烏賊(イカ)

新イカ 墨イカの子供
 平成9年7月29日、例年より約一ヵ月余も早く待望の新イカの初入荷。
 墨イカの子供だ。イカの種類は多々あるが、「新イカ」と言う呼称は、墨イカの子供にだけ使用される。これは、墨イカの子供に対する尊称である。皮を剥いた正身がすしの握り、一貫づけから二貫づけ位までの大きさを言う。かって「初物」の入荷は8月下旬から9月の始め頃であった。初物に、初秋の季節を感じさせられたものであった。
 毎年この時季、鹿児島の出水からの初入荷に接すると、「嗚呼、今年ももう秋が始るンだなあ」といった、爽やかでホッとした季節感があったのだ。そしてもう少し前の、残暑の到来を告げる新子(コハダの子供)の初物と共に東京のすし屋達の間では、意地と見栄の張り合いをして行くのであった。セリ値が滅茶苦茶の馬鹿値になるほどに、江戸前のすし屋にとっては思い入れの強い魚達なのである。最近は「新子」同様、「新イカ」も旬の移行と変動により、約一ヵ月余も早く入荷が始ってしまうようになってしまった。

旨み
 旬の繰り上がりは、初荷の季節感の感動を少々希薄にさせてしまっている。
 初荷の新イカが、もう少し形を大きくさせ、二貫づけたっぷりの大きさに成長してくるとさらに美味しくなってくる。墨イカの旨さの醍醐味は、味覚的旨さもさることながら、その歯応えと噛み心地の快さにある。新イカの歯応えは微妙だ。「いい女の羽二重のような、たおやかな耳たぶをそっと噛んだら・・・かくや」と思わせる程のそこはかとない食感。危なげで、たおやかで、微妙に柔らかだが、それでいて軽快な歯応えがあるのだ。しこ、しこッしこッ、 シコシコッ、shikoshiko 、美味!、美味  新イカの旬は、通常では産地の移動を考慮に入れても一ヵ月から一ヵ月半。しかし、この新イカを当店は追いかける。執拗に追いかける。それこそ全国を股にかけ、旬を無視してまでも追いかけていく。

産地
 平成10年7月下旬。鹿児島県出水に始る新イカ漁は、熊本県三角に至り、9月下旬には東京湾内湾、富津産が入荷してくる。しかし内湾は栄養豊富でイカの成長著しく早く、またたくまに成魚。成魚になったスミイカは相手にせず。新イカを追いかけるために又、出水に逆戻り。出水は凄い、新イカの漁獲量は群を抜いて多い。さらに三角、大分県国東、愛媛県今治、内湾の富津少々。遂には新潟県出雲崎、良寛さまの故郷にまで手を伸ばすことになる。11月も半ば頃になると、さすが新イカは少なくなり、各地より入荷の大小様々の墨イカの中から、新イカのサイズをやっとの思いで選別して行く。築地市場への墨イカ全入荷量の中の数パーセントを追いかけて行くことになる。年明けの1月に入ると、いつ入荷が切れてもおかしくないような状況の中で、さらに頻繁に産地を移動させ、最後はいつも出雲崎辺りで、遂に新イカサイズの墨イカの入荷がストップすることになる。築地市場では成魚の大きさの墨イカ一色になる。かくして半年にわたる新イカの追っかけごっこが終了することになる。

墨イカ
 晩秋から春先にかけ、各地の墨イカ達は、さらにサイズを大型に成長させ、旬の盛りに入って行く。独特の歯応えは、一層強く快い。甘みもひそやかに濃くなってくる。中でも江戸前の墨イカは素晴らしく、旨み甘み共に他産地を遥かに凌いでいる。やがて3月中旬頃、産卵に備えた精・卵巣の肥大化と共に身肉が落ち始め、4月から5月にかけて産卵、一年生の生命を全うさせて行く。新イカへの想いに操をたてて、当店では我がままを承知の上で成魚の墨イカの使用は極力放棄する。活け槍イカの充実したいいヤツを一時混ぜて使いながら、やがて入荷してくるイカの王様「煽りイカ」へと移って行く。

槍イカの産地と旬
 11月中旬頃より、築地市場では「活け槍イカ」の入荷が活発となる。泳いでいるヤツだ。
 活け魚料理の大隆盛は、流通技術の一大変革をもたらし、最難関とされていたイカ達の「活け」流通も日常的に可能とさせた。10年前頃からである。房州、三浦半島、伊豆半島、さらには青森県津軽半島のつけ根にある鯵ヶ沢辺りの漁港からも入荷してくる。年明け1月に入ると槍イカはさらに成長、型を大きくさせてくる。身肉は肥え厚くなり、食感と甘みが増し旨さが充実してくる。この頃当店では、新イカの入荷の合間を縫い、しばし追いかけて行くことになる。3月中旬ころより抱卵の肥大化のため身肉が痩せ始め、4月〜5月に産卵、墨イカと同じ頃にその一生を終わらせて行く。

旨み
 槍イカの旨さは、柔らかな身肉と甘みの濃さにある。筒イカ系(煽りイカ、槍イカ、スルメイカ、赤イカ、白イカ)のイカは、総じて内皮が数枚と多く、特に背身肉の中に厚い皮が一枚あり、固く口中に残りやすく、旨さを大きく損なう事になる。これらのイカは、内皮の完全な処理が必要で、極細の糸造りが旨さを引き出してくる。活け槍イカは、「ゲソ」も柔らかいため生食も出来、こりこりと噛み切れ易く人気がある。産地は全国的に渡り、漁獲量も比較的多く、人気の高いイカである。

「活け」の煽りイカ
 煽りイカは別称「芭蕉イカ」、「水イカ」と呼ばれる。耳が大きく芭蕉の葉の形に似ているからであり、海中では生体反応により、身皮全体が幽かな水色と緑色に部分的に変化しながら透き通り、まるで水の流動体さながらに大きな耳で煽るように泳ぎ、見事である。市場へ入荷してくる泳ぎの「活け」の煽りイカも同様に颯爽且つ優美な感じで美しい。しかし、「鮮度の良さ」と美しさの「見てくれ」は、「旨さ」と言う点においては必ずしも決定的な要素とは言えない。
 活け造りの煽りイカには、しなやかな柔らかさと、まとわりつくような歯応えがある。少し浅めだがさらりとした甘みと透明な体色は一種の「美」の世界でもある。それでもこれらは煽りイカ本来の旨さの全てではない。イカ達の世界でも、白身の魚の世界と同様、活け締め後、最低半日から一日半の熟成の時間経過を必要とする。刺身、すしに握った時に、煽りイカが最高の旨さを発揮するサイズは2キロ前後である。そのサイズの活け締めを、半日から丸一日熟成させるとさらなる見事な甘みが醸し出されてくる。これぞ煽りイカ本来の旨さなのだ。この熟成の旨さこそイカの王様に相応しい。大きな耳もしっかりと皮を剥き、細く包丁を入れると旨い。活けの煽りイカの「ゲソ」の茹で立てはことのほか甘く、旨い。ほのかな香りと共にこれもまた良し。
 朝、築地市場の生け簀の中で泳いでいるヤツを活け締めする。熟成中の煽りイカと槍イカは、温度管理を間違えると夕方から夜の大事な時間帯に多々死後硬直を生じ、その時点では甘みがまだ出切ってなく、曖昧な味で、身質も固く包丁も入れにくい。さらなる熟成の時間が必要となってしまう。だから死後硬直させない温度管理の工夫が必要である。
 なお、煽りイカは海老を餌とするため、海老の産地と生息地が重なる事が多い。

活けの煽りイカの是非
 しかしこの数年、当店ではあえて活けの泳ぎの煽りイカを使用しなくなっている。産地からのコツ箱の中で、下に氷を敷いた上で上手に温度管理されて送られ、朝、十分に生体反応のあるものを仕入れる。この状態のものは、なぜか死後硬直の心配がなく、夜の時間帯にたっぷりと熟成の甘みを楽しむことが出来るからだ。そして値段もはるかに安いことになる。

産地と旬
 平成10年3月13日、神奈川県佐島の「活け」煽りイカ今期初入荷。異常に早い入荷だ。
 例年より一ヵ月余早いが身質の状態は良く、甘みも強く、旨い。昔から漁獲量が極めて少なく、格の高い最高級のイカである。初夏から夏にかけての旬が、他のイカ達の旬の丁度はざまと重なり、この時季のイカの絶対量が少ないせいもあり、値は別格的な高値を付けるのだが人気は高く、イカの王様の地位を築いている。当店では、初夏から残暑の頃の間、この煽りイカを徹底的に追いかけて行く。
 出始めは九州が早く、3月上旬には阿久根、島原辺り、そして五島、松浦、三重県尾鷲、静岡県御前崎と続く。4月から5月、伊豆半島下田、真鶴、三浦半島の佐島、葉山、松輪、鴨居。さらに千葉県富津、館山、房州と、水温の上昇と共に着々と産地は北上するが、関東近辺を北限とする。この頃には旬も本番、最盛期となっている。7月に入ると精・卵巣の肥大、8月には産卵が始る。この頃には品質の良い煽りイカが激減してゆき、おくてのヤツを探し探しして使うのだが、値は品薄のため暴騰する。あまりの品薄と暴騰に嫌気がさして、やがて訪れる初秋の味覚、新イカの入荷を心待ちする事になる。

旨み
 煽りイカの旨さは、シットリとまとわりつくような食感と見事な甘みにある。イカの種類の中では最も甘みが濃厚で、しかも程が良く、旨さの中に品格がある。身肉は大イカになると甲イカに次いで厚みがあり、初夏から夏にかけて、高級天麩羅やさん達も追いかけていく。筒イカ系の例にもれず、身肉の中に厚みのある内皮が隠れている。この皮を完全に剥きとらないと旨さの真髄を味わい損ねることになる。切りつけは糸造り。極細に入れるほど旨さが際立ってくる。

雑記
◎イカ達は、それぞれ旬と旨さが異なる
 すし屋が使用するイカはせいぜい6種類。名称と旬、味と格の差異を覚えればイカの世界をさらにも増して愉しむことが出きるはずだ。切りつけをして刺身やすしにしてしまうとイカの種類は判りにくい。職人に名前を聞くと良い。イカはただイカではなく、それぞれ固有の名前と旨さがあるのだから。
◎イカの活け造り
 筒イカ系は独自の甘味と食感がまだ少しはあるのだが、甲イカ系の墨イカ、紋甲イカ等の活け作りは全く旨さなし。意味が判らない。ナンセンスだ。
◎イカの雄と雌
 どちらが旨いか?…。煽りイカは甘さこそが旨さの最大の特徴であるとして、あえて雄を選別する事になる。雄の方が甘みが強いことが多いからだ。しかし、煽りイカには、たまに雄、雌の区別なしに、不当に甘みのバラツキが発生することがある。原因は不明であり、全てを的確に選別する事は出来ない。      平成10年5月

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東町漁業協同組合(鹿児島県出水郡東町)行
          平成12年11月3、4、5日

八代湾、出水の新烏賊(墨烏賊の子供)漁の謎


課題
(1)8月の上旬に始まる新イカの入荷が、なぜ翌年の1月の終わり頃まで延々と続くのだろうか?(東京湾の新イカは、初入荷後約一ヶ月程で全て大きく成長してしまう。産卵時期が集中しているからだ。)
(2)海水の水氷の中に入れて送られてくるスミイカは、江戸前産のようにベッタリとした墨にまみれてなく、かつ鮮度の維持が素晴らしいのはなぜか? 漁法と漁師達の実態は?

 平成12年10月中旬、漁協見学とスミイカの底引き網漁の実態を識るために、東町漁協の石橋課長さんに連絡。漁船への同乗の許可と手配も依頼する。

出水のスミイカの現状と重要性 
 昭和40年代の中頃から現在に至るまで、スミイカの子供である「新イカ」の築地市場への初物の入荷は、常に鹿児島県八代湾の出水産のものによって占められてきている。かっては、この初物の入荷は8月の終わりから9月の始め頃にかけてであったのだが、海水温の上昇は魚介類の旬を大きく狂わせ、5、6年前ごろからは、ついに8月の上旬にまで遡ってしまっている。だから新イカの登場がもたらす、初秋の爽やかな季節感が、残暑の頃の、かつての新子の初荷の季節感へと完全に移ってしまってきている。そしてこのスミイカは翌年の4月、5月の産卵と共に一年生の命を終えることになるのだが、この数年初夏から夏場にかけても産卵前の身の痩せたスミイカが各地から延々と入荷してくるようになった。スミイカの世界にも大異変が生じてきているのだ。さらに、最近では東京のすし屋が使うスミイカの世界は、八代湾、出水産のスミイカの入荷なくしては成り立たなくなってしまっているのが現状である。

  先週以来、沖縄方面に停滞している台風は、未だぐずぐずと方向を定めきらず。下手をすると九州方面に影響を及ぼすやもしれぬという、非常にマズイ気象状況の中での出水行きとなった。
しかし久々の鹿児島地方は見事に晴れ渡り、路線バスにて山郷をぬいながら一路、出水市に向かう。
…幸先、非常に良し。いい旅になりそうだ。

  駅前の食堂にて昼食。休日のランチタイムは見事に閑散。献立のイノシシ鍋と鹿刺しはまだ先で入荷なし。刺身定食、アオリ烏賊とヒラマサの盛り合わせ。1キロ弱のアオリイカは身が透き通り、いかにも美味そうであったのだが、意外や全く甘みなし。旬外れのせいだろう。
 出水駅より東町へは、車で約50分。女房の、我が運転に対する不信、不安、心配による反対を押し切り、レンタカーにていざいざ本日の目的地に向かって出発だ。快晴微風、田舎町の幹線道路は全く車数少なし。小春日和の舞い込む風は心地よく、かって東名高速の中央分離帯に乗り上げるという異常な経験を有する運転下手でも、今回は居眠り運転の心配はないだろう。やはり、いい旅になりそうだ。
 2時30分、東町町営「太陽の里」着。今回の旅のホームグラウンドだ。さっそく大浴場でひとッ風呂。眼下には点々と散在する大小の島影、豊饒の八代湾(不知火湾)が一望のもとに広がっている。燦燦の陽の下でたった一人、温泉の貸切だ。快哉快哉!!
 東町漁協石橋課長さんへ明日の予定確認のため電話を入れる。

獅子島、漁師・松原義光
 ゆっくりとひとッ風呂浴びた4時ちょっと前、漁協に連絡をすると意外な成り行きになっていた。
 この数日前頃から旬真っ盛りの「いぼたい(しづ)」(地元では「もちうお」と呼ばれる)がかなりまとまってに獲れ始め、東町漁協の漁船達は、全てそのための底引き網漁に切り替えてしまい、スミイカを専門にする漁師がいなくなってしまったという。そして、唯一たった一人、スミイカを専門に追いかけている、スミイカ漁の名人の漁師がいるのだが、その漁師は獅子島の湯の口にいると言う。
  明朝5時に烏賊漁に出るその漁船に同乗するには、今夜中に島に渡らなければならないと言う。最終フェリーは5時45分。今夜の獅子島の民宿と漁船に乗るための漁師さんへの手配は出来るとのこと。サァ大変なことになってきた。漁船に乗り、漁の現場を見学し、漁師さんと話をし、墨烏賊の全てを識るために飛んできたのだ。……いまさら行かないでか!! しょうがない、今夜の「太陽の里」での酒と料理と泊まりはキャンセルだ。しかし、獅子島ッてのはいったい何処にあるのだ。
 決定的な方向オンチの僕が、初めての土地で、たった一人で、夜間、人っ子一人いない田舎の間道を目的地までたどり着くことが出来るのだろうか。密かな大冒険の始まりだった。
 慌てて飛び出し、とにかく右へ右へ行けばフェリー乗り場に出るとの、地図も書けないいい加減な道案内のもと、一路右へ右へ。とにかく人家及び人っ子一人なし。薄暮はやがて夜となり時間は刻々と過ぎている。こんなはずれにあるのだろうか。小さな半島だから反対側にまで来てしまったのではないか。不安と動揺の中で見え始めた明かりは有難かった。フェリー乗り場だった。見知らぬ初めての土地で、道に迷わずに一直線に到着した初めての経験であった。今日はついているンだ。
 乗客6名。その島の女性達は、けなげそうでなかなかの美人揃いだ。約15分、獅子島はもう闇の中にあった。とりあえず明日お世話になる湯の口に住まいの漁師、松原義光さんに、お願いとよろしくの挨拶の電話を入れる。そして本日泊まりの民宿、幣弊串(へぐし)の「こんぴら荘」にも電話を入れる。しかし、これがつながらない。夕方から延々機会あるごとに電話を入れているのに。本日休業か。もしや廃業しているわけでもあるまいに。
  波止場で、所在地の「へぐし」集落の方角を教えてもらう。波止場近辺の集落の明かりはホンの数分でと切れ、後は闇また闇。不気味な闇の中を走る。間道、竹やぶ、右側に海。方角は間違いなさそうだ。間道、雑木林、上り坂、下り坂、間道。…しめた!! 学校が見えた。海岸に出た。部落だ。こんぴら荘は「へぐし」地域の中端ほどにあった。すごい、今夜はすごい。またまた大正解だ。またまたまっすぐに来たことになる。
 嗚呼…、こんやは月夜だったンだ。

 こんぴら荘最後の客は、仕事を終え夫婦で晩酌中の部屋で、一緒に晩酌と遅い夜食をとることになった。お湯割のいも焼酎が喉に腹にしみた。夕方から延々話し中の電話は、単に受話器がはずれていただけだったのだと。
 翌朝、5時20分前、民宿の親父さんの案内で松原さんの漁船の停泊港へ。途中、ライトの明かりの中に汚げな犬が、後ろ向きにヨタヨタと浮かび上がる。ナンと、ご当地のイノシシであった。民宿の親父さんもびっくりだ。この島に生まれて、はじめて見たのだという。ついてるじゃあないか。運がいいぞ。たいした出迎えだ。
 漁港のまだ明けぬ空には満天の星があった。この星空は南国のロタ島を思いおこさせてくれた。漆黒の闇の中に整然と見事に輝いていた。海は適温微風、凪いでいるようだ。
 漁師の松原さんがやってきた。そばで黙々と動き回っている女の人がいる。船に乗せてもらったら奥さんであった。底引き網漁の漁船「漁栄丸」は、夫婦二人で取り仕切るらしい。海上の寒さを心配され、上下の厚手のゴムカッパと長靴を世話していただく。

漁栄丸船上にて
 さァ出漁だ。漁場まではほんの20分ぐらいか。船尾にたたんであった底引き網が派手な音をさせながら沈められてゆく。船は相変わらず走りつづけながら、やがて網を回収し始める。20分ぐらいかかるという。動力を利用しながら網が絡まないように、夫婦でかかりっきりになる。つい一昔前まで、これらの作業は全て手作業で行われていた。
  網の途中にかかっているカマスなどの小魚を手際良くはずし、さらに網を絞って行く。ゴミを取り外しながら絞りに絞ってゆく。最後の部分は1俵ぐらいに膨れていた。意外に少ない。その部分をすばやく船首にもってゆく。トロ箱に、いっきにぶちまける。カマス、黒タイ、赤足えび、シャコ、名も知らぬ蟹に混じってスミイカが20パイほど。
  網は、すぐに親父さんが船尾の方にもどし、再び海にガラガラと大きな音をさせながら、すばやく沈められて行く。船首では奥さんが魚を選別してゆく。スミイカは、手かぎの先端を使って1パイづつ締めている。急所は10本の脚の付け根にある、カラスと呼ばれる口のところだ。一突き、一発で締める。見事な浜締めだ。
 驚いた。1パイ1パイ、ていねいに締めているのだ。さらに驚いたことには、スミイカ達がほとんど墨を吐かないのだ。
底引き網はその後5回入れられ、今日の朝漁は終わりとなった。サァ、こんどは10時半から始まる東町漁協でのセリに間に合うように、このまま薄井漁港へ直行だ。
 漁協に着く間にさらに魚の選別と、船倉の生簀に泳いでいる昨日の午後漁のスミイカの浜締めだ。四角に切られている船倉の生簀には、それに合わせて四角い金網が入れられている。その中で泳いでいるスミイカ達は皆、背を上にして泳いでいる。そのままの状態で金網ごとそっと持ち上げ、さらに背を上になるように手に持ち、次々とすばやく、良いリズムで締めて行く。
  スミイカは背を上にしておけば墨を吐かないのだと言う。さらに手かぎで一瞬に締めると、反射的に墨の噴出し口がキュウッとふさがれてしまい、墨を吐き出せなくなるのだ。そして活きの悪いやつや、肝が臭いはじめているものは別にはずしておく。1パイでも臭うのが混じると全部に悪臭が移ってしまうらしい。
 浜締めは、鮮度の保持と、美味さの熟成のために死後硬直させないための方法であると言う。そして結果的には墨を吐かないために、扱いがきれいで、たやすい事になるのだと言う。
 江戸前のスミイカ達が真っ黒に墨にまみれているのと、さらに扱いの悪さのために夏場から秋口にかけて、往々にして肝が臭っていることがあるのに較べ、なんという丁寧さなのだろう。
 じつは、すし屋でのスミイカの仕込みは、この真っ黒な墨との闘いになる。水道の水を出しっぱなしにして外皮に指を突っ込み甲羅をはずす。ゲソと肝と外皮をはずす。身肉についた墨を丁寧に洗い流す。さらにゲソを包丁で開き、肝をはずし、墨をまたきれいに洗い流す。この時、墨は爪の中に入り込み、少し油断するともう落ちなくなってしまう。見習の若衆の泣き所となる。
 流通、輸送の進歩は、築地に入荷する日本中の魚の鮮度を横一線に同等なものにしてしまったのだ。むしろ遠隔地の魚の方がきめこまかい手入れと工夫がされている傾向が強いようである。
 だから各地から入荷して来る魚達の評価は、その魚達自体の実質的美味さの勝負となる。美味さこそが最後の勝負の決め手となるのだ。
 出水でのスミイカ漁は、かっては全て釣り漁だけであったが、30年前頃から底引き網漁になったという。スミイカがよく身肉に傷を持っていることがある。これはイカ同士が喧嘩をし、噛み付き合うためだと言う。釣り漁で、生簀の中で活かしておくと、よくこの噛み傷が発生する。
 網漁にし、すぐに次々と締めて行くことにより、この心配がいらなくなったと言う。
 東町漁協の漁場区域の水深は平均40メートル、2月から3月の最低水温16度。初夏から晩秋にかけての平均水温24度。  24度は、スミイカ産卵の最適温度であり、そのために約半年近くにわたって、次々と産卵が続いて行くらしい。これが魚影の濃さとともに、対岸の出水市の漁港、熊本県津奈木も含めた、八代湾からの新イカ出荷の長期継続の秘密であった。東町対岸の出水市側の漁場は水深30メートル位。そのため春先から初夏にかけて早く水温が上がるため東町漁協よりも早めに新イカ漁が始まると言う。なお、昨年度の東町漁協扱いのスミイカの出荷数量は48トン。他にも八代湾では底引き網漁によって大量に漁獲されているのだ。

東町漁協にて
 漁船より漁協に陸揚げされたスミイカは、荷受けの人達により、サイズ別に選別され、さらに海水をかけられ綺麗に洗われることになる。そしてセリにかけられ、発泡スチロール製コツ箱の中で、海水の水氷に入れられ出荷される。ただし、この水氷は、不当に時間が長くなるとイカが海水を吸収してしまう恐れがある。また漁獲中に大雨が降ると、真水のために、イカが水を吸ってしまい、身肉が白濁してしまうことがあると言う。
 輸送はトラック便による陸送と鹿児島空港からの空輸便とがある。
 トラック便、キロ単価120円。空輸便、キロ単価200円から250円。築地市場との相場が合いさえすれば積極的に空輸便が利用されている。

  本日の東町漁協の漁獲魚(底引き網漁)(底引き網は、地元ではゴチ網とも呼ばれる。)
コチ、ヒラメ、春子、アジ、ハモ、アラカブ、ガシラ、スミイカ、紋甲イカ、アオリイカ、オコゼ、ハンタ、太刀魚、チタイ、マタイ、ウチワハギ、くろたい、カンパチ、キス、カマス、ヘラ、クマ海老、車海老、シャコ、エソ、モチウオ(しづ)、アマダイ。
 漁協の仕事が一段落した後、事務所にて、…部長と石橋課長と懇談。
 東町漁協は、養殖鰤の一大基地であった。年間出荷量13,000トン。北海道からアメリカのロスにまで輸出している。最近では、フィレという3枚におろした状態での出荷が増えている。この3枚におろすために、ドイツ製の機械を導入、その見事な性能と、スピードに満足し、東町漁協では、この機械を大きな武器として使用していると言う。

再び、漁師・松原義光

 11月4日、本日の漁獲は大不漁であった。ちょうど今日は年に4回ある土用の日の前後にあたっており、この前後は魚が獲れないのだと言う。この前後、不思議と海の中に海藻が流れ出し、底引き網に引っかかってしまうらしい。そのため網は細く長く引っ張られることになり、広がることが出来ず効率が悪くなる。さらにこの時期、どういうわけか魚が小さい群れに分散し、まとめて漁獲することが出来なくなるのだと言う。残念なことであった。
 漁師、松原義光さんを紹介してくださった、東町漁協の石橋課長の話によると、松原さんは八代湾最高のスミイカ漁の名人なのだと言う。常に他の漁師達の2倍位の漁をすると言う。冬場、水温の低下とともに岩場に移動しているスミイカを、岩と岩との間をすれすれに、網を傷めることもなく漁獲してゆく名人芸を持っているのだそうだ。沖合いで手を振っている急ぎ足の漁船にすれ違った。
 73歳になる松原さんのおじいちゃんが、孫達のための小遣い稼ぎの漁をしているのだそうだ。
なお、八代湾はアオリイカの名産地でもあるのだが、1キロ前後までのもので、大きくなると湾外へ移動してしまうらしい。
 出水市、東町ではスミイカの旨さは承知しているのだが、値段が高いため地元では消費されず、ほとんど全て都会の市場へ出荷されてしまうらしい。アオリイカのほうがはるかに値が安いのだ。

 かくして東町漁協行は終わった。
 漁栄丸の松原ご夫婦にお礼をしているとき、奥さんに、ナンにもお土産もなくて、などと恐縮されてしまった。話があべこべです。こちらが図々しく一方的にお世話になってしまったのに。
 午後、太陽の里にてトロトロにくつろぐ。昨夜からの緊張が一挙にほぐれ、滅茶苦茶に眠い。本日も晴天なり。最高の小春日和だ。人工池のほとりのコンクリートの上で、上半身裸であお向けに寝、思いきり背筋を伸ばして大の字になる。熟睡一時間、たいした日光浴だ。全身弛緩の状態で今度は昼風呂だ。太陽を思いきり浴びながらの独占大浴場。眼下には昨夜に踏破していった島々が見える。伊唐島、竹島、野島、諸浦島、そして昨夜の我が獅子島が見える。さらば獅子島よ!! 薬草風呂、ジェット噴水風呂、身体の節々が逆手に取られたように痛くなる低周波風呂、サウナ風呂、一時間余。もうふにゃふにゃだ。 そして生ビールを、いっきにあおる。美味、美味!!快哉、快哉!! 茫然阿呆の態だ。
夜、昨夜特注の料理のキャンセル分を取り戻す。元大阪の、すし屋の職人である板前さんの特別料理が美味かった。鯛のかぶと煮が美味かった。カンパチの砂ずりが旨かった。伊勢海老の洗いが美味かった。アオリイカも旨かった。酒もビールも全部大満足であった。
 翌朝、出水市のなべ鶴、たんちょう鶴の飛来地を見学、鹿児島空港より帰途に就く。  平成12年11月

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図表 イカ8種

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