は苦玉(たんのう)を付けたまま煮ると旨い。ホロ苦味が、オツな肴となる。
◎アナゴの煮汁に頭と中骨をじっくりと焼いて採った出汁と醤油と砂糖と酒を足し煮詰めてつくる「タレ」を、すし屋では「ツメ」と呼ぶ。アナゴは「ツメ」を塗って食すのが江戸前すしの基本だが、ワサビも相性がよく、天然の塩を振っても旨い。
◎開いたアナゴに適宜に包丁を入れ、醤油をさっと一刷毛、皮目を少し焦がしながらさっと焼き上げると見事に旨い焼きアナゴとなる。
◎夏には「洗い」も旨く、ハモのように「落し」にしても良く、さらにはハモすきのハモの代わりにアナゴを使っても旨い。
◎たまに、妙に泥臭い味のするアナゴにぶつかる事がある。個別のアナゴの生息場所と生態によるのであろう。
◎アナゴを握る時、腹側上半身は皮目を上に、下半身は身肉を上にして握る。これは穴子に火を通すとそのように身肉が反り返るためで、結果的に握りやすいからである。
◎アナゴは腹上と腹下とどちらが美味いか? これは単に嗜好の問題である。
◎大田漁協(羽田近辺)の登録組合員(漁師)…90名余
 芝漁協(品川近辺)の登録組合員(漁師)…75名余
 意外な登録漁師達の数の多さに驚かされるが、実際にアナゴ漁に従事する漁師はそれぞれ五から六名位で、他は単に登録されているだけに過ぎない。漁獲量の激減とともに老齢化、後継者なし。江戸前のアナゴ漁もやがて消滅か。
 平成12年6月16日。先週より始まった梅雨とともに、アナゴはいよいよ最盛期となっている。しかし本年も相変らずの不漁年で、あまりの漁獲量の少なさのため、いいアナゴ達は人目に付かない密かな流通となっている。そして小柴の子持ちのシャコ達も相変わらずの不漁の中にありながら、いっせいに卵を落し、子持ちの旬は終わったようである。しかし、今年は江戸前の富津のとり貝が予想を裏切り、4月から5月にかけて、久々の期待の登場となり、逆に他産地の大不漁と相まって、東京のすし屋達にとっては救世主的役割を果たしてくれた。      平成12年6月

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真蛸(マダコ)

久里浜の蛸
 昭和60年頃、当店では、「久里浜のタコ」を使っていた。
 関西では、明石のタイ、明石のタコ、若狭のサバ、若狭のグジ、下津井のタコ、鳴門のタイなどと、最高の魚を愛でて、産地の名を冠のように被せて言うことが多いが、関東でも、この産地の定冠詞を載せて呼ばれる魚たちがいくつかある。
 東京のすし屋の間で、ひとくちに「久里浜のタコ」という時には、特別の意味合いを持っている。それは、三浦半島で獲られたタコを、独自の方法で茹であげたタコのことを言っているのである。見事な深いアズキ色と、いかにもタコらしいタコの香りと味わいを持つ、最高級の茹でタコなのだ。しかし、久里浜の何処で、誰が加工しているのかは、この頃には、もう一つ不明であった。
 当時、このタコの茹で方はさらに謎であった。少なくとも、僕の周りの職人仲間の間では謎であった。曰く、あのアズキ色は茹でる時にアズキ豆を一緒に入れて煮るから出るのである。曰く、大量のお茶と、酒を入れるから出る色なのだ。曰く、曰くと色々な説はあったのだが、実際に試してみると全て見事に失敗であった。色が出ない。香りが出ない。少し固めの茹であがりで、噛めば噛むほどに旨みの出てくる、あの独特の旨みと歯応えが出てこない。
 いろいろ失敗を重ねている頃、三浦半島の付け根にある生麦市場から直にシャコを背負い込みで売りに来ていた「おじさん」が、ある時ひょいと漏らした。
 「久里浜のタコなら生麦でも茹でているヨ。」 「エッ、なんで久里浜のタコを生麦で茹でているのだ?」 さっそく見学に行った。
 生麦市場の裏に加工場があり、タコを茹でていた。見事にアズキ色をしていた。久里浜のタコとは、三浦半島で獲られたタコを、三浦半島地域での独自の茹で方をしたタコの総称であった。だから、このタコは、久里浜でだけ茹でられているのではなく、三浦半島のあちこちの加工場で茹でられているのである。しかし、この時、加工業者は、その加工の仕事の秘密を教えてはくれなかった。アズキ色の発色は、茹で汁を何回も重ねて使うことで出ることは判った。さらに風を当てると、深く、濃いアズキ色になることも判った。しかし、あの固ゆでの茹であがりと、独特で良質な旨みの出し方は判らなかった。

タコの柔らか煮
 試行錯誤が始まった。素材、調味料、温度、時間、塩もみの方法、茹で汁の量、漬け込み。当時、どう工夫しても、結局久里浜のタコの再現は出来なかった。だが収穫はあった。けがの功名で、当店独自のタコの柔らか煮を作り出すことが出来たのである。タコを何回も重ねて煮出した元汁の利用、番茶とたっぷりの酒、長時間の煮あげによる柔らか煮である。以後この柔らか煮は当店の看板となり、さらに工夫が重ねられて現在に至っている。

大阪の「たこ梅」のタコの柔らか煮
 ある時、大阪からのお客さんが、このタコは大阪のおでん屋「たこ梅」のタコの柔らか煮にそっくりだと言い出した。そんなはずはあり得なかった。当店と同じ煮方をしたタコを、おでんの出し汁の中に入れたら、タコの皮がべろべろに綺麗に剥けてしまうはずなのである。しかし、「たこ梅のタコ」は大阪名物の評判の旨いタコであると、しつこく言いつのるのである。これはもう、一度行って食べてみなければ話にならないではないか。東洋陶磁美術館の「李朝」を見に行くついででもあった。
 「たこ梅」のタコは、見事に「たこ梅のタコ」であった。煮上げられた明石のタコは、東京のおでんのように、再度出し汁の中には入れられることはない。柔らかく煮上げられたタコは、一人前ずつの大きさに包丁を入れられ、串を打たれてバットの中に並べられ、出番を待っていた。たこ梅の柔らか煮は、甘みを入れ、何回も重ねて煮た元汁の中で、長時間煮ることによって得られる柔らか煮である。当店の、すし屋としてのタコには甘みはいっさい入らない。これは両者の決定的な違いであった。しかし明石のタコの柔らか煮は、おでん屋さんのタコとしては、評判どおりの旨さであった。
 この時、もののついでのように食べだしたおでんが凄かった。見事に驚かされたのである。「さえずり」「ひろうす」「丸天」「広島のカキ」その他その他。全部、全ての種が、みんな旨いのである。ナンなんだ。このおでんは? なンて旨いんだろう。とにかく、みごとに旨いのであるが、このおでんは東京のおでんの世界とは全く違っていた。このおでんは、全ての具を大きな丸鍋の中に一緒くたに入れ、下から備長炭でがんがんにして煮てしまうのである。がんがんの鍋の中の汁は見事に沸騰し、煮え繰り返り、濁っていた。動物性のクジラの舌である「さえずり」をも含めて、全ての具の旨みを吸い込んだ出し汁は見事に複雑に旨かった。その出し汁を再び吸い込んで煮えあがった具が、またまた旨かったのである。とろとろの辛子酢味噌を具の上にかけて食べるという、意外な食べ方も見事に旨かった。
 食って食って食いまくった。その間に黒松白鹿の燗酒を呑みまくった。女房と僕の前にはうずたかいチップの山が出来ていた。しめて3万2千円なり。おでん屋さんで、こんなに食べたのは初めての経験で驚いたが、二人とも大満足であった。とにかく猛烈に食べまくったのである。
 その時の感想「料理は、旨さのためだったら、なにをしてもかまわないんだ。理屈ではない、見てくれではない、旨さが全てなのだ」
 このおでんは、江戸っ子で、子供の頃から東京のおでんの味になれている僕にとっては大ショックであった。このおでんは、見てくれが良く、綺麗だが、旨さの感動の全く無い、最近流行りの料理の対極にあった。
 以来10数年、年に2回から3回、この「たこ梅」のおでんの食楽と東洋陶磁美術館の「李朝」を見るためだけに、大阪へ通うようになった。食と、美に対峙する自分の変化を知るための定点観測の場所となっている。しかし、最近では、年齢相応に食欲が落ち、当時の半分ぐらいしか食べられなくなってしまっている。
 その後、大阪のお客さん達に、たこ梅の旨さを話すことがあるのだが、ほとんどの方が、もっと安くて旨いおでん屋があるよという言い方をする。安くて旨いは大阪の食文化の呪文みたいなものなのだろう。

佐島のタコ 活け蛸と旨み

 築地に「活け」で入荷してくるタコには、常磐、外房、千葉県の内湾、三浦半島、三重県もの等がある。最近の活け魚ブームは、タコまでも活け造りの対象になってしまっている。だが、各地からわざわざ活かした状態で入荷してくるのは、なにもタコを生で、活け造りにして食べるためではない。アナゴ、シャコ、ハマグリ、煮アワビ等、すし屋のネタの中でも、火を通して料理する魚は、全て活きた状態のもとで火を通していくからこそ、その持ち味が、さらにも増して立ちあがってきて旨いのである。だから市場では、上がってしまったタコは半値以下の捨て値となってしまうのである。
 活けで入荷してくるタコの産地の中では、三浦半島のタコが最も高く評価されている。東京湾内湾の中でも、千葉県側と、三浦半島側のタコとでは微妙に評価の違いがあり、値段の差が出てくるのである。その三浦半島の中でも、佐島のタコがさらに最高級品とされている。佐島のタコは、値も最高値をつけるのである。
 では、佐島のタコは、他の産地のタコ達と、何がどう違うのであろうか。
 佐島のタコには、香りと甘みがあるという言われ方をする。当店でも長年、佐島のタコを追いかけているのだが、8月から10月の半ば頃を除き、通年他所のタコに比べ、身肉が厚く太り、煮あがってからの甘みが濃い。煮あがりの香りも、いかにもタコらしい良い香りが強く感じられ、旨いのである。

佐島の漁場
 佐島港は、様々な高級魚を水揚げする漁港として知られている。佐島沖にある岩場の根は「亀ぎ根」と言い、魚介類の生息環境としては、最高の条件を持った根となっているという。
 さらに岩場の根に生息する魚達は、底引き網漁、巻き網漁では漁獲することは出来ない。一本釣り漁と、定置網漁、タコ壺漁が主となっている所以である。
 これらの漁法は、高級魚達の付加価値をさらに高める理想的な漁法なのである。この魚達にとって最高に恵まれている岩場の根は、タコにとっても最高の餌場であり、生息地であるはずである。だから佐島のタコは旨いのであろう。
 佐島のタコは、通常、佐島の沖合いにある岩場の根に生息し、冬場の水温の低いころには、さらに深い砂場の辺りに移動する。漁場内に沈められているタコ壺の数は膨大で、全部引き上げると、佐島の浜が、全て埋まってしまうと言われる。産卵後の8月、9月は休漁となり、タコ壺も陸に揚げられるのであるが、多くの壺が、さらに深場に移され、繋がれているという。深場の海の中で、壺は洗われ、貝類の付着物もきれいに落ちるのだと言う。
 佐島のタコの名は評判高く、有名であり、佐島漁協での入札も高く付けられるので、葉山など近在の漁協のタコも漁師たちにより、積極的に持ち込まれることが多い。「佐島のタコ」に化けるのである。

佐島のタコの外見上の見分け方

 では、佐島のタコは、外見上からは見分けることが出来るのであろうか。瀬戸内海の明石、下津井のタコは、色が白っぽく、足が少し短いので一目で見分けることが出来る。しかし、佐島のタコと、他所のタコとの外見上の違いの指摘は難しい。強いて言えば、足がむっちりと太っていることぐらいしか言いようがない。出荷してくる時に、一匹ずつ網に入れられてくるのだが、この網が他所のタコの網と少し違うので目印になる。しかし、この目印を逆手にとって、佐島漁協使用の網を手に入れ、他所のタコを中に入れるというセコイ業者も出ている。流通業者の信用を買うしかないのである。三浦半島、下浦のタコで、たまに別格的に旨いタコにあたることがある。茹で上がりの身肉が少し赤っぽく、まるで煮崩れたような柔らかさを持ち、甘く香りがある。しかしこのタコは、生きている状態での外見上の判別は難しい。

タコの大きさと旨さ
 タコは2キロから3キロくらいの大きさが最も旨いとされ、値も高く付く。この大きさに成長した頃が、最も旨みが充実し、香りも高くなり、あつかいも良くなるからだ。特に柔らか煮にした時、この大きさのものは、長時間の煮あげに負けず、しっかりと旨みと香りを保っている。
 旨いタコを煮るためには、仕入れの際に、大きさの旨さも考慮に入れる必要がある。 

旬とサイズの変化
 通常、タコの旬は初夏から夏にかけてといわれる。東京湾内湾、三浦半島、瀬戸内の明石、下津井のタコは、八月前後の産卵に備えて餌の食いが良くなり、瞬く間に2キロから3キロの大きさに成長して行く。タコ壺は、産卵に備えての格好の棲家となり、そのために大量に漁獲されることになる。産卵に備えて、身肉が見事に太り、ゼラチン質がのってきて旨くなる。タコは、旨さの旬と、漁獲の旬とが一致する魚なのである。
 8月に入り、産卵がほぼ終わる頃、各産地では漁を止め、タコ壺を陸へ上げてしまうところが多い。タコは産卵を終えると死んでしまう1年生だといわれる。6月頃から8月に向かい、タコ壺にかかるタコはほとんど2〜3キロ前後の大きなサイズのタコである。タコ壺を生涯最期の締めくくりの産卵場所に選んでいるからだろう。
 そして10月。再開されたタコ壺漁で獲られるタコは、サイズの小さいものが主役となっている。サイズが1キロから1キロ半の大きさのものが多い。このタコ達は身肉もまだ痩せていて、足も細く見える。
 やがて10月の終わり頃になると、徐々に身肉が再び太り始め、ゼラチン質が多くなり、香りも、甘みも強く、旨くなってくる。抱卵の時期に入ってゆくからだ。晩秋から冬にかけ、もう一度タコの産卵期があるためである。だから、タコには年に二度旬があることになる。夏と晩秋の、抱卵の時期のタコを柔らか煮にして冷蔵庫に入れておくと、うっすらと煮こごりの状態となる。ゼラチン質の発生は、旨さの証明でもある。この産卵の二重性を探ってみると、一つの産地に二通りの性質をもったタコがいるのではないだろうかと考えられる。残暑から初秋の頃に生まれて、ちょうど1年後に産卵する夏タコと、晩秋から冬にかけて生まれ、1年後の同じ頃に産卵する冬タコと。しかし、漁獲量からみると夏タコの方が圧倒的に多いのである。

明石のタコ
 旨いタコの代名詞のように言われる兵庫県、「明石のタコ」は、岡山県の「下津井のタコ」と共に、瀬戸内を代表するタコである。このタコは、砂地に生息し、イカナゴなどの豊富な餌を食べ、見事に太り、香りが良い。色は少し、白っぽく、足の長さは、他の産地のタコと比べると、少し短い。他所のタコよりも甘みがあり、香りも強いと言う。三浦半島のタコが不漁年の時に、明石・下津井のタコが豊漁年であることは、多々ある。茹でタコとして加工されたものは、多少関東にも出荷されるのであるが、活けタコとしての出荷は技術的に難しく、上がりのロスが大きくなるため、産地ではやりたがらない。
 2年前、明石の「魚の棚市場」へタイとタコの勉強に行った時、市場の人達に夏タコと、冬タコの2種類のタコの存在について質問したのだが、あまり明確な答えは返ってこなかった。
 明石では、春タコ、夏タコ、寒タコ、という言い方をする。それぞれ旨い時期として賞味するという。春タコは4月から6月頃に獲られるタコのことで、特に田植えの終わる6月末には、タコを賞味する習慣があり、高値となる。夏タコは7月から8月にかけて獲られ、産卵に備えて急激に太って行き、旨い時期である。寒タコは12月頃から1月頃にかけての寒中に獲られ、賞味される。一部産卵するものもいる。
◎夏タコと寒タコは同種の真タコで、同種の中に産卵期のずれているものがあるらしいという。
◎5月頃には未だ1キロぐらいの小さめのタコが、急激に成長し、7月頃には2キロくらいの大きさになっているという。 ◎9月から10月にかけては産卵後で、最も漁獲量が少なく、タコも小型のものしか獲られない。この頃、漁師たちは休漁とし、タコ壺を陸に上げる。
◎明石のタコと、東京湾内湾から三浦半島にかけてのタコ、三重県のタコの生態は、ほぼ似ている。ともに漁獲量が最も多くなる頃を、味も旨くなる旬とし、重要視されるのは、夏タコの時期である。
◎渡りタコといって、宮城県、福島県、茨城県の常磐地方では、晩秋の頃、大群をなして回遊する真タコの一群がある。生態の詳細は不明である。この時期には大きな卵を持っているタコが多い。産卵準備のための大移動か。

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佐島漁協 行
       平成9年6月15日

 平成9年6月15日、久々に佐島を訪れた。
 佐島漁協は、三浦半島のほぼ中央部の西海岸線上にある。相模湾に面し、逗子駅より車で20分ほどの距離である。今回は、産地荷受け業者である「福水産」の専務、富本一夫氏により、漁況、入札の現状、さらに、タコの加工業者「カネマツ」にて、佐島のタコによる「久里浜のタコ」の加工現場を見学。

主な漁獲魚
マダイ、ヒラメ、アオリイカ、スズキ、マコチ、マダコ、マイワシ、ウルメイワシ、イナダ、カツオ
漁法
一本釣り漁、延縄漁、定置網漁、タコ壺漁
タコ壺漁
夏タコ 本来の旬であり、5月、6月、7月が最盛期となる。
冬タコ 11月〜2月頃にかけて漁獲される。
◎タコの足のいぼいぼが揃っているのは雌の地タコで、不揃いのものは雄タコであるという。
◎イナダ漁が大漁の年の翌年は、アオリイカが不漁年となる。イナダがアオリイカの稚魚を食べてしまうという食物連鎖のためであるという。

久里浜のタコの加工現場の見学(「カネマツ」の加工場にて)
「長年の謎の解明」

タコの加工は、常時しているのではなく、タコがまとまって獲られ、量を確保することの出来た時に加工する。量が確保できない時には、他の漁協のタコをも一緒に手当てすることになる。

加工

(1)タコを塩もみする。大きな回転式の塩もみ機があり、適量のあら塩を放り込み、よく揉みこみ、 後に水洗いをし、完全にぬるを取り去る。この完全にぬるを取り去ることが皮の剥けないための大切なポイントであると言う。
(2)大きな茹で釜があり、中には秘法の何十回となく重ねて使いこんだ元汁がはいっている。
(3)この元汁の中で煮るのだが、煮る温度と時間は「カネマツ」の秘法で公開は出来ない。
◎煮る温度が秘法であった。久里浜のタコの固ゆでの旨さは、全てこの温度にかかっていた。
(4)茹であがったタコは、水でよく、きれいに洗い上げる。
 以上が、久里浜のタコの、加工の全てである。謎も、判ってみればコロンブスの卵であるが、やはりこの茹で方を考え出した人は凄い。最近では、常磐の茹でタコ、さらにはアフリカの茹でタコまでもが、この久里浜風に加工されているものを見かける。
 しかし産地加工の魚介類の悪弊は、佐島のタコにも見事に当てはまる。流通過程において、なんらかの理由により、冷凍されてしまう事が多いのである。あたら素晴らしい魚介類が、流通業者達の一方的な都合と無知な怠慢とによって、不当に不味くされてしまっているのである。
疑問と課題
◎真タコは、雄と雌とでは、どちらが旨いのであろうか。
 真タコの雄は吸盤の大小が不揃いで一本の足の先に、吸盤を持たぬ小さなビラビラの付いた、先端部が細く長く伸びている生殖器を持っている。その足の吸盤沿いの脇にはさらに大きな白いびらびらが並び付いている。
 平成12年6月10日、南淡路島阿万の松栄丸水産より真タコが送られてきた。試食してみてくれと言う事であった。浜締めと適正な温度管理による「追っかけ」の配達便は、まだタコが生きている状態にしておくことに見事に成功していた。吸盤がまだ良く動く状態である。鳴門海峡から沼島にかけての砂地に生息しているタコだそうだ。明石、下津井のタコと同じ生息条件のタコであり、豊富なイカナゴを食べ、色は少し白っぽく、足が短いところも似ている。
 さっそく普通の茹でと、当店独自の茹でとの二通りのやり方を試してみた。タコは柔らかく、香りもあり、甘みが十分にあった。翌日、今度は別のタコが酸素のブクブク入りの発泡スチロールに入れられて送られてきた。これもかなりの甘みがあった。鳴門のタコはみんなこんなに甘いのかと言う疑問の答えとして、大量に漁獲されたタコの中から、色、艶、形で甘いタコが判別出来るのだと言う。さらに今回のものは、かなり柔らかくなった。その原因は何か。しばらく試してみる事にする。7月20日、以来20匹の鳴門のタコは何故か皆雄であった。カニ、アオリイカ、シャコ同様、身肉の旨さは雄の方が優れているようである。   平成十二年七月

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蝦蛄(シャコ)

旬と旨み
 春まだ浅く、桜前線の北上もいまだ聞こえず三寒四温。やがての訪れに少々気持ちが浮き足立ってくる3月も上旬、築地市場には約4ヵ月ぶりで、「小柴のシャコ」が入荷しはじめる。正式名称「柴漁協のシャコ」だ。
 3月上旬、少々卵を蓄え始めた子持ちのシャコは、水温の上昇と共に、次第に卵を成熟させて行く。4月中旬から6月上旬にかけ、卵は完熟期に入ってゆく。
 「子持ちのシャコが旨いんだ」10人中9人までが口を揃えて言う。黄橙色に膨らませたパンパンの卵は身からはじけ出しそうな風情である。この時期の卵は、まるで鰹節のように見えるため、通称「カツオブシ」と称される。
 やがて6月、梅雨の訪れと共に雨水が大量に海に流れ込み、さらに水温が上昇してくると「待ってました」とばかりに産卵を始める。これで子持のシャコの旬は一巻の終り。シャコはペタペタに痩せ衰え水っぽく、ボイルしても殻が剥がれにくく、誰れも見むきもしなくなる。やがて夏が終り、秋が始まり、そして晩秋。11月中旬〜11月下旬頃、夏場の産卵でペタペタに痩せたシャコ達が密かに体力を取り戻している。ふっくらと体全体に豊かな身肉をみなぎらせているのである。晩秋の脱皮に備えるためだ。
 この時期、脱皮直前に迫ったシャコ達の身肉の充実振りはすごい。丸々と太り、殻全体がふっくらとふくらんでいる。この瞬間のシャコが旨い。美味! 美味! 見事に甘くて旨い! 天然のクルマエビの旨さに迫るほどである。
 いったい鰹節の状態になった子持ちのシャコの、あのモソモソの食感と甘みの少なさはなんなのだ。持ち始めは旨いのだが、5月前後のあの鰹節満タンの美味とはなんなのだ。脱皮直前の、子無しのシャコの甘さ、旨さと比較してほしい。
 だから、シャコの旬は年に二回有ることになる。
(1)春先から梅雨時にかけての、子持ちの時期の旬。
(2)晩秋の、脱皮直前の、卵は持たないが、身肉がパンパンに張り詰めて入っている甘み香りがいっぱいの時期の旬。

平成9年の異変

 しかし一体、何が起きているのか。平成9年夏、昨年に続き不漁であった子持のシャコは、梅雨に入っても、降雨量が少なかったせいか一斉に卵を落とせず、だらだらと産卵が続いた。選別しながら、遂に8月の上旬まで子持のシャコの入荷に付き合ってしまった。さらに平成9年晩秋、脱皮直前の、豊満に身を太らせた小柴のシャコ達は遂に1匹も築地に姿を現わさなかった。産地での漁獲はほぼ全滅の状態だった!
 小柴の漁師に電話をすると、漁師達は「大不漁年だネェー」というだけ。東京湾内湾が絶滅の危機に陥っているというのになぜか声を大にしない。なぜだ!

平成10年春先の現状
 平成10年の年明け、小柴漁協は、相変らず全ての魚の漁獲量が大激減している。とにかく魚が獲れないと言う。アナゴも、スミイカも、シャコも、カレイも、クルマエビも…。3月中旬、やっとかつての小柴を思わせる、卵を少し持ち始めのシャコが極く少量入荷、さすがこの時期のものは美味、甘くて旨い。
 さっそく、今年の現況を聞くために、小柴の漁師で酒屋さんでもある浜屋さんに電話をする。「あまりに漁が少なく、去年より、パートの「シャコの剥き手」を全て解雇。家族だけで、それも最盛期の3分の1の時間、1時間位で全ての加工の仕事が終了してしまう」とのこと。嗚呼! なんと言うことだろう。何がどうなっちゃったのだろう。
 最近、築地では、小柴の「大」「特大」サイズのシャコは仲買人の店頭に並べられず、全て闇から闇へと流通して行く。特に、特大サイズのシャコは、熨斗をつけたように、闇から闇へと、密かに売買され消えて行ってしまうのである。入手はすし屋同士の力の勝負だ! 平成9年は、子持ちのシャコの出回りが遅れ、3月下旬頃にボツボツ少量入荷も、雨が少なかったせいかズルズルと終了が伸び、8月上旬近くまでだらだらと続いた。今年もその伝か。8月中旬現在、前年と全く同じ状態となってしまっている。

シャコの加工
 シャコは生きている中にボイルしないと、急激に身が落ち不味くなり、その上、殻もむきにくくなる。そのため全てのシャコは、産地でとりたての生きている状態でボイルされ、殻を剥かれ、プラスチックの皿に並べて出荷される。すし屋はそのシャコを仕入れ、そのまま売るだけとなる。
 昔はこのシャコを汁に漬け込み、味付けして使ったのであるが(これは火入れによる腐敗防止の意味もある)、当店では仕込みの際にサット蒸しを入れるだけで、握る時にさらにサット強火であぶってから天然の塩をのせて握るようにしている。シャコの甘みを出してやるためである。

小柴のシャコの優位性
 ボイルの加減、むきの技術、出荷態勢、距離の近さ、及びシャコ自体の品質の高さにより、小柴のシャコは築地では最高級のシャコとして珍重評価されている。卸値はセリではなく、相対取引で決められ、一定期間の値の変動をおさえている。

産地での生鮮加工と冷凍品の流通

 5、6年前頃、9月、10月にかけて、どういうわけか小柴からの「子持ちシャコ」の入荷が続いた。「チョッと水っぽいし、甘みが足りない。これは時期的にもおかしいし、ダメだ」と当店使用せず。後日、小柴に行った際「小柴が冷凍品を出荷したら小柴の名がすたるョ」「やっぱり、わかるかネェー」との問答があった。冷凍加工技術の高度化の話にのせられたらしい。
 シャコは北海道から九州まで分布は全国的である。各地で名産物となっているが、全て産地で漁師自らがボイル加工後、各消費市場へ出荷される。宮城県石巻、香川県観音寺は代表的産地であり、自称「生鮮出荷」というが、多少冷凍気味で水っぽく、純生での入荷とは考えられない。シャコは一寸でも冷凍や冷気の霜がかかると水っぽくなり甘みを落とす。それゆえに小柴のシャコが珍重されているのに、小柴が冷凍品出荷とは…反省してもらいたい。
 翌年より中止決定とのこと。

シャコの爪
 1匹のシャコから2粒の「つめ」が採れる。これが旨い、みごとに甘い。チビチビとやる晩酌にはもってこいの肴になる。「つめ」の筋肉部位の抜きとりは、手間のかかるむずかしい仕事で、日本全国でも爪の加工、出荷可能の産地は少なく、小柴、観音寺ぐらいである。

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柴漁協(神奈川県柴 通称 小柴漁協)行
          平成10年4月

小柴のシャコの沿革と漁場
 柴漁協は三浦半島北東部の付け根にある。長浦水路を狭み、横須賀港に隣接、沖合いに水深2〜3メートルの絶好の漁場である中ノ瀬を有する位置にある。
 かつて東京湾内湾最大の名産地、子安、生麦の漁師達の京浜工業地帯の発展による漁業補償と漁業権放棄、廃業にともない、その好漁場が結果的に柴漁協の漁場域となった。さらにシャコの秘伝的加工技術までもが子安の漁師たちから引き継がれたという。東京湾では、春先から夏場にかけ、抱卵のシャコの80パーセント強が東京湾北西奥湾部に集中的に移動してくる。最好適の産卵場があるためだ。この全ての産卵場が小柴の漁場となり、小柴の漁師達が漁獲、加工を施して出荷してくる。小柴のシャコは、その品質と高度の加工技術により、日本中から築地に入荷する各地産地の中でもトップブランドとして名を馳せてきた。築地市場では、小柴のシャコを最高級品として評価している。
 しかし、県による再三にわたる好漁場の埋め立てと工業団地の開発、それに対する漁師たちの補償金の受領により、年々の漁場の縮少、漁獲量の激減を暗黙の内に認める結果となってしまった。

加工技術と旨み
 漁師達は、それぞれ全員が自宅にシャコの加工場を有し、午後12時〜2時頃までに自ら水揚げしたシャコを、生きた状態で直ちに特製の茹で釜で、高熱のもと一気にボイルし、冷却、剥きの加工を施し、午後七時には、漁協の集荷所へ出荷する。そしてただちに各消費地市場へ出荷されてゆくのである。
 加熱加工された魚貝類は、その時点より鮮度落ちとの戦いが始まる。生鮮魚介類より傷みが早く、旨み、甘みの劣化も急速で、優れた加工技術と出荷態勢、築地への最短距離の地理的優位性が、小柴のシャコの旨さの評価に直結している。小柴のシャコの底引き網漁の仕掛漁具、加工技術は秘伝で、マスコミの取材には一切応じないという。
 かつて、十五年ほど前の晴天の日曜日、小柴のシャコ漁の実態と加工状況を見学したくなり、ブラリと小柴へ遊びに出かけた。しかし、どの漁師も加工方法については剣もホロロ、全く相手にしてくれなかった。つらい目にあって、昼から酒屋で自棄ビールを飲んでいた時、たまたま漁師の兼業酒屋でもあったその酒屋の「浜屋」さんで、シャコの加工現場の見学 の許可が出た。以後再三遊行、質問質問の繰り返しのなかで、やっと小柴の実態をよく識ることができた。

漁獲量の激減

 小柴は魚種と漁獲量ともに恵まれた好漁場を有し、後継の若者達も多数育成され、有数の理想的優良漁協として注目されてきた。しかし、近年全ての魚の漁獲量の大激減に見舞われている。連続出漁すると漁船の油代にもならない日が続くという。そのため先日、休漁中の若者達を遊ばせないために、新たに別の仕事を探し与えるための相談会があったという。本当に信じられない事態が今、起きてきているのである。

漁獲量激減の、考えられる原因

(1)10年前頃、横浜港拡充工事に伴う、補償金の受け取りと引き換えに、小柴の本牧沖漁業権の放棄は、好漁場であった海域の掘削と、その砂泥による沿岸の南本牧の浅場の埋め立てというダブルパンチの好漁場の喪失を発生させた。
(2)平成9年度タンカーの事故による重油流出と拡散防止のための活性剤の大量散布の影響。
(3)東京湾アクアラインの工事による影響と完成による潮流の変化。
(4)生活及び自然廃水の新たなる大量放出の認可により、大量の真水が湾内に流入することになった。(知られざる深刻、極めて重大な原因である)
(5)湾内の海水温の低下、平均一度低い。
(6)有機化学物質による環境ホルモンの影響は如何に。今やっと問題にされ始めたばかりだが。
(7)さらに、タンカー座礁の原因になる可能性があると、第三海堡の取り壊し及び東京航路のさらなる掘削計画の決定。(水深134メートルを24メートルに7年間で掘削して行くと言う)
 小柴でのシャコも含めた魚貝類の大激減は以上の諸原因が相乗的に作用した結果なのだろう。

問題提起
 シャコはとり貝と同様に、産地で加工処理され、プラスチックの小皿に並べて出荷されるが、最低でも半日〜1日の時間経過があり、旨みが減少される。九州、瀬戸内等の名産地で茹でたてのシャコをさんざん食べてきた人は、小柴のシャコの旨さを認めない。シャコは茹でたてが旨いのである。車海老と同様に活けの「オドリ」での産地の出荷が可能であるならば、我々職人が、食す直前にボイルすることができ、食べ手は最高の旨みを満喫できるはずだ。産地「オドリ」出荷の研究を願望する。
 一寸ボイル甘めに、特に子持ちシャコの卵を半熟ボイルし、残存温度のある内に食せばシャコの世界観が変わることだろう。
◎漁獲量の大激減=新たなる付加価値の補追=旨さの増大=人気集中=高値販売の可能性が生じる。
これは一挙両得ではないか。漁協の姿勢の変更を望む。

漁獲魚種
マコカレイ、スズキ、ヒラメ、アカガイ、トリガイ、ワタリカニ、アナゴ、キス、クルマエビ
組合員 総数360名、船数約120艘              
漁日数 週に4日稼動(豊富な漁獲量と資源保護のため、毎日出漁はしない)
他産地 千葉県富津、神奈川県安浦(横須賀)、大阪府岸和田、愛知県豊浜、宮城県石巻・七ヶ浜、香川県観音寺、大分県行橋、等産地は豊富である。

小柴漁港探訪雑記

◎シャコとクルマエビは6月〜7月にかけ、産卵のため、浅場に移動してくる。シャコ漁の底引き網漁には、一緒にクルマエビも入るというわけで、小柴ではクルマエビの専門漁はない。
◎少し温度を下げてボイルすると表面にへばりつくようにして出てくる白い脂は、美味さの証明で、身に旨みと脂が乗ってきている証拠である。
◎コハダの巻き網漁は、船橋、富津漁協が中心で、最近小柴、横須賀漁協ではあまり獲れなくなってしまった。少量獲れても、どう言うわけか痩せて、脂のないコハダが多く、評価が低い。漁師たちも、積極的にコハダ漁はしなくなってきていると言う。
◎内湾の小柴、金沢八景辺ではアジ、カレイは小もの主体で、大きくなると外の漁場へ出て行ってしまう。
◎みる貝も生息しているが、深場のため効率が悪く、獲る漁師がいなくなったという。潜水漁での漁獲の可能性がある。
◎5月〜6月、ケタ漁によって赤貝が獲れるが、卵が肥大し、色悪く、身肉も固く、痩せて良品ではない。
◎アナゴ漁は底引き網漁と筒(管)漁による。

シャコのボイル加工

原料と道具
(1)獲りたての活シャコ
(2)金網篭
(3)ステンレス製フライヤー風ボイル器 1.5メートル正方、熱源プロパンガス

(イ)(3)にタップリの塩水湯を沸騰。
(ロ)(1)を(2)にいれ、(3)に入れる。(1)の量が多すぎないようにし、湯が、すぐに沸騰してくること。沸騰後3分位。大小により差異あり。
(ハ)(2)を(3)からあげ、熱いうちにハサミで殻を剥いてゆく。
(ニ) 最後に爪を処理してゆく。爪を採る仕事は、大変な熟練を要すが、なおかつ大変な時間のかかる手間仕事でもある。
◎「ハサミは日本橋の『木屋』製が優れものだ」との事である。      平成10年4月
◎平成12年6月、相変らずの大不漁である。

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柴漁協(旧小柴漁協) 再訪
          平成13年6月3日
漁協の存亡をかけた、絶体絶命の大不漁


小柴のシャコが消えた

3月の半ば頃に少し卵を持ち始め、やがて4月、5月、6月と卵はパンパンに成長し、梅雨に入る頃までが、「子持ちのシャコ」の最盛期となる。入梅の雨と川水の流入と共に、シャコ達は一斉に卵を落として行くからだ。しかし、今年はどうしたのだろうか。内湾の子持ちのシャコをほぼ独占的に漁獲してきた小柴に大異変が生じているようだ。4月6日、9日、16日とやっと当店でも使えるレベルの、少し卵を持ち持ち始めたシャコが入荷したのだが、その後は入荷しても身質が悪く、遂には良質なシャコがほとんど築地市場に入荷してこなくなってしまったのだ。産地ではシャコの漁獲が激減し、シャコ漁は大不漁年となっていると言う。

シャコが消えた原因はなにか?

なぜなのだろうか? 昭和49年に多大な補償金と引き換えに、漁業権を放棄した後の、小柴漁協を取り巻く諸々の環境の悪化によるのだろうか。この15年来の小柴通いの中で勉強し、感じてきた事を列挙してみる。
(1)宅地と工業団地再開発のために、深場の泥砂の掘削による浅場の埋め立てという2重にわ たる漁場の破壊。
(2)横浜港の国際港化に伴う、航路及び港湾の拡充整備のための第三海ほうの決壊はすでに 終わり、第二海ほうと中の瀬、東京航路のさらなる掘削状況の進行。
(3)平成9年度のタンカー事故による重油の流出による海の汚染と、その拡散防止のための中 和活性剤大量散布による二次汚染の可能性。
(4)東京湾アクアラインの工事による影響と完成による潮流の変化。
(5)生活・自然排水と、工場廃水の大量放出は、湾内への大量の真水の流入による塩水 濃度を変化させ、浄化能力をはるかに超える窒素、リンの流入による赤潮の大量発生。
(6)湾内海水温度の平均1度ほどの低下の常態化。(本年は太平洋側が全面的に水温が低く、 全国的に漁獲異変を生じさせている。)
(7)有機化学物質による環境ホルモンの影響は?
(8)漁法の高度な進歩と、底引き網漁による大小無差別の一網打尽の漁獲による漁場の壊滅的 荒廃。
(9)遊漁船と釣り人達が餌として撒き散らすオキアミの、海底でのヘドロ化と堆積。
(10)三宅島噴火による魚介類の生態系への影響と異変。
等々、遂に悪条件が極限にまで達した結果なのであろうか。
ともあれ、朝から快晴の空模様の中、4年振りに小柴漁協に向う。本日が大漁日和りとなることを期待しつつ。

小柴漁協
 午後1時30分、小柴漁協着。久々だ。
 静かだ。閑散としている。今日の漁は中止だったのだろうか。本来ならば、漁の荷揚げと検量の真っ最中の時間であるはずだ。置き台の上で、だべっている漁協の中年のベテラン担当者らしき人に声をかける。
 今日も漁が少なく、漁船達は未だ操業中とのこと。荷揚げは2時半頃になるらしい。不漁なのだ。
 担当者も漁船が帰港するまでは仕事がないらしく、小柴の最近の状況を教えてもらうことになった。
 シャコは目下、大不漁中でほんのわずかしか獲れないと言う。2、3年前頃から目に見えて漁獲量が落ち始めていたのだ。現在の大不漁は、小柴のこの10年ほどの事情を良く知る第三者には当然予測されるべき事態であったのだ。しかし現場の小柴の漁業関係者達にはあくまでも楽観的な予測しか出来なかったようである。昨年の11月半ば頃、最近では久々に、少量ではあったが脱皮前のパンパンに身肉の充実した子無しのシャコが、継続的に水揚げされたので、今年のシャコ漁に大いに期待していたのだが…。
 しかし今年に入り、2月終わり頃からのシャコ漁は打って変わって不漁となり、やがて大不漁となってしまっている。かって、この状態の大不漁は、40年から50年前頃に一度あったという。しかしそのころの不漁の原因は不明だ。あまりの不漁に、最近では漁師達が出漁したがらなくなっていると言う。漁獲量が極端に少なく、船の油代にもならないのだそうだ。
 話の途中で、この担当者が突然冗談交じりに言ったものだ。漁船が入港するまで、漁協裏の山の手で新ジャガ芋掘りでもしたら、と言う。
 漁師達があまりの不漁と連日の休漁の時間を持て余し、少しは有効に使おうと、ジャガイモの栽培を始めたのだという。ナンと言うことなのだろう。あの栄光の、東京湾内湾の中でも最も漁獲量が多く、内湾の子持ちシャコをほぼ独占的に漁獲することの出来る最良の漁場を持ち、別格的に豊かで、子供達もたとえ一度は都会に出ても大半がUターンし、親父の跡目を継ぎ漁師となってきた理想的な漁協であった小柴が…。1人の年収が2500万円近くも稼いでいた東京湾内湾最大の、栄光の小柴漁協が…。
 2時30分。本日最初の漁船が一艘入港してきた。荷揚げ、検量。セイゴ、フッコ、スズキ、マコカレイが主体だ。しかし、セイゴ、フッコはキロ400円前後。たいした儲けにはならない。
 エッ、エッ!? たったこれだけ? この漁船はたったのこれだけしか今日は漁がなかったのか?荷揚げ量は少なく、検量は瞬く間に終わってしまった。
 次の船も、そのまた次の船も全く同じような状態であった。やがて、15年ほど前から懇意にしている漁師の浜屋さんの名が呼ばれた。浜屋さんの検量が始まったのだ。又々、エッ!! であった。 あっという間に終わってしまったのだ。
 久々に、検量場に立ち会っているおかみさんを見つけて挨拶をする。漁師の旦那はまだ船の中だという。旦那は少し離れた岸壁にもやった船の中で、あぐり網の整理をしていた。おかみさんも元気が無かったが、旦那は輪をかけて元気が無い。
 とにかく魚が獲れないと言う。船の周辺の海を見せられた。変に赤茶けた色をして異常に汚い。赤潮の発生であった。6月早々に早くも赤潮の発生を見たのだ。後で自宅を訪ね話を聞かせてもらう約束をし、漁協へ取って返した。
 後続船の検量の合間を縫って、検量をノートに記録している年配の担当者の方に話を聴く。
 シャコ漁は一船で1日5、60匹しか獲れないと言う。90匹も獲れると感嘆の声が出ると言う。
 先週の金曜日には39艘で良いも悪いもデブロクの品質込みで、400枚(出荷用プラスチックの皿の1枚には、加工されたシャコが7から12匹並べられる)程だった。一艘約10枚。これでは漁にならない。
  かっては良質なシャコが、1日800枚から1000枚獲れたと言う。今では平均10分の1に減ってしまっていると言う。だから今年はシャコ漁の漁師達の大半がシャコ専門のケタ漁を止めてしまい、他のフッコ、マコカレイなどのアグリ網漁等に切り替えてしまっている。シャコを専門に獲る漁師がほとんどいなくなってしまっているのだ。だからシャコの入荷が極端に少ないのだ。
 穴子も獲れないと言う。1日160キロから200キロの漁が、今では70から80キロに減ってしまっているのだ。これは東京湾内湾全域にも言えることで、10年前に年間1500トンの漁獲量が、昨年は500トンと3分の1に激減してしまっている。シャコの産卵が終わり、シャコが獲れなくなる8月から9月にかけて、穴子の底引き網漁が始まる。
  このままのシャコ漁の大不漁状況が続いたら、原因がもう一つ不明なためと、底引き網による漁場の荒廃からの保全のために、この8月から9月にかけての底引き網漁を中止にすると言う。さらにシャコが戻らず不漁の場合、11月12月の底引き網漁も中止にすると組合で申し合せをしたらしい。しかし、今年に始まったことではないが、漁獲量の年々の不振はほとんどの魚種に及び、全国的に広がっているようだ。
 太平洋岸側では、全国的に冷塊水と黒潮の蛇行の影響により魚介の生態に異変を起こしている。昨秋からの赤貝、ヒラメ、コハダ、アナゴ。春先のマグロ、カツオに始まり、マコカレイ、トリ貝、ミル貝、車海老、うに、アワビ、サバ、イワシ、タコ等、すし屋が使っているほとんど全ての魚が不漁年となり、異変を起こしているのだ。
  江戸前の魚達も慢性的な不漁のイワシ、コハダに始まり、マコカレイ、トリ貝、穴子、タコ、シャコも大不漁となっている。今年は有明海の海苔養殖の壊滅的な状況がマスコミよって大きく報道されたが、東京湾内湾の海苔の養殖も大不作となっている。特にタコは、三宅島の噴火以来、生態に大異変を生じたらしく、相模湾の佐島も含めてぱったりと獲れなくなっている。シャコの大不漁もその影響かもしれない。奥尻島地震、阪神大地震の際には、多くの魚介類の生態異変が報告されている。

浜屋さんを訪ねる
 3時40分。漁協からホンの5分。4年振りの来訪は、相変わらずの開発と整備による変化の激しい小柴港周辺の有り様を、また又見せ付けられたのだった。たった4年の間に漁村風景が一変してしまっているのだ。
 漁師の浜屋さんは酒屋さんも兼業だ。冷え冷えの缶ビールを飲みながら今年の小柴の話を聴く。
 3年前に電話をした時「漁獲量が減ったために1日の稼ぎが船の油代にもならないことがあり、出漁を減少させている。シャコの最盛期には5人で、3時間もかけてボイル、剥き、並べの加工過程をこなしていたのだが、今ではパートの人手は全て切り、夫婦二人だけで加工をし、それもたったの2時間弱で終ってしまう」さらに、「休漁で遊んでいる若い漁師のせがれ達に、何か別の仕事を探してやらねばならず、その相談の寄り合いが今夜ある」と話していたのだった。
 それが、今年はもっと酷く悲惨な状態になってしまっているのだ。漁に出るとドラム缶1本消費してしまうのだが、この油代すら全く稼げないことが多く、確実に赤字になってしまうという。5月には、経費を差し引くとやっと3万円ほどの利益にしかならなかったと言う。これでは生活が出来ない。だから漁師達が漁に出なくなってしまい、他の仕事に出稼ぎに行ってしまうのだと言う。
  しかし、あまりに多くの組合員達が休漁するので、漁協組合では一定の出漁日数をこなさないと除名処分にすると言い出した。漁獲量、漁獲高が少ないと漁協の手数料が出ないからだ。だから学生時代のように出席日数を稼ぐために、わざわざ漁に出ているような状態であると言う。遊漁船も不況と不漁のダブルパンチで、釣り客が減少し、6日に一回ぐらいしか出船できないと言う。小柴周辺のマンション等の建築開発も、安い労働力を使っているため小柴の漁師達の出番がないという。裏の畑でジャガイモを栽培しているが、もう限界に来ていると言う。8月9月の休漁とさらに11月12月の休漁が現実のものとなると、今年の末には漁師の数が半分に減ってしまうのではないか、と言う。兼農、出稼ぎ、漁師の廃業。内湾栄光の小柴漁協が信じられないような断末魔の様相を見せているのだ。

◎地元の漁師達は何が原因と考えているのだろうか? 
「3年前のタンカーの重油流出とその中和活性剤による二次汚染が原因ではないだろうか?」「それまでは一応の水準の漁獲量があったのだから」と言う。…何を半端なことを言っているのだろう。前記の諸々の原因と共に、底引き網漁による乱獲が、漁場の徹底的荒廃を生じさせ、自分で自分の首を締める結果となっているのだ。

◎第二海堡と中の瀬が、航路の拡充整備のために破壊されるという噂は本当なのだろうか?
「既に工事のための調査は終了しており、工事は始まっている。ダイナマイトを使うと漁場を決定的に破壊してしまうので、機械掘りで少しずつ掘削すれば魚に影響は無いと水産試験場が言っていると言う。…何を素人のようなことを言っているのだろうか?
 漁協の検量場の片隅に密かに張られていた内湾の海図と、海底及び海底の磁場調査の予定表は昨年度までのものだったのだ。第三海堡、第二海堡と中の瀬は最後の最も貴重な漁場の一つであり、この撤去と掘削はこの大不漁の、最後の致命的な原因になりかねないということは、漁師ならば百も二百も承知のはずだ。なぜ反対しないのであろうか?
 昭和49年に、既に補償金をもらってしまっているからしょうがないのだと言う。小柴漁協は漁業から完全撤退してしまう気なのだろうか。子安、生麦の二の舞を演じることになるのだろうか? 密かにさらに大きな補償金が動いたのであろうか?  そして又さらに横浜本牧沖、中の瀬には空港設置の計画予定もあると言う。
 とにかく、漁協、漁師等漁業関係者の行動感覚が理解できない。
 平成13年、江戸前の魚達にとって、東京湾を取り巻く深刻な漁業状況は、生態系の末期的症状を示していることになるのだろうか。豊饒な東京湾内湾の再生復活は望めないのだろうか。

「東京湾蘇生プロジェクト(仮称)」

        港湾局環境整備計画室 安井誠人室長
 赤潮の発生が年間50件、漂流油は約2,600キロリットルと環境悪化が深刻な東京湾。この東京湾を蘇生させようという今年1月の省庁再編での国土交通省と海上保安庁の担当部局が協力し、総合的な対策が取られることになり、国土交通省・海上保安庁合同の「東京湾蘇生プロジェクト」が今月立ち上がった。    
 東京湾周辺に住む人の数は約3,300万人。生活排水や工場廃水が絶え間なく注ぎ込み、窒素は浄化能力の10倍以上に当たる1日320トン、リンも約6倍の26トンが流入している。
水質浄化の決め手になる干潟も、沿岸部の約9割が埋め立てられ、残った干潟はわずか約1,600ヘクタール、明治期の8分の1に激減した。最近では「オイルボール」と呼ばれる粘土のような白い油の固まりが沿岸に漂着するようになり、東京都が約90億円かけて対策に追われている。
 オイルボールの元凶とされる合流式下水道の実態解明、漂流ゴミと油を同時回収する清掃船のフル活動、水質のモニター調査、撤去中の第三海堡の残土などの人工干潟への使用、潮流や温度差、赤潮の発生条件など、湾内全体の汚染メカニズムの解析も進め、赤潮発生ゼロを目標にして行くと言う。         産経新聞平成13年6月26日。  (大野正利)

        平成13年6月30日
課題
昭和30年代以降の、東京湾内湾の10年ごとの各種魚介類の漁獲量の増減、変化及び原因を調査、比較する。…海苔、イワシ、コハダ、アジ、キス、サヨリ、タコ、車海老、アナゴ、シャコ、アカガイ、ハマグリ、トリ貝、ミル貝、タイラ貝、ヒラメ、マコカレイ、タイ、フッコ。

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小柴 再々訪
       平成15年5月25日 曇り 風強し

24日(土)
 久々の大阪は、新型肺炎・サア−ズの完全終結宣言の翌日であったが、午後の地下鉄街にはいつもの人出が見られず、影響かなりの大であったことを想像させるものであった。日本経済の沈滞の中にあって、大阪は特に影響大きく、サア−ズは2重にショックであったようだ。中之島の東洋陶磁美術館へ直行。淀川の遊覧船に乗る。まさに川の都、大阪を認識させられる。
 待望の、一年半振りの、「たこ梅」に直行。店先に張り紙あり。暫し休業のお知らせであった。紙の汚れ方とセロテ−プのだらしない剥がれ方が気になり、斜め前の床やさんで消息を聞く。「去年の7月から店を閉めている。1月に1回位のわりで女将さんが店に来るらしい。脳梗塞と言うより、何か足を痛めたらしい。」
 嗚呼!! 遂に「たこ梅」は閉店してしまうのか。神戸の青辰と共に、本当に旨い店が又、1つ消えてしまった。
25日(日)
 大阪からの帰り、最近特に気になっている小柴に寄ってみる。午後3時に柴漁協に到着。
 漁協では今日の漁の荷揚げ検量も終わった後で、閑散としていた。もう既に加工されたシャコの納品が始まっていた。浜屋さんの納品はまだとのこと。急遽浜屋さんの加工場へ直行。夫婦2人とお手伝いが2人、計4人で仕事をしていた。シャコ20枚、爪二枚。ハゼ3枚。加工場はもうほとんど仕事が終っていた。これでは今日は大赤字のはずだ。
小柴漁協の現況を聞く。
 最盛期、2,000万円から3,000万円の漁があったのが、この数年では、800万円位に減ってしまった。その60%が純益として、年間の収入が500万に満たないと言う。さらに1週間に3回の出漁が、築地の荷受けからの要望で2回に減らされていると言う。築地でも売れないのだという。おかしいじゃないか。築地では小柴の大、特大サイズのシャコが不足しているというのに。中、中小のサイズが捌ききれないのだろう。
 なぜこんなに不漁なのか。最近の変化を教えてもらう。中の瀬はもう完全に掘られてしまい跡形も残っていないと言う。東京航路はさらに大型船の入港に備え、10mから15mの深さを20mから25mの深さに掘られてしまった。本牧埠頭拡張工事、羽田空港拡張工事、第一海堡も完全に取り壊されてしまったと言う。
  柴町も近辺も含め、三浦半島は工場団地、宅地開発のための埋め立てと、森林の伐採のために、見事な環境破壊がなされてしまったという。雨が降ると雨水は直ぐに海に流れ込み、柴港近辺の海面は、水深5mくらいまで真水になってしまうという。海は緑色とピンク色に染まり、綺麗な青色の海は年に数回しか見られなくなってしまっているという。
  県による、気ままな、ダムと下水処理水の大量放水により、さらにこの傾向に拍車がかけられているという。本日のアナゴの筒漁は、青潮の発生のため、全部死んでしまっていたと言う。赤潮、青潮の発生は、日常的になってしまっているのだ。船橋の滝口喜一と全く同じことを言っていることになる。
 塩水濃度の希薄は、漁協による海水処理水にも表れ、シャコのボイルが上手く行かず、赤色の発色と、白い脂の出現が出来なくなってしまい、塩を補充していると言う。塩は、専売公社が扱っている、福島県いわき市の95%天然塩を使用しているという。この塩が中々の良質もので、シャコの色の発色にも効果が強く、その他の利用価値も多く、道路舗装の下にも撒かれ、土の締まりが良いのだと言う。浜屋さんでは大量に販売しているのだという。
 柴漁協、底引き船は、現在55隻。1日の漁獲加工枚数平均約630枚。本日、特大60枚、大490枚。海老の生息場所の掘作により、海老漁がほぼ全滅。代替として漁礁を埋めたらしいが未だ成果は期待できない。
 昭和49年の漁業権の全面放棄に対する漁業補償は、現金支払いと土地による支払いとがあった。浜屋さんは、土地による補償を選択したため、今でもその地代、アパ−トの家賃収入があると言い、それによって食いつないでいると言う。漁師になった子供達の再就職先も難しい問題となっているという。現在持っている船の漁業権は親子のみ可能で、他人に譲渡できない。
 昨年、今年と穴子漁が好調でかって漁業権の放棄と共に消えた子安の漁協が復活し、羽田から子安にかけて穴子漁をする漁師は200人に上るという。穴子の筒漁は、巻網漁、底引き網漁に見られる県からの許可性ではなく、自由に勝手に操業することが出来るのだという。春先、三番瀬で人工的に撒いたアサリが1晩で居なくなり、そのアサリ達が小柴の人工砂浜に現れ、大変な潮干狩りとなったという。アサリは1晩に20キロ位移動するのだと言う。

横浜漁業協同組合。柴本所・野島支所・富岡支所(磯子の手前)・本牧支所・富岡では加工をせず、生のまま出荷していると言う。

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北朝鮮の蛤(ハマグリ)

 1980年頃、 開高健が、釣り人たちの垂涎の的となった釣り紀行でもある、南北両アメリカ大陸縦断記、「オーパ!」の中で、ハマグリの話をしている。この釣り紀行は、北限のアラスカから、北米、中米を南下し、遂に、南米の最南端に至る、壮大で美しい写真集でもある。
 アラスカから北米にいたり、アメリカ大陸での旅の粗食の連続の中で、遂に翌日、待望のニューヨーク入りである。その前夜、美食家の彼は、ニューヨークで食べる美味の数々を次々と夢想する。
 その中で、「何日間滞在できるかわからないが、この三つ以外には何がなんでも手を出さないぞ」と心に誓う。「中国人が頻繁に出入りする中華料理店へゆくこと。シーツのようにぱりぱりした海苔で巻いた中トロの手巻の鉄火にかぶりつくこと。それからニューヨークを洗う海でとれたカキやハマグリをあくまでも生で食べること。これが聖三位一体である。」
 ニューヨークに着き、ブルックリンの海岸通りにあるイタリア料理店に入り、ハマグリにむしゃぶりつく。レモンをたっぷりとかけ、瞬く間に1ダース×2皿の24個のハマグリを食べ尽くしてしまう。
 このシーンを読んだ時、エツ、生のハマグリが旨いって?  眼から鱗が落ちた思いであった。
当時、もうすでに15年からすし屋の仕事をしてきていたのに、そして、日本人が、こんなにもなんでもかんでも生で食べてしまう国民であるのに、ハマグリを生で食べてしまうと言うことは考えてみたことも、聞いたことも無かったのだ。なんという食のエアポケットだったのだろう。
 何故ハマグリを生で食べないのであろうか…? これは大いなる謎であり疑問であった。
 翌日、ハマグリを築地で仕入れ、開高健をまねてみた。
 「かわいいハマグリの薄桃色を一刷きあえかに刷いた、白い、むっちりとした肉、それにレモンをしぼりかけると、キュッとちぢむ。オツユをこぼさないようにそろそろと口にはこび、オツユも肉も一息にすすりこむ。オツユは貝殻に口をつけて最期の一滴まですすりこむ。」…
 旨かった。生のハマグリは実に旨かった。カキのもつ磯の香りとは別の清冽さと、馥郁とした身肉は柔らかく歯応えがあり、ほのかな品の良い甘みさえあった。レモンとの相性も素晴らしい。この旨さをなんで日本人たちが無視してきたのであろうか。
 さっそく築地で調べまくった。貝類の専門業者達、料理仲間、物知りの長老の方々、とにかくあちこち聴きまくったのであった。しかし当時、明解な回答は遂に得られなかった。
 しかし、何の理由もなしに、こんなに旨い貝の生食を無視するわけはない。いよいよ、もう身を持っての毒味であり、生体実験であった。少し小振りのフランス牡蠣ぐらいのヤツを、毎日食べ始めた。旨し、旨し。時季は2月の半ば。ハマグリが一番美味しい時期であった。
 この時、韓国ではコチジャンを付けて生食すると言う話が韓国出身のお客さんから出てきた。韓国では、日本の雛祭りの頃を境に生食を止めると言う。この時期は、ハマグリがちょうど卵を持ち始める頃である。生食でのハマグリの卵は、食中毒を起こす危険性があるからである。また、ハマグリの名産地であった三重県四日市に子供の頃住んでいたという方が、当時、生で食べていたという話を聞いた。だから、生食はあり得るのである。しかし、日本全国、ほぼ全部の地域で自然発生的に禁じられている理由を知ることはできなかった。
 そして、開高健が感動したニューヨークでのハマグリは、残念ながら日本の純粋種のハマグリとは別種のものであった。かくして、ハマグリを追いかけて行くと、多くの謎と疑問に突き当たることになった。例えば…

ハマグリの謎と疑問

(1)ハマグリは、何故生食をしないのであろうか。
(2)栄光の東京湾内湾のハマグリが絶滅してしまった後、東京のすし屋たちは、何処のどんなハマグリを追いかけているのであろうか。
(3)ハマグリの旬は、晩秋から春先までであるのに、近年、年明けの1月に入ると身肉がたっぷりと太って甘みがあり、歯応えの柔らかいハマグリの入荷が突如にして終わってしまい、身の痩せた、歯応えの固いハマグリだけになってしまうのは何故か。ハマグリの旬が変化してしまったのであろうか。
(4)近年、築地市場で最高級品として最も高値で売られている、銚子から鹿島灘にかけて獲れる国産のハマグリと、かつての江戸前のハマグリとの違いはどこにあるのだろうか?

謎の解明
 ハマグリはなぜ生食をしないのであろうか?
 1995年、意外なところからこの謎が解明された。「ハマグリは生食をしない。必ず火を通して食べる。なぜなら、ハマグリの身(腹足)の中にはビタミン を分解するアノイリナーゼという酵素が存在するためだ。アノイリナーゼが私たちの体内に入ると、腸内に存在するビタミン が分解されて、ビタミン 欠乏症になるおそれがある。潮汁や焼きハマグリなど、加熱しさえすれば、ビタミン 分解酵素(アノイリナーゼ)が不活性化されるので、安心して食べられる。」(新潮選書 成瀬宇平著「魚料理のサイエンス」)これは、見事な謎解きであった。先人達の食生活の知恵の凄さに感動したのであった。
 しかし、アノイリナーゼによるビタミン 欠乏症はどの程度のものなのであろうか。もし市販のビタミン剤で補える程度であるのならば、生ハマグリのレモン絞りはぜひにもお薦めである。

江戸前ハマグリの消滅と代替品の登場
 昭和30年代から40年代後半、東京オリンピックを挟んでつき進められていった高度経済成長政策は、東京湾内湾の埋め立てによる工業地帯の再開発を促進させていった。当時のこの埋めたてのやり方は、海岸の外縁部の海底を掘り起し、その砂泥によって沿岸部を埋めたてていこうとするものであった。この再開発は、京葉工業地帯からの工場廃水の流入、都市への人口の集中、増加による生活排水の大量流入などの公害と、これらに起因する赤潮、青潮の発生をもたらし、内湾の魚介類の生態に壊滅的な打撃を与えていった。特に、この時期を境に内湾の貝類の多くが絶滅していったのである。
 アカガイ、タイラガイ、ミルガイ、トリガイ、そしてハマグリ。美味ではあるが、漁獲量が比較的少なく海の汚染に最も敏感で生命力の弱い貝達である。これらの貝類と共に、江戸前のハマグリが消滅していった頃、各地の内湾でも同じような現象が生じていた。やがて、江戸前のすし屋達が使う、ちょうど良い大きさの国産のハマグリが全く入荷しなくなってしまった。
 江戸前すしの世界は、食生活の変化と、流通の革新の中で、大きな変革の波の中にあった。全く新しいネタの登場、新たな仕事の採りと試行錯誤の時代であった。かくして、東京湾と各地の内湾のハマグリの消滅と共に、ハマグリの仕事をする店が少なくなっていった。

輸入ハマグリの登場
 ちょうどこの頃、中国と北朝鮮のハマグリが大量に輸入されるようになってきた。
 船橋、浦安、行徳の、貝を扱う荷受(問屋)達が、内湾の貝の漁獲量の激減を危惧し、早々に手当てをしていったのである。韓国、中国、北朝鮮を視察し、あらゆる可能性のある漁場を探しだし、それぞれの貝類の漁獲、加工の技術、出荷方法等を指導していったのである。当時、これらの産地では全く商品価値の無かった貝類に、新たな附加価値をつけてやっていったのである。そして昭和40年後半、内湾のハマグリの消滅と重なるようにしてこれらの輸入物の貝類が入荷してきたのである。
 さらに、九十九里、鹿島灘にかけての外洋の砂場で獲れる国産のハマグリも、国産ゆえに再評価され、大々的に入荷してくるようになった。だが、これら内湾、外洋で獲れるハマグリ、中国、北朝鮮よりくるハマグリは、それぞれ微妙に種類、生態を異にしており、身肉の旨さ、甘み、柔らかさも違っていた。多くのすし屋達が、試行錯誤の中で、結果的に使っていったのが北朝鮮から輸入されるハマグリであった。では、北朝鮮から輸入されている貴重なハマグリとは如何なるハマグリなのであろうか。

ハマグリの種類
 通常言われるハマグリには、和名「ハマグリ」「チョウセンハマグリ」「シナハマグリ」の3種類がある。

(1)和名ハマグリ
 内湾の淡水の混じる辺りの砂地に生息し、旬に入ると、身肉は豊かに太り、柔らかく、甘みがでてくる。この旨さ故に江戸前すしで珍重されたのである。殻は丸くふくらみがあり、ちょうつがいの部分から先にかけて、2本の黒っぽい線が見られる事が多い。近年、日本の一部の内湾で漁獲されるものは、サイズの小さいものだけであり、量も揃わない。

分布と旬
 魚介類図鑑による分布では、北海道南部以南の日本全土、朝鮮半島、中国沿岸に広がる。かつての主産地は東京湾、渥美湾、伊勢湾、瀬戸内海、有明海、八代湾などである。しかし、この分布図は、昭和30年代までのものであり、現在の各産地では絶滅も含め、大激減しているのが実情である。
 東京湾内湾、船橋漁協の貝類専門の荷受けである「かねはち水産」の話では、最近では、船橋の三番瀬でとれる二百トンから300トンのアサリの中に、ホンの2、3個のハマグリの成貝を見つけることがあるという。しかしこれは、木更津にあるハマグリの養蓄場からの流出物か、他所のアサリの稚貝を放流したときに、たまたま混じっていたものであろうと言う。残念ながら、東京湾内湾の栄光のハマグリはすでに絶滅してしまったと見られている。
 中秋の名月からひな祭りまでが旬とされる。産卵期は5月頃から9月頃。秋から冬にかけて旨くなり、春先には浅場に移動するため、潮干狩りの対象となる。

桑名のハマグリ
 三重県桑名の赤須賀は、桑名のハマグリの最後の漁場となっている。
 漁獲されたハマグリのほとんど全てが、桑名の名物である時雨れ煮の原料として提供されているのであるが、この「地のハマグリ」だけではもう生産が間に合わなくなリ、輸入物も平行して使われていると言う。漁獲量は大激減してしまい、1日で300キロ程度しか獲れないのだという。しかもサイズは選別の余地も全くなく、獲れたものは全て獲ってしまうという。
 その結果、中サイズ以上のハマグリは全く育つことが出来ず、佃煮用か椀種にする小サイズのものしか獲れなくなってしまっている。すし屋が使う中小から中サイズの漁獲はゼロに等しいと言う。だから地元での消費で手一杯であり、築地への出荷は不可能であると言う。
 日本の全ての内湾を掘り起こしても、江戸前のハマグリの握りすしに使う大きさのサイズを揃えるのは不可能であろうというのが現状なのである。

(2)和名チョウセンハマグリ
 外洋の砂地に生息している。ハマグリの近縁種ではあるが、純粋のハマグリとは区別される。ハマグリと比べると身肉は固く、痩せている。外海の砂場に生息し、九十九里から鹿島灘、日向灘が主産地である。殻の色は、鮮やかで美しいが、厚みがあり、上下2枚の殻はふくらみに欠け、少し横に長い。日向灘産のハマグリの殻の厚いものは、白碁石の原料になる。
 最近、鹿島灘地方では、稚貝を放流して保護育成に努め、漁獲量の増産を図っている。国産の「地ハマグリ」として、築地市場では、最高値をつけているのである。しかし、旨さの点ではこの外海のチョウセンハマグリ はハマグリに遥かにかなわない。

鹿島灘のチョウセンハマグリ

 九十九里から鹿島灘にかけて漁獲されるハマグリは、全てチョウセンハマグリである。
 鹿島灘のハマグリの漁場は、波崎、大洗、鹿島の3ブロックに分割され、それぞれの漁場をさらに2ブロック、4ブロック、4ブロックの合計10ブロックに分ける。この10ブロックの地域の漁船が順番で漁をして行く。漁業資源の保護と、価格安定のためである。鹿島では、105隻の漁船が年に約24回の漁をするという。漁法はケタ漁。1回の漁で約10トンの漁獲があるという。平成8年度の実績で、総計約390トン、大変な漁獲量である。しかし、昔から比べると、これでも激減していると言う。
旬…ハマグリと同じで、中秋から3月の節句頃まで。
サイズ…漁獲サイズは規定があり、小さいものは漁獲禁止である。
種苗…試験場のもとで、定期的に放流されている。資源の再生と保護に努めている。
北限…鹿島灘はチョウセンハマグリの北限であるらしい。

(3)和名シナハマグリ 中国のハマグリ
 中国の大連、天津、青島、上海、北朝鮮などから輸入される貝を総称してシナハマグリと呼んでいるようである。これらのハマグリは中国沿岸から朝鮮半島西岸に分布している。
 青島、上海等で獲れるシナハマグリは、外洋に生息しているハマグリであり、チョウセンハマグリ系である。殻は少し厚く、丸みはあるが、身肉は痩せて、固い。ちょうつがいの部分に、不規則な放射状で矩形の模様がある。殻の表面は、全体に黄色味かかっているものが多い。
 大連、天津で獲れるシナハマグリは中国でも内湾で漁獲されるもので、品質が良く、内湾に生息する日本のハマグリに近い。福建省ものは、2月から3月にかけ入荷してくる。ホッキ貝にも似た貝であり、ハマグリの系統ではない。品質も落ちるものが多い。

北朝鮮のハマグリ 江戸前のハマグリの代替品

 輸入物のハマグリは、全ていっしょくたに分類、同一視され、同一品質に見られがちであるが、産地により明らかな違いがある。北朝鮮ものは、明らかにシナハマグリの中の外洋で獲れるチョウセンハマグリ系とは違っている。これは、内湾に生息するハマグリ系である。内湾の軍港として知られている南浦、海部の両湾で獲れるものであると言う。
 この両地域から出荷されるハマグリは、1〜5月頃までの間は寒冷のため漁が出来ず、漁獲は中止されている。陸揚げされたハマグリが凍ってしまうのだと言う。この間は、日本への出荷は全く無くなる。漁は5月頃より始まり、12月末までとなる。大潮の時に1週間ぐらい連続で漁をし、15日間ぐらい休漁の繰り返しらしい。5月頃はまだ漁獲が少ないが、6月頃に最盛期に入る。6月半ば頃には、早くも卵を持ち始め身肉が痩せ始め、卵の危険性の問題もあり使用できなくなる。7〜8月に産卵。10月半ば頃より再び徐々に良化し、使用できるようになってくる。しかし、北朝鮮のハマグリは一番良質で美味である時期の冬場の漁獲が全く出来ず、出荷停止になってしまうわけで漁期が短く、残念なことである。
 この北朝鮮の内湾のハマグリが、消滅してしまった日本の内湾のハマグリの代替をしているのである。このハマグリは、外洋で獲れるチョウセンハマグリ、中国のシナハマグリとは異なり、身が柔らかく甘みがあり、旬の時期に入ると十分に身が太り、旨くなってくる。
 日本のハマグリの消滅以来、すっかり江戸前のすし屋達が使用するハマグリの主役となっている。輸入物の魚介類を小馬鹿にしてきた人達には、許しがたいことであろうが、これはすでに厳粛な事実なのである。
 この北朝鮮のハマグリが江戸前の煮ハマグリの仕事の存続のための救世主の働きをしているのである。そして将来、このような事例は、次々と多種多様な魚介類の世界に及んでゆき多発してくることになるだろう。

ハマグリの選別と差別
 しかし、すし屋がこの北鮮のハマグリを使用する時、大きな問題となるのは、各地、各種の輸入物のハマグリの中から、このハマグリを厳密に選別することが出来るかと言うことに尽きる。
 驚くべきことに、輸入物のハマグリは、どの産地のどの種類の物でもほぼ同じ値段で入荷してくるのである。ここには、品質の格差による価格の違いは問われないのである。さらに、外洋で獲れるチョウセンハマグリである鹿島灘のハマグリは、国産のハマグリであるということだけで、これらのハマグリの約2倍の値段をしているのである。
 これではまるで、貝種平等と貝種差別がみごとに混在されていることになる。

平成10年から11年にかけての現状
 北朝鮮のハマグリは、12月の末に入ると、氷点下10度をこえる気温の低下を記録するため、気温の上がる5月頃までのあいだ漁が出来なくなり、漁獲中止となる。だから、年明けの1月から2月にかけて三重県の荷受け業者達から出荷されてくる北鮮のハマグリは、全て12月中に輸入されたものであり、出荷調整された留め物である。
 平成10年1月19日 本日の仕入、40個。留め物である北朝鮮のハマグリは、身肉が痩せ落ち、良品の選別が難しく、つらくなってきた。本日で、今期の仕入は中止にする。
 5月6日 久々に北朝鮮ハマグリが入荷。3ヵ月半振りである。厳寒の冬も峠を越したのであろう。身肉充分に太り申し分なし。以後継続して入荷。やがて6月に入ってゆく。6月17日に至り、本日の仕入、40個。卵が少し成長してきている。しかしまだ身肉は太っている。
 7月30日 卵の肥大と共に、身肉の痩せ方がめだってきた。品質の劣化顕著。本日を持って、今期の仕入中止。
 9月30日 秋口の使用開始も身肉はいまひとつ戻りきらず、少々不満なり。
 10月中旬に入り、俄然身肉の状態が良くなってきた。やがて今期最高の状態に入って行く。
 12月末日 漁場ではそろそろ氷点下らしい。入荷ストップか。しかし、蓄養のハマグリは、順調に入荷。しかし身肉の太った良品の入荷は減少を始め、しだいに断続的になりながらも入荷は続いている。
 平成11年1月25日 本日のハマグリの仕入、40個。12月に輸入がストップした北朝鮮産のハマグリは、出荷調整しながら少しずつ出荷されてくるのであるが、さすがにもうすっかり痩せてしまい、身肉がある良質なものを選別しにくくなってしまっている。この40個のハマグリは、剥き手のおかあさんが、朝一番から一心不乱に剥いた800個余りの北朝鮮のハマグリの中から当店のために特別に選別し、抜き出し、隠しておいてくれたものである。しかし、この後、使える品質レベルの入荷は全くなく、本日を持って、今期の使用は中止となった。
 内湾、干潟の埋めたて、海の汚染、環境ホルモンの影響、地球の温暖化による海水温の異常な上昇。全ての魚介類の生態の異変…。
 河川、湖沼、海洋の魚介類等を扱う全ての業者達が、もう真面目に立ち上がらないと手遅れになってしまうのではないか。いや、もう手遅れになってしまっているのかもしれない。

ハマグリの産地荷受け及び畜養業者
 
 これら輸入物のハマグリ達は、どの様にして輸入され、どの様に管理、仕分けされて、築地市場に入荷してくるのであろうか。
 輸入されたハマグリのほぼ全てが、下関、神戸に荷揚げされる。そして、その大半が三重県の四日市から楠町、伊勢にかけての養蓄業者の元へと直行して行く。これらの産地は、それぞれかつての栄光のハマグリの名産地である。
 四日市の「マルカン商店」「カクキ水産」「貝新」楠町の「ヤマ幸水産」伊勢市の「大淀貝類センター」等が主な業者達である。これら業者の中から、三重県漁連の紹介で「大淀(おおいず)貝類センター」を訪ねることとなった。

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大淀貝類センター 行
          平成9年10月10日〜12日

 10月10日、10時30分。鳥羽駅着。体育の日は恒例の晴天なり。港より10分、三重県漁連・鳥羽活け魚センターを訪ねる。有竹所長は現場にて入札中とのことで、勝手に生け簀を見学させていただく。マダイ、ヒラメ、コチ、スズキ、フグ、カワハギ等。この数日、海は時化気味で漁獲少なく生け簀の中はガラガラであった。収穫少なし。小春日和の伊勢路を松阪にとる。牛銀本店にて昼食。いつもながら美味なり。松阪より約15分、今回の旅の本命である三重県伊勢市明和町大淀の大淀貝類センターに到着。
 大淀貝類センターは、出荷、価格の安定のために、三重県漁連が主体となって業務を運営する中小規模の貝類専門の荷受け(問屋)達の協同管理センターである。扱い品目は、アサリ、ハマグリ、カキ、赤貝などである。大淀沿岸一帯は、宮川、祓川、櫛田川が流入し、とり貝、赤貝、アオヤギ、アサリ、カキの好漁場である。そして、かってのハマグリの名産地でもあった。
◎赤貝は5月の連休頃に漁が始まる。6月、7月が最盛期となり、10月15日で禁漁になる。

取り扱い輸入ハマグリ

北朝鮮産 南浦、海部の両産地は、軍港のある内湾に位置し、輸入物では最高級品として評価されている。
中国産 大連、庄河、天津産は、中国産としては最高品を出荷してくる。青島、上海産の品質はB級品である。浙江省、江蘇省産はB級品である。福建省産は2月、3月の寒期、他の産地が出荷してこない時季に出荷してくる。B級品。

 中国、北鮮からの輸入物のハマグリは、4、5日間で下関、神戸港に到着する。通関に1日、合計6、7日間でセンターへ入荷してくる。長旅で痩せ気味のハマグリ達は、ただちにセンターの生け簀の中に放たれる。40トンの貝を受付、収容可能な生け簀のプールの設備を持っているのだ。海水温、18度から21度に調整。生け簀の中で貝は身質を戻し、消費地からの需要に応じ、3日目から最長1ヵ月間の出荷調整の後出荷されて行く。当初、ハマグリの活け込みの管理、保存は難しい仕事であり、色々な試行錯誤があったという。プールの中のハマグリ達の寝床となる砂は、かつては、地元の砂を使用していたが、管理効率が悪く、今では、桑名の赤須賀より搬入して使用している。桑名は、かつて東京湾と並ぶハマグリの名産地であった。揖斐川、長良川、木曾川の三大河川が、伊勢湾で合流し、海水と淡水が、混じりあう桑名の干潟は、ハマグリの生育にとって、日本屈指の好環境だったのである。
 東京湾同様の高度経済成長期時代の埋めたて、地盤沈下による地形や潮流の変化で、今やハマグリは絶滅寸前である。佃煮用の小さいものが年間7トンばかり漁獲されるというが、サイズの大きいものはほとんど獲れなくなってしまった。資源が少ないために成長前に根こそぎ漁獲されてしまうのである。
 だが、この桑名の赤須賀の砂が凄いのだという。かつての桑名のハマグリの旨さは、この砂の特性によるところも大きいという。ハマグリを放つプールの中に敷かれている砂は、ハマグリの汚れにより黒く汚れるため定期的に洗い乾燥させなければならないのであるが、この赤須賀の砂は、海水を抜き取り、乾燥攪拌をするだけで、又白い良い砂に戻るのだという。砂がマジックを使うのである。又、この砂はハマグリの砂出しが抜群に良いという。元気な貝は、すぐにこの砂の中に潜ってしまうのだが、元気の無い貝は、砂の上に横たわっているだけとなり、品質の良くないものの選別も簡単であるという。

畜養

 貝類センターも含めて、三重県の荷受け業者達のハマグリの扱いは、養殖ではない。ハマグリを入れた砂地のプールの中へ天然の海水を流し込むだけであり、餌は与えられない。だから、畜養なのである。海の時化には全く影響されず、消費地での需要に応じて、毎日出荷する。蓄養ではプール内での日数の経過は、今度は逆に貝の身質を痩せさせて行くことになる。

産地別に入荷、畜養、出荷

 入荷したハマグリは、産地別にプールに入れられる。そして、産地別にサイズを揃え、サイズ別にプラスチックの籠に入れられて出荷される。籠にはハマグリの産地、種類は全く記されない。そしてサイズごとの出荷価格はどの産地も、ほぼ同一であるという。
 しかし、輸入量の停滞している時、出荷産地での在庫が不足している時には、数合わせのために往々にして各産地のハマグリを混ぜて出荷してくることもある。

 このような状況の中でも、当店では北朝鮮産のハマグリを専門に追いかけて行く。産地出荷業者と、築地の荷受けと、仲買人と、仲買人のもとで働く貝剥きのプロである、伝統ある浦安出身のおかあさん達による情報の連携の中で、この北朝鮮産のハマグリを選別してゆくのである。
 最高の仕入は、最後は人と人との人間関係に行きつくのである。人間性と人間性のぶつかりあいであり、勝負なのである。       平成11年2月

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